大和怪異記 卷之四 第十四 狐をおどして一家貧人となる事 / 卷之四~了
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第十四 狐をおどして一家(《いつ》け)貧人(ひんじん)となる事
肥前の土民(どみん)甚六といふもの、五月なかば、子供二人、つれ、朝、とく出《いで》て、田をうゑ、ひるつかた、馬に草かひ、ものなど、くひ、やすみいたる所に、ひだりのかたの、そわに、きつね、よく、いねて、死(しに)たるごとくに、みゆ。
子ども、見付《みつけ》、
「あれや。」
と、いふほどこそあれ、親子三人、地をたきて、おめき、さけべば、きつね、めをさまし、
「つ」
と、をきて、にげゆく。
二人の子ども、ひろきのばらを、いちあし出して、追《おひ》かくれば、其邊(《その》あたり)に居(ゐ)けるわかきものは、
『おもしろき事。』
にして、聲をあげ、手をうちて、あとにつゞく。
かくれがも、なければ、のちは、いばらのしげれるなかに、おひこまれ、足、なへて、うごかず。
「ころさん。」
といふものも、あり。
「不便なり、ころすな。」
といふも、あり。いづれも、わらひて、歸りぬ。
[やぶちゃん注:「そわ」には、「近世民間異聞怪談集成」ではママ注記があるが、誤りではない。これは「岨」で通常は「そば」「稜(そば) 」と同語源で、「山の切り立った険しい所・崖・絶壁」の意であるが、古くは「そわ」と表記したからである。
「のばら」「野原」。
「いちあし」「逸足」。急いで走ること。]
かくて、二、三日過(すぎ)、甚六、ゆめ、見しは、いかなる人とも、しらず、よに、たつときすがたにて、枕上にたち、
「汝、つねに正直にして、道をまもるゆへ、福をさづくべし。汝が、豆、うゑたる畑の中、五尺下に、「ぜにがめ」、あり。掘(ほり)て取《とる》べし。」
と見て、ゆめ、さめぬ。
[やぶちゃん注:「よに」助動詞「やうなり」の近世口語形「ようなり」の連用形「ように」の変化したもので、副詞的に「いかにも~のようで」の意。]
又、あくる夜(よ)の夢も、おなじごとく、見つ。
三夜めには、甚六が妻子共゙も、おなじやうに、ゆめ、見ければ、あさ、とく、おきて、「かく。」
と、かたりあひ、
「我(われ)、年ごろ、福神(ふくじん)に、つくれる初穗(はつ《ほ》)を奉るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、幸《さひはひ》をさづけ給ふにこそ。かならず、沙汰、なせそ。」と、さけなど、いはゐ、すき・くわを持《もち》て、うへ置《おき》たる豆を、ほりすて、おやこ、汗になりて、五尺ほど、ほりけれども、なにも、なし。
「爰(こゝ)にては、あらぬか。」
と、別の所を、ほれども、かはりたる事もなく、打腹立(うちはらたて)て、やどにかへり、つくれるものは、ほりかへして、物わらひになりぬ。
「沙汰、なせそ。」
といひて寢(ね)し。
其夜、又、ゆめみるやう、
「汝、心、みじかし。祝ふ所に、福、來《きた》る。所の者どもにも、しらせ、よく、いわゐて[やぶちゃん注:ママ。]、地(ぢ)の底(そこ)、三間《さんげん》、ほりて見よ。かならず、有《ある》べし。」[やぶちゃん注:「三間」五メートル四十五センチ。]
と、みて、
「此上は。」
とて、近所の人を、よびあつめ、さけのませ、うたひ、たはふれ、十人ばかりにて、ほりけるに、はや、三間もほりたると、思ふとき、
「ぜにこそ、出《いづ》れ。」
といふ程こそあれ、土にまじりたるを、
「爰にもあり、かしこにもあれ、」
とて、十錢ばかり、ほり出《いだ》し、よろこび、いさみ、
「なを[やぶちゃん注:]、ひろく、ほれよ。」
とて、ひたほりに、ほる程に、
「かく。」
と、さたして、見に來《きた》る者ども、手に手に、十間[やぶちゃん注:十八メートル。]ばかり、ほりければ、暫く、ほりては、五錢、三錢、ほり出しける程に、其日、ぜに、五、六十、ほり出しぬ。
さて、くれかたに歸り、人々、いへるは、
「げにも、土の内、二、三間下《した》に錢あること、ふしぎなり。つげのごとく、ぜにがめ、有べし。あけなば、人をやとひ、ほるべし。」
と云(いひ)て、あくる日は、二、三十人、やとひ、あさ、とく、あさ酒、したゝめさせ、又、終日(しうじつ)ほるに、五錢、三錢づゝ出ける程に、
「何(なに)さま、かめに、ほりつけん。」
と、日ごとに、家をすて、田うへ・草とる事を、やめ、夏のかてもの、たねあるかぎり、くらひ、もはや、食(しよく)すべき物、なければ、ほる事も、ならず。さらば、田うへつくりする事も、ならず。[やぶちゃん注:「かてもの」「糧物」。日々の糧食(りょうしょく)。]
其年、家をうり、妻子、ちりぢりになり、後(のち)には、乞食(こつじき)となりにける。
「是は、かのきつねを追《おひ》、からき目、見せけるゆへ、かゝる「つげ」をなし、家を、ほろぼしけん。」
と沙汰し、あへりける。肥前土人物語
やまと怪異記巻之四終
[やぶちゃん注:今までの例から、原拠のそれは書名ではなく、「肥前の土人(どじん)の物語り」になる、との意と、とる。今回は注は、読み易さを考慮して、総て文中に配した。]
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