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2022/11/26

大和怪異記 卷之四 第四 繼母の怨㚑繼子をなやます事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ(標題のみ)とここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第四 繼母(けいぼ)の怨㚑《おんりやう》繼子(まゝこ)をなやます事

 下㙒国那須の下蛭田村に助八といふ者あり。

 父は死し、繼母ばかりなるを、常につらくあたりしかば、母(はゝ)、恨みかこち、

「汝、いま、かくのごとく、からき目にあはする共《とも》、物には、むくゐ、あり。やがて、思ひしらせんものを。」

と、にらみし眼(まなこ)、いと、おそろしかりき。

 其後、母わづらひつきて死(しに)けるが、其夜より、怨㚑、來りて、助八を、なやましければ、おそろしさ、やるかたなく、身の毛よだち覚ける故、妻子をすて、かみをそり、湯殿山行人(ゆどのさんぎやうにん)にさまをかへ、諸こく、しゆ行せしより後、怨㚑、又も見へずなりしとかや。「犬著聞」

[やぶちゃん注:これは、「犬著聞集」の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第十二 冤魂篇」にある「継子(けいし)母(はゝ)にさからひ恨霊(こんれい)子(こ)を惱(なやま)す」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。ここ(単独画像)。しかし、それを見ると、ロケーションを『下野(しもつけ)那須野(なすの)の内(うち)下蛙田村(しもかはつたむら)』とある。但し、調べるに、これは「新著聞集」の写し間違いかとも思われる。現在、広義の旧那須野の東に、栃木県大田原(おおたわら)市蛭田(ひるた)がある。

「湯殿山」山形県鶴岡市及び同県西村山郡西川町にある、標高千五百メートルの山。ここ(グーグル・マップ・データ)。近くの月山・羽黒山とともに「出羽三山」の一つとして、修験道の霊場として知られる。]

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