ブログ1,870,000アクセス突破記念 梅崎春生 日時計(殺生石) (未完作)
[やぶちゃん注:本篇は『群像』の昭和二五(一九五〇)年四月号・九月号・十二月号に連載された。但し、底本(後述)の古林尚氏の解題によれば、『群像』では、以下の本文の、
「一」に相当する部分の標題は「日時計」
「二」に相当する部分の標題は「殺生石(Ⅰ)」
「三」に相当する部分の標題は「殺生石(Ⅱ)」
「四」に相当する部分の標題は 「殺生石(Ⅲ)」
であったとあり、さらに、「殺生石(Ⅲ)」の末尾には、『〈第一部了〉と記されているので、作者に書き継ぐ意志のあったことは明瞭だが、その後』、『未完のまま放置された』とあることから、本作は長篇小説を企図したものの打ち捨てた未完作であることを理解された上で読まれたい。「一」の末尾に表題変更の編者注として、『(以上「日時計」として発表、以下は「殺生石」と改題して連載された。)』と入るが、ここに示して、そちらでは省略した。
底本は「梅崎春生全集」第六巻(昭和六〇(一九八五)年二月沖積舎刊)に拠った。なお、梅崎春生の短編小説は、最早、上記底本全集のものは、「青空文庫」(ここ)で私よりも先行電子化された分の十一篇を除き、これで、総て、電子化を終わることになる(全リストは私のサイトのこちらの「■梅崎春生」、及び、ブログ・カテゴリ「梅崎春生」を参照)。残るのは、長編「つむじ風」と文芸批評八篇のみである。彼の著作権満了の翌日である二〇一六年一月一日から始めた、私のマニアックに五月蠅い注附きの梅崎春生の電子化も、七年目にして、もう遂に終わりに近づいた。本篇の注は、全くの偶然だが、謂わば――梅崎春生電子化マニアック注の私の最後の作――という気さえしている。但し、注では、その位置までの本文で推定される注に、基本、留めてある。若干、必要上、後文を示唆したものはあるが、ネタバレになるような読者の意欲を削ぐような注は、一切、していない。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、一分ほど前に、1,870,000アクセスを突破した記念として公開する。なお、この前のキリ番二つを作成しなかったのは、こちらの記事で示した通り、botの襲来によって、数日の内に二万アクセスを超えたからである。その後、通常の四百から九百アクセスの間に戻ったので、キリ番を再開することとした。【二〇二二年十一月二十九日 藪野直史】]
日時計(殺生石)
一
その猿は、始めの頃は、しばらく小野六郎に親しまなかった。馴れ近づく気配すら、なかなか示そうとしなかった。灰白色の毛におおわれたこの小動物は、つまり外界に妥協することから、意地になって自らを拒んでいる風(ふう)であった。猿の身でないから、その本心は判らないが、すくなくとも六郎にはそう思えた。餌を与えにゆく彼にたいしても、時としてはいきなり威嚇する姿勢をとったり、誇大な恐怖の表情を示して騒いだり、また冷たく黙殺するそぶりに出たりして、素直に食餌(しょくじ)を受取ることはほとんど稀れであった。そういう反撥の風情(ふぜい)は、彼の手に属する以前から、この猿に具わっていたに違いないが、檻(おり)がこの庭に運ばれて以来も、ひとつのしきたりとして、しばらく続けられていた。
しかし、この猿を飼い馴らそうという気持は、始めから六郎にあった訳ではなかった。
猿がこの庭に来たのも、六郎がそれを求めたり、欲したりしたからではなかった。もともとこの猿は、六郎のものではない。所有主は別にあった。鍋島という彼の昔の友達である。その鍋島に頼まれて、六郎はこれを預っているに過ぎなかった。
あの日鍋島から、これを当分預ってくれと頼まれたとき、六郎は少しためらった。
「当分って、何時頃までだね。いろいろ手がかかるんだろうな。食物やなにかに」
「いや、それは簡単だ。君の食事の残りをやるだけで大丈夫だ。手はかからない」
冬の日であったから、鍋島はしゃれた形のスキー帽をかぶり、ふかふかした新しい外套を着て、六郎の庭先に立っていた。そして六郎の方は見ず、冬枯れの荒れた庭全体を、眼で計るように見廻していた。昔からそうだったが、この男はこんな動作をするとき、身体いっぱいに動物的な精悍(せいかん)さを漲(みなぎ)らしているように見えた。自分の意を通すために、相手の言い分を無視するような、なにか強靭(きょうじん)なそぶりであった。時折現われるこのそぶりが、鍋島という男に生得(しょうとく)のものか、それとも意識的なものか、かなり長いつき合いであったけれども、六郎は未だにはかりかねていた。やがて鍋島は手をあげて、庭のすみを指さした。
「猿小屋をつくるなら、先ずさしあたり、あそこだな」
そこは家の側面と板塀が直角になった、陽のあたる庭の一隅であった。そこには一本の瘦(や)せた南天(なんてん)の木が、小さな赤い実をいくつか点じていた。しかし六郎は、鍋島の指さした方は見ずに、鍋島の外套の柔らかそうな毛に踊る、冬の日射しの微妙な色合いをぼんやり眺めていた。その色は眼にとらえられないほど淡く、はかなく、幽(かす)かにちりちりと乱れ動いていた。人と話している時や仕事をしている時などでも、それと関係のない、何でもない別の事象に、ふと心を奪われる性癖が、六郎にはあった。鍋島の外套が動くと、日射しは翳(かげ)をふくんで、小さく七色に揺れた。ほのぬくい毛織物の匂いも、それにつれてかすかにただよった。
「猿小屋の費用は、もちろんこちらで持つ。日々の保管料も出すよ」
「まだ引受けるとは言わないよ」と六郎はふと気持を元に戻されて、すこし笑みをふくみながら答えた。「飼って面白い動物かね、それは」
「面白いさ。あんな面白い動物はない。ただし卵ごときを産まないから、実用的じゃないけれどな」
「乳なども出さないのか」
「出さないね。雄だからな。しかし無邪気なものだよ。しかもよく馴らしてあるしよ。極くおとなしい猿だ。君などには丁度(ちょうど)手頃だろう」
「君の家じゃ、飼えないのかね」
少し経って、なにか考え込む顔付きになりながら、六郎は訊(たず)ねた。
「おれのうちでは駄目だ。町なかだから、音が多過ぎるんだ。あれじゃ猿は瘦せてしまう」
猿を飼うには、ある程度しずかな環境が必要なのだと、鍋島は鼻を鳴らしながら説明した。その説明も、六郎はあまり聞いていなかった。声は耳を素通りするだけで、六郎は別のことをかんがえていた。庭のすみの南天(なんてん)の方を、すこしまぶしそうに眺めながら、やがて六郎はしずかに口を開いた。
「猿って、あの地方のやつだな。きっとそうだろう。あの山には、猿が沢山いたからな。そいつは奥さんの方の――」
「あ。鈴子のだ」
鍋島はかるくさえぎった。それから一寸しんとした沈黙が来た。鍋島はだまって庭先に立ったまま、縁側の彼を見おろしていた。この家に、それまでに鍋島は何度か訪ねてきていたが、一度も上にあがったことはない。いつも庭先で用を済ませていた。その日もそうであった。冬にしては、割にあたたかい好天気が続いていたので、ぼろぼろに乾いた庭土を、鍋島の赤靴が踏んでいた。へんに平たい感じのするその靴の形に、その時六郎は視線をおとしていた。猿を預ることはいいけれども、それによって、また鍋島とのつながりが一つ殖える。そんなことを六郎は頭の遠くでぼんやり考えていた。鍋島のいらいらしたような声が、そこに落ちてきた。
「預け放しにする訳じゃないよ。いずれまた引取るんだ。それまでにも、月に二三度は見に来るよ」
彼を見おろしているらしい鍋島の視線を、よく判らないが何かの意味をもつ圧力として、六郎は額に感じていた。別段の根拠はなく、ただ六郎がそう感じるだけであった。正体の知れない敵に、ただひたすら体を丸めて防禦(ぼうぎょ)しようとする昆虫の姿勢を、六郎は瞬間自分自身に感じた。そしていま限界にあるぼろぼろの庭土、平たい形の赤靴、そして鍋島の声音、(あ、鈴子のだ)とさえぎった軽い響きなど。これらが一緒になって、ある一つの感じとして、何時までもなんとなくおれの記憶にとどまるだろう。故もなくそんな想念が、その時ちらと六郎の脳裡(のうり)をはしり抜けた。その予感は、なにかふしぎな倦怠感を、漠然とともなっていた。次の瞬間、身体のあちこちの筋肉から、急に力が抜けてゆくような感じの中で、猿を預ることも断ることも、どちらにしても同じことだ、と考えながら、六郎はゆるゆると顔を上げて行った。鍋島はその六郎の顰(ひそ)めたような鼻の辺をまっすぐに眺めていた。そして押しつけるように言った。
「じゃ、いいね」
何時までもなんとなく自分の記憶にとどまるだろう。そう考えたことで、その日の状況は、かなり長い間六郎の記憶にとどまっていた。その記憶も、後のほうでは、あちこちがぼやけて、色の濃淡や匂いのようなものだけになってしまったが。
それから一週間ほどして、猿は六郎の庭に住むようになった。
それはごく平凡な形の猿であった。顔と臀(しり)と四肢の先をのぞく全身に、灰白色の短い毛が一面に密生していた。体軀にくらべて、顔がすこし小さく狭い感じがした。そしてそのしなびた顔には、額にあたる部分がほとんど無かった。頭蓋の毛の下端から、すぐ眼のくぼみが始まって居た。そのくぼみの一番奥に、象嵌(ぞうがん)されたような小さな瞳があった。瞳の色は、時によっては黒く見えたり、灰色に淀んで居たり、また時には青く光ったりする。それに時々かぶさる瞼の皮は、薄黝(ぐろ)くしなやかで、なにか精巧な皮細工の一部分のように、柔軟な艶を含んで伸縮した。臀の皮膚はいくぶん暗みを帯びた赤色で、そのつるつるした表面は、なおりかけた傷口に張る薄皮のようななめらかさを、いつも六郎に感じさせた。見ることだけで、その感触が実感できた。その赤剝(む)けの皮膚の部分は、さほど広くなかったけれども、周囲の灰色の毛の部分に対応して、かなり鮮かに目立った。鍋島が言ったように、あの頃あの基地隊のうしろの山で、六郎が時々見かけた猿たちと、同じ種類の猿であることには間違いないようであった。それは毛の色や軀の形などで、おおむね判った。ただ違うのは、あの山の猿たちは、敏捷に樹から樹へ飛び動いていたのに、この猿はその自由をうばわれて、この檻(おり)小屋のなかに踞(うずくま)っている。その違いだけであった。しかしそうした環境の差異が、筋肉や器官などの眼に見えた退化をもたらすことも、あるいはあり得るだろう。この猿にも既に、その退化が始まっているかも知れない。そう思うと六郎には、これがあの山の猿と違った、別の形の生き物のようにも感じられた。[やぶちゃん注:「あの基地隊」ここで六郎の戦時体験がちらりと示されるのだが、以下、今一度、それらしいフラッシュ・バックが出現する。そちらの私の注を、そこで参照されたい。]
しかし軀の形や動作だけでなく、この猿の感情や心理の動きも、野放しの頃とは全く変化しているに相違ない。同じである筈がない、と六郎は時に考えたりした。この考えは、動物心理学的な推論からではなく、眼前の猿を眺めることで、自然に浮んできた。この猿は、鍋島が言ったような、無邪気なおとなしい猿では決してないようであった。よく馴らしてあると彼は言ったが、どう見てもそうだとは思えなかった。馴らすという言葉の意味が、鍋島とおれとでは食違っているのかも知れない。同一の言葉を、おれたち二人は別々の意昧に使っているのだろう。そんなことも六郎は思った。
猿小屋は、鍋島が指定した通り、庭の東南隅につくった。いろいろ考えてはみたが、庭の形からしても、やはりそこ以外に適当な場所はなかった。建築は近所の釜吉という若い大工に頼んだ。
猿を一目見た時、釜吉は言った。
「あまりいい柄の猿じゃありませんね、これは。やはりお買いになったんで?」
「預ったんだよ」と六郎は答えた。
鍋島から運ばれてきた猿は、小さな箱檻(おり)[やぶちゃん注:「檻」にのみルビ。]に入れられたまま、縁側に置かれていた。枠にはまった細い鉄棒を両掌で握って、猿は上目使いに釜吉の様子をうかがっていた。
「猿にも柄があるのかね。それじゃまるで反物(たんもの)みたいだな」
「そりゃありますよ。毛並とか顔かたちによってね。こいつはそれほど上柄じゃないや」
「よく馴らしてあるというんだけれどね」
釜吉は背を曲げ、掌を膝に支えて、檻の中をしげしげとのぞきこんだ。檻の中はうす暗いので、自然と釜吉の顔も上目使いになっていた。同じ眼付きになったまま、猿と人間はしばらく、お互いの様子をうかがい合っていた。そして急に猿は両掌を鉄棒から離して、狭い箱檻のなかで、ごそごそと後向きになった。軀をすこし低めるような姿勢になり、しかし頭をうしろに廻して、顔だけは釜吉の方をきっと振り向いていた。その小さな顔はくしゃくしゃと皺(しわ)を寄せ、口はすこし開かれて、黄色い歯がむき出しになっていた。両方の口角が後の方にぎゅっと引かれていた。そのままの表情で、鉄棒の方に向けた赤い肛門から、猿は突然少量の便を排泄した。
つられたように釜吉の顔も、口角を後に引いて、猿と同じ表情になっているのを、六郎はちらと見た。と思ったとき、釜吉は掌を膝から離して、ゆっくりと上半身を元に立てた。顔に皺をよせ、並びの悪い歯を露わしたまま、咽喉(のど)の奥で音を立てるような笑い方をして、釜吉は猿の檻から視線を外(そ)らした。惨めになったようにも、また得意そうな表情にもとれる、へんな笑いであった。
「あの猿も、笑っているのかね」
そっぽ向いてわらっている釜吉に、少し経って六郎は訊ねた。しかし直ぐあとで、あの猿も、ではなくて、あの猿は、と言わなくちゃいけなかったんだなと、六郎は気がついた。釜吉の頰から、急に笑いの皺が消えたようであった。
「こわがってるんでさ」
そう言い捨てると、大きく眼を見開いて、ぶよぶよした頰から顎を、釜吉はしきりに搔き始めた。こちらに見せた
横顔のそこらに、吹出物のような赤い粒々が、たくさん出
ていた。
「猿小屋は、そこらが適当だと思うんだがね」
南天の生えた一隅を、六郎は煙管(きせる)で指した。頰を搔きながら、釜吉は遠近のない視線でしばらくそこらの地形を眺めていた。やがて低い声で言った。
「さて、どんな具合につくるかな。つくるとしても、こいつは材料によるんでね」
「そりゃ立派なやつの方がいいな」と六郎は答えた。「材料費とか日当は、この猿の持主が払う予定なんだ。だから前もって請求して呉れたらいい」
「あ、それはあとでもいいですよ。どうせ同じことだから」
そう言って釜吉は、ちらとはにかんだような笑いを、その横顔に走らせた。
猿小屋の建造は、それから十日余りもかかった。それは六郎が想像していたより、はるかに立派な、豪華な檻であった。釜吉は毎日ひとりできて、材木を切ったり、穴をあけたり、組立てたりした。どんな檻が出来ようと、釜吉にそれを任せた以上は、六郎は口を出すこともなかった。六郎は一週間のうち四日仕事にでてゆく。あとの三日は家にいて、本を読んだり、釜吉の仕事ぶりを縁側から眺めたりしていた。
釜吉は朝九時頃やってきて、ひとしきり仕事にかかり、昼になると、縁側にきて弁当を開く。日当りのいい暖かい日なら、六郎もテツに頼んで、自分の食膳を縁側にはこばせ、釜吉と向い合って昼餉(ひるげ)をとった。釜吉の弁当箱は、すばらしく大きかった。深さも三寸余りあった。その中には、真白な御飯と、いろんなお菜がぎっしりと詰まっていた。それを釜吉は、いちどきに食べた。こんな小柄な男のどこに、あれだけの分量の飯やお菜が入るのか、六郎にはふしぎでならなかった。釜吉は肥っているように見えたが、背丈は五尺ぐらいしかなかった。その肥り方も、どこか不均衡で、たとえば腹は大きいのに、手足は細かった。身体の中に、肥っている部分とそうでない部分とがあって、それらが皮膚によって、雑然と継ぎ合わされている風(ふう)な印象をあたえた。[やぶちゃん注:「テツ」突然に出てきて説明がないが、六郎の妻である。梅崎春生の妻は「恵津」(えつ)である。]
釜吉は二十三四なのに、もう女房をもっていた。その女房は、釜吉より五つ六つ年長のようであった。駅近くの火の見櫓(やぐら)の下に、小さな細長い家をつくって、釜吉夫妻は住んでいた。なぜ六郎がそれを知っているかと言うと、釜吉の女房は闇の主食などをこっそり取扱っていて、彼も時々それを買ったりするからであった。女房はここら界隈(かいわい)のほとんどを、そのお得意にしていて、なかなか手広くやっていた。その方の収入があるせいか、当の釜吉はぶらぶらしていることが多くて、自分の本業に精出す気持もないふうに見えた。頼まれれば引受けるが、自分から進んで仕事を求めることはせず、あとは働き者の女房によりかかっていた。だから頼まれる仕事も、造作のつくろいや板塀の修繕程度で、ちゃんとした大きな仕事は委せられないらしかった。もっとも若いから仕方がないが、腕も確かでないという評判であった。そういう男に仕事を頼む気になったのも、釜吉の蛙に似た顔や動作に、六郎はもとから微かな関心を寄せていたからであった。この男からもやもや発散するものに、なにか変な異質的なものを、六郎は以前から感じていた。こんな感じの男の生態を知りたい。それほどの強い気持ではなかったけれども、釜吉を身近に眺めたり、また話し合ったりすることで、その何かを確めて見たい。その程度の気持の動きは、釜吉に仕事を頼むときの六郎の胸に、うすうすとあった。
釜吉の仕事ぶりは、噂のように確かに下手であったが、決して雑ではなかった。むしろ妙なところでひどく丹念であったりした。たとえば材木に穴をあけるにしても、組み上がれば穴は見えなくなるにも拘らず、その穴の内側や底面まで、なめらかに削らねば承知しない、と言った風(ふう)なところがあった。たかが猿小屋に十日余りかかったのも、ひとつはその為(ため)でもあった。また別には、材料をよく吟味して、六郎の予想をはるかに超えた立派な小屋を、彼が作ろうとしているせいでもあったけれども。そしてその仕事ぶりは、なにか楽しそうであった。あるいは楽しもうとする気配が、ありありと見えた。今までは造作や板塀の修繕ばかり几ふるいにこの猿小屋が、釜吉が手がける最初の建築物なのかも知れない、と六郎はひそかに推定した。この仕事への身の入れ方も、そのせいだと思えたし、使用する材料や道具へ釜吉が示す偏愛も、六郎はそんな風(ふう)に一方的に解釈していた。
しかし仕事以外のことにたいしては、へんにつめたい無関心な傾きが、釜吉の態度にはどことなく漂っていた。たとえば猿小屋をつくっているにも拘らず、その中に住むべき猿については、釜吉はほとんど関心を持たないふうであった。あの最初の日をのぞけば、縁側の箱檻にいる猿を、彼は眺めることもしなかった。少くとも六郎が見ている前では、猿に一瞥すら与えようとはしなかった。また小屋を建てようとする時も、そこに生えた南天の樹を、まるで牛蒡(ごぼう)を引くように、無造作に引き抜いて、庭の真中に投げすてた。道端の小石をかるく蹴飛ばすような無造作なやり方であった。南天を大事にしている訳ではなかったが、その夕方釜吉が帰ったあとで、六郎はそれを庭の西南隅に植え直した。南天を借しむ気待でもなく、また釜吉にあてつけるという気持でも、勿論なかった。ただそうしてみただけである。あまり強くない植物だと見えて、一日で南天はかなり弱っていた。米のとぎ汁などを、六郎はテツに頼んで、その根にかけさせたりした。南天を植え直したことも、翌日釜吉は見て知った筈だが、別段それを口にも出さないし、気にとめた様子も見せなかった。そんなことはどうでもいいと言った態度で、ちろちろと眼を動かしながら、鉋(かんな)を使ったり、丹念に墨縄を打ったりした。釜吉の眼は大きく見開くと、黒瞳(くろめ)が宙に浮くほど巨きく、翳(かげ)りがなく、動物的な感じであったが、すこし伏眼になると、瞳が瞼にかくれて安心するせいか、なにか狡智に満ちた、油断のならない動き方をした。しかし幅広くふくらんだその瞼の皮は、黒瞳の動きが透けて見えるほど薄い。薄い上質のゴムみたいな皮膚であった。それはこの男の中のある冷情さを、六郎に何時もつよく感じさせた。しかし両棲類のそれに似たこの眼は、ふたりで向き合って会話を交えている時でも、六郎の顔を絶対に見ようとしない。視線を相手の顔からすこしずらして、釜吉はいつも対話をする。まっすぐに相手を見ることを、極度に警戒し怖れる風(ふう)であった。しかし六郎がぼんやりと眼を外にあずけている時などに、ふと釜吉のするどい視線を、顔に感じることがある。はっとして瞳を戻しても、もうその時は釜吉はよその方を眺めている。早瀬をよぎる魚の影のような、すばやい盗視であった。
「あの眼付きや身体付きは、どうも変だな。女みたいな、いや、男でも女でもないような妙なところが、あいつにはあるようだ。あんた、そう思わないか」
ある時六郎はテツに、そんな具合に訊ねてみた。テツは考え考えしながら、そうは思わない、と低声で答えた。
「じゃ、僕だけの感じかな。どうもあの男は、雨蛙みたいな感じがする」
十何日目かに、猿小屋は完成した。二方は鉄柵(てつさく)になっていて、あとの二面は板張りであった。小屋の高さは、四米近くもあった。内部には、自然木の止り木や、天井から吊したブランコや、小さな椅子などがつくってあった。床が土間でなかったら、人間でも楽に住めそうであった。この出来上りには、誰よりも先ず、釜吉が深く満足したようであった。しかしテツの側からすれば、この猿小屋が出来たために、六郎の母屋(おもや)はいっそう古ぼけて、貧寒にすら見えた。廂(ひさし)を貸して母屋をとられたような感じがないでもなかった。仕事終いの日に、六郎は釜吉に言った。
「猿よりも、むしろ僕の方が住みたいな、こんなに立派な檻になら」
「ほんとですよ。全くですよ」
釜吉は真顔になって、口をとがらせながら言った。そして鉄柵を掌で押したり引いたりして、そのはまり具合を満足げに確めて見たりした。大工のくせに、釜吉は右手の中指に、いつも金指輪をはめていた。
「どこか具合が悪いところでもあったら、何時でも直しに参りますよ」
小屋代の支払いは、直接の方がいいとかんがえて、彼は釜吉に鍋島の住所を教え、そこに受取りに行くように言った。だから今にいたるまで、この小屋の建築費がいくら位であったのか、六郎は知らない。釜吉にも鍋島にもつい聞かなかった。その後も釜吉は、仕事のために、しばしば六郎の家に出入りしていた。猿小屋のそれではなく、もっぱら母屋の方の修繕である。母屋も急速に古びて、あちこちが次々にいたんだ。時に彼は頼みもしないのにやってきて、そうした箇所の修理をしたりすることもあった。やはり商売柄だけあって、いたみのくる時期をはかり、うまく目星をつけて修繕にくるのだろうと、六郎はかんたんに考えていたが、あるいは自分がつくった猿小屋を見たいために、釜吉はしばしばやって来るのかも知れなかった。そう言えば時折釜吉は庭に立って、猿小屋に長いこと見入っていたりしていた。そのまなざしからしても、猿を眺めているのではなさそうであった。そうした釜吉の姿から、イソップの絵本などに出てくる後肢で立った蛙の姿などを、六郎はなんとなく聯想(れんそう)したりした。そしてそんな時、釜吉に向けた自分の視線が、ただの好奇心みたいなものだけで支えられていることを、六郎は何時もはっきり自覚していた。網膜にうつすことだけで、そこで何かが完了してしまう一つの装置を、ちかごろ彼は自分の内部に、ありありと知覚していた。しかし相手が釜吉と限らず、そんな装置だけで自分が対象と繫(つなが)っていること、自分にとって他とはそういうものであるということ、その意識は、時として急にしめつけるような切なさを、六郎の胸の奥に伝えてくることがあった。そこに眠ったものを、突然呼びさましに来るかのように。――しかしその切なさも、切なさだけの感覚で、胸の奥の襞(ひだ)を僅かの時間にひりひりと擦過(さっか)し、あとにかるい虚脱を残すのみで、やがて直ぐ消え去ってゆくのが常であったけれども。
猿が小野六郎に馴れてくるまでには、一年以上の月日が流れた。
猿の日々の世話は一切、六郎の役目になっていた。六郎がやらなければ、誰もやるものがなかった。テツは始めから、はっきりした態度で猿の世話を拒(こば)んでいた。
「あたしはお断りですよ」
この家の住人は六郎とテツだけだから、テツが拒めば、六郎が一切をやるよりほかはなかった。テツがなぜお断りなのか、猿という生物を嫌いなのか、世話が面倒くさいからなのか、六郎はつい聞きそびれた。もっともテツに世話する意思があるかどうかが、六郎には問題だったので、そんな気持がないと判れば、その理由は聞きただす程のこともなかった。六郎の方から訊ねない限り、自分から気持を説明するような女ではテツはなかった。テツにはもともと、そんな気質があった。そのようなテツを、六郎はある意味で愛していた。たとえば物質にたいするような愛情で。
猿の飼育は、鍋島が言った通り、そう面倒なことではなかった。毎日食餌をあたえることと、五日に一度檻の中の清掃だけである。猿はほとんど何でも食べた。餌箱に食物を入れてやると、たとえその時はそっぽ向いていたとしても、後で見るとちゃんと食べてしまっていた。植物性の食餌だけでなく、煮干やスルメも食べたし、キャラメルなども食べた。南天の実を与えれば、それも食べた。始めは貪慾な生き物だという感じがしたが、いつかその感じも六郎には無くなっていた。食べるために食べているに過ぎないことが、やがて六郎には感じられてきた。
馴れ親しんでくるまでの一年ほどの間は、六郎はほとんど無言でこの猿の生態に接していた。積極的に観察するというほどの意図はなかったが、やはり毎日接していることで、彼はかなり微細に、この猿の生態に通じてきていた。それはあるいは彼なりの通じ方にすぎないかも知れなかったが。
飼い始めて当分の間、その反撥的な気配から、ずいぶん偏屈な動物だという印象は、なかなか彼の頭から抜けなかった。しかしこの印象は、類推として猿一般にひろがりはしなかった。眼の前にいるこの猿に関してだけであった。始めのうちこの猿は、檻の端に据(す)えられた小さな椅子に、陰欝な風貌で、一日中じっと腰掛けていた。折角しつらえたのに、ブランコなどには振りむきもしなかった。食餌(しょくじ)を与えても、素直に受領することはめったになかった。それはひねくれた猜疑(さいぎ)心を、六郎に感じさせた。猜疑心が強く、吝嗇(りんしょく)で、意地がきたなく、その癖ひどく傲慢で、見栄坊なところもあった。そして不親切で、残忍な感じさえあった。猿のいろいろな動作や表情から、六郎はその都度(つど)そんな性質を感受し、抽出していた。しかしたとえば傲慢という言葉にしても、吝嗇という言葉にしても、それらの言葉は、人間の性質の偏(かたよ)りを表示するための符号で、猿の属性にまで適用され得るかという疑念は、いつもその時々に六郎の心の底にかすかに動いていた。そしてその疑念がその度に彼の胸に反復され、やがてはっきりした疑問の形をとるようになった頃から、この猿は当初の印象から、微妙にその感じを変えてくるらしかった。それは飼い始めて、一年近くも経ったあたりからであった。何時の間にかすこしずつ、何かが変ってくる気配があった。それは猿自体が変化してゆくのか、自分の視角が変化してゆくのか、あるいはその両方なのか、その頃の六郎にははっきり判断できなかった。判断できないままに、彼は自分なりの理解が、ごく徐々になだらかに、この猿の生き方に近づいてゆく気配を感知した。同時に猿の方からも。たとえば妨げ隔てているものが、歳月の風化作用によって細い裂目や隙間を生じ、そこから何かが吹き通ってくるように、この猿が生きている隠微な気息が、属科を異にする条件を超えて、ひそかにほのかに伝わりはじまることを六郎はおぼろげに自覚した。
「これはたしかにおれの猿だ」
ある日突然、六郎はそんなことを考えた。それは言葉としてでなく、ある実感として彼に落ちてきた。もしそれが言葉としてだったなら、その言葉は無意味な筈であった。猿の保管料や食餌費はまだ鍋島の手から出ていたし、その鍋島も月に二三度は、この猿の成長を見廻りにきていたのだから、自分の猿だと言い切る根拠は、現実にはどこにもなかった。だからそれは、六郎の漠然たる気持――だけなのであった。しかし彼のその気持の中には、嘘や錯覚の感じは全然なかった。それはぴったりと彼に粘着していた。
「とにかくこいつは、おれの猿なんだ」
この猿に、カマドという名をつけたのは、近所に住む二瓶(にへい)という男である。二瓶は六郎より少し上の、三十をいくつか出た年頃で、神田かどこかにある学校の、講師か教師かをやっていた。小柄な身体にきちんと服をつけ、晴天の日でも洋傘をもって出てゆくような男であった。端正な、こぢんまりした顔に、鼈甲縁(べっこうぶち)の眼鏡をかけていて、なにかものを言い出そうとする時には、かならず眼を少し細めて、眼尻に笑みを含んだような皺をよせる癖があった。脂肪をふくんだその襞(ひだ)の形のなかに、かすかに宿るへんに暗い邪悪な翳(かげ)りのようなものを、この男と知合った最初から、六郎はぼんやり感じとっていた。そういう笑いに似た表情をこしらえない限りは、普通の話題にすら口を開かないということは、この男がどこかで韜晦(とうかい)した生き方をしている為(ため)だろうと、六郎はかねがね推定していた。そして二瓶の身のこなしや口の利き方には、自分と他を完全に意識したような、そしてそれがぴったり身についた、疑似の典雅さや柔軟さがあった。身体や顔が全体に小柄で、しかもそれなりに均衡がとれていたから、打ち見たところ、なにか精緻な雛形かカタログを眺めるような感じがした。この精巧なカタログは、しかしどうかしたはずみに、何気ない世間話の合間などに、ふとこちらの気持にひりひりと触れてくるような、はっきりしたものの言い方をすることがあった。そういう時でもこの二瓶の眼尻は、老獪(ろうかい)な笑みの翳をいつも絶やさずたたえているのであったが。[やぶちゃん注:「二瓶は六郎より少し上の、三十をいくつか出た年頃」発表時の梅崎春生は満三十五歳であった。]
二瓶は学校の講義を受持っている他に、変名で子供雑誌に童話をしきりに書いていた。彼の童話は相当に金になるらしく、二瓶は割に裕福な生活をしていた。二瓶と知合うようになってから、この男の慫慂(しょうよう)で、六郎もいくつかの童話を書いて、その中の二篇ほど金に換えて貰ったことがあった。しかしこの二つの童話も、二瓶の口ききだから金になったので、雑誌社側で歓迎するほどの作品でもないようであった。むしろお情けで載せてもらったような具合であった。もともと六郎には自信もなかったし、情熱もあまりなかった。金にしてやるという二瓶のすすめで、暇々に書いたに過ぎなかった。二瓶にはそういう世話やきの一面があって、言わば六郎はそれに無抵抗で応じただけである。しかし書くことは別に苦痛ではなかった。と言って喜びも別段なかった。だからその作品も、とても二瓶のそれのように、うまく行く筈もなかったのだが。
「君のこの童話は、うまいことはうまいんだけれどもねえ――」
ある日の夕方、庭の入口に立って、二瓶は原稿を六郎に手渡しながら、いつもの物柔らかな調子で言った。その原稿も、ずい分前に二瓶を通じて、ある少年雑誌に行っていた筈の童話であった。それをやっと六郎は思い出していた。
「ちかごろの子供には、ああしたものはぴったりしないと、雑誌社じゃ言うんだよ。戦争前の感じとは、子供たちだって、ちょっとはずれてきているんだよ」
「そうかな。そんなものだろうな」
受取った原稿をかるく巻きながら、六郎は気のない受け答えをした。別に何の感情もなかった。この原稿のことはすっかり忘れていたのだし、実は自分で書いたものでありながら、その内容も彼はまだ思い出せないでいたのだから。しかしこちらを見詰めている二瓶の視線を感じると、六郎は義務のようにして言葉を継いだ。[やぶちゃん注:「童話」梅崎春生は実際に童話を幾つか書いている。本篇以前のものは確かには確認出来ないが、私の電子化したものでは、初出誌未詳の昭和三二(一九五七)年一月現代社刊の単行本「馬のあくび」に所収された「ヒョウタン」とか、「クマゼミとタマゴ」がそれである。確実に本篇よりも前のもので、童話風のものとしては、昭和二九(一九五四)年三月号『文芸』に発表され、後にやはり単行本「馬のあくび」収録された、大人向けのブラック・ジョーク風のコント「大王猫の病気」(PDF)がある。童話ではないし、八年も後のものであるが、学研が発行していた高校生向け雑誌『高校コース』の昭和三三(一九五八)年一月号に発表された、学園を舞台とした推理物風の「狸の夢」なども青少年向けの特異点の作品である。また、本篇より二年前の昭和二三(一九四八)年九月号『文芸』に発表された「いなびかり」 「猫の話」 「午砲」(どん)の三篇から構成されたアンソロジー「輪唱」(PDF)も、後の二篇は、永らく、中学校や高等学校の国語・現代国語の教科書に載せられたので、やはり、かなり若い年齢の対象者を想定して書かれたものであると言える。因みに、「猫の話」は高校教師時代の私の授業の定番小説であった。]
「そう言えば、近頃の子供というのは、よく判らないなあ。もっとも大人たちのことだって、僕にはてんで判りゃしないけれどね」
「そうでもないだろう」
「いや。どうもそうなんだよ。僕の中には、どこかしら足りないものがあるんだ。童話など書けるような柄じゃないんだね、つまり僕は」
「そうでもないよ。うまいよ、君は」
「そんな言い方はないよ」と六郎はちょっとわらった。
「でも大変なことだなあ。金になるならないは、別としてもね。あんたはよくそこをやって行くね」
眼尻にれいの笑みをたたえたまま、かすかに顎(あご)でうなずいたりしながら、二瓶は洋傘の尖端で庭土にいたずらをしていた。その二瓶の姿を、見るだけの意味しか持たぬ視線で六郎はちらちらと眺めていた。それから暫(しばら)く、そんな風(ふう)な雑談をした。二瓶は庭土に眼をおとしたり、猿の檻を眺めたりしながら、何時ものようになめらかなしゃべり方をした。そしてふと語調を変えて、こんなことを言った。ぼんやり受け答えをしていたので、それまでの会話とどう繫(つなが)りがあるのか、六郎はちょっと戸惑った。
「君はねえ、とにかく安定してるよ。確かなんだよ。いろんなものがね」
「そんなものかねえ」と六郎はあやふやに相槌(あいづち)を打った。しかし二瓶のその言葉は、繫りが知れないままに、突然心に妙にからまってくるのを、六郎は感じた。
「ちょっと脇へ寄ればいいんだけれどねえ。そこで少し違うんだよ」
その言い方もよく判らなかった。そこでどう違うのか。何と違うのか。しかしその問いはちらと頭の遠くを走っただけで、言葉にする程の気力も、けだるく六郎の胸からずり落ちて行った。猿を眺めている二瓶の眼尻の笑みから、六郎はなんとなく視線を外らした。そしてしばらく黙っていた。するとそのけだるさの底から、内臓の一部を収縮させるようなへんな笑いが、沼の底から浮いてくる気泡のように、ぽつぽつと不規則に六郎の頰にものぼってきた。二人はそれぞれに頰の筋肉をゆるめ、それぞれの顔形に応じて声なき笑みを含みながら、檻(おり)の中の猿の動きをしばらく眺めていた。やがて二瓶は手をあげて、檻の中を指さした。
「ねえ。やはりカマドにちょっと似てるだろう。あの形がさ」
猿はその時椅子に腰かけ、大仰に肢をひらいて、しきりに蚤を探していた。その猿の姿勢は、強いて眺めれば、竃(かまど)の形に似ていないことはなかった。しかしそれよりも六郎はその二瓶の言葉の外らし方に、ある常套的な韜晦(とうかい)を瞬間に感じていた。六郎は黙った。彼が黙ったのを見ると、二瓶はふいに照れたような、なにか弁解がましい口調になって、すこしあわてた風(ふう)に言葉を継いだ。
「実はこの猿を始めて見たとき、こいつは丁度(ちょうど)今と同じ恰好(かっこう)をしてたんだよ。その印象が僕にはつよく残ってるんだ。つまりそのせいなんだな。僕はそれで、お猿のカマドという話を書いたりしたんだがね」
「ああ、それは読んだよ」自然と皮肉な調子になるのを自分でも意識しながら六郎は答えた。「お説の通り、カマドに似てるよ。だから僕もこいつを、カマドと呼んでいるんだ。ちかごろは、テツまでもね」
六郎の家の竃(かまど)と二瓶の家の竃とは、同じ土質で同じ形をしていた。大きさも全く同じであった。それは偶然でも不思議なことでもない。六郎の家と二瓶の家は、同じ家主が設計し同じ大工や左官(さかん)がこしらえたものだったから。ちょっと変った形の、使いにくい竃であった。火つきが悪く、ともすればくすぶりたがる性質があった。二瓶が似ているというのは、この竃のことである。
「でも、もうすっかり、人間に馴れたようだな、こいつも」二瓶のその言い方は、急に六郎のその答えから遠ざかったが、独白めいた調子に変った。「早いようなもんだな。まだ君にも馴れてなかったのにね、あの頃はさ」
「ああ、そんな具合だったね」蚤をとらえて口に持ってゆく猿の手付きに、六郎はふと視線をうばわれていた。「しかし、そう早くもないさ。一年半、いや二年にもなるのかな。ずいぶん天塩にかけたんだよ。だってあんたと知合う前からだからね」
「いや、僕の方が、ちょっと先だ。まだこの檻がなかったんだから」
「そうだったかな」
「そうさ。これを造ったのは、あの若い大工だろう。火の見の下に住んでる。そら、柄(がら)の小さい、どこかぶよぶよした感じのさ」
「釜吉だろう」
「ああ、そうだったね。そんな名前だった。あいつはね、君、曲者(くせもの)だよ。身体つきからして、ただ者じゃないね。あんなのは、ちょっと変形すれば、童話のモデルには持ってこいの型だな。あれをモデルにして、ひとつ書いて見ないか。きっと面白いのが出来るよ」
「蛙の、釜吉か」頭に浮んだままを、六郎はふと口にすべらせた。「でも、もう童話に書くのも、少し億劫(おっくう)だな。見てるだけの方が、よほど面白いよ」
そう言いながらも、屈折した笑いがあたらしく頰にのぼってくるのを、六郎は制し切れないでいた。いつか鍋島が二瓶を評した言葉を思い出したからである。それは二瓶が釜吉を評した言葉とそっくり同じであった。この二人がこの庭先で、始めて顔を合わせた、その直後のことであった。
「今の男はただ者じゃないな」その時、二瓶がいなくなると、鍋島は待ちかまえたようにそう言った。「どんな商売やってるんだね、あれは」
「学校の先生だよ」
「そうか。そう言えば、そういう感じだな。とにかく一筋縄でゆく男じゃない」
鍋島にしても二瓶にしても、誰でも皆、どこかで力んでいる。皆それぞれのやり方で、無意識に力んでいる。力むことだけで、力んでいる。ちょっと人形芝居みたいだ。――六郎に笑いをいざなったのは、先ずその感じであった。しかしその折れ曲った笑いの中からも、遠くからくる風の音に似た低いささやきを、彼は次のようにとらえていた。――力むということは、そこに力点があるということだ。ところがお前は、お前の中のどこに、そんな力点を持っているのか。どこに。あるいはお前はそいつを、何時、どこ
で、見失ったのか。どこで?
やがて二瓶は話をすますと、靴音をたてないような歩き方で戻って行った。それを見送ったあとも、六郎はしばらく庭先に佇‘たたず)んで、何となく檻の中に眼を放していた。さっきも二瓶が言ったように、この頃ではこの猿も、すっかり六郎に馴れてしまっていた。いや、馴れるというよりは、もっと別な感じの、もはや歩み寄りをもたぬ静止した関係が、猿と彼の間に生れ始めていた。猿は先ほどと同じく椅子にもたれ、こんどは右脚を曲げて蹠(あしうら)を膝の上にのせ、両掌を代る代る使って、足指を割ってその内をしらべたり、土ふまずのところをしきりに搔いたり、踵(かかと)の肉を不審そうにつまみ上げて見たりしていた。外界に気もとられず、背を曲げて、ゆっくりその動作をくり返している。六郎は黙ってそれを見ていた。やがて猿は右脚をおろして、左脚ととり換えた。同じ動作が始まった。
(この感じは何だろう)
と六郎はふと思う。なにかがそこにある。たとえば自由とか平安とか幸福とか、そんなものすら感じさせるある雰囲気が、この閉じこめられた生き物のどこかに、ぼんやりと漂っている。いつからこの猿に、こんな雰囲気が具わってきたのか、六郎にははっきり判らない。ついこの頃からのような気もするし、ずっと前からだったようにも感じられる。その揺曳(ようえい)するものは、透明な屍衣のように、猿の全身をうすうすと包んでいる。その中でこの猿は、おだやかに自分の蹠とたわむれている。黒い蹠の形は、べたっと細長く、皺(しわ)をたたんでよく撓(しな)う。そこだけ独立した奇妙な生き物のようだ。――猿はその上半身に、小さな袖無しをまとっている。それはふしぎにこの猿に似合う。(袖無しが似合う猿とは何だろう)その赤い花模様も、前に結んだ白い紐も、まだそれほど汚れていない。この冬に入る前に、鍋島の妻の鈴子がつくって、わざわざ持ってきて呉れたものだ、その時鈴子は、紺のスカートに、緑の毛糸のセーターを着けていた。そして自分で檻に入り、この袖無しを猿に着せた。その姿を六郎は檻の外から眺めていた。猿は別段抗(あら)がいもしなかった。猿のそばにしゃがんで、それを着せることに没頭しているので、緑色のセーターから、鈴子の襟足が不用意にのぞかれた。それは牛乳のように白かった。なにか不幸を感じさせるほど、その皮膚はなめらかに白かった。その部分に視線を食い込ませながら、六郎は胸の底にかすかなカラニタチを感じた。(カラニタチという言葉は、六郎はテツから教わった)そのカラニタチも、自然に起ってきたのか、彼自身で無理にかき立てたのか、しかし六郎にもよく判らなかったのだが。……[やぶちゃん注:「カラニタチ」の意味は後で明かされる。]
「カマド、カマド」
二三歩檻へ近づいて、六郎は低声で呼びかけた。猿は手を休め、脚を床におろしながら、ゆるゆると面をあげた。おだやかな翳(かげ)をふくんだその顔が、ぼんやりと六郎の方を向いた。六郎を見ているのではなく、六郎を透して遠くを眺めているような眼付きである。くぼんだ眼窩(がんか)の奥には、放射能を失ったある種の鉱石のような瞳が、黒くつめたく固定している。ただそれだけであった。しかしそれにも拘らず、その動きのない眼の中に、じっと見詰められている自分自身の姿を、六郎ははっきり感じていた。それと同時に、なぜか憎しみに似た感情が、六郎の胸の遠くで、かすかに揺れ動いた。何にたいする憎しみとも知れぬ、ゆたゆたと低迷する感情が。六郎は口の中でつぶやいた。
「そうだ。やはり二年経ったんだ」
猿が始めてここに来たのも、今頃みたいな寒い日であった。そのことを今、六郎は思い出していた。するとそれからの二年の歳月が、捩(よじ)れたフィルムを一気にたぐり上げるように、触感を伴って突然六郎によみがえってきた。背筋に忍び入る夕昏(ゆうぐれ)の寒気をかんじながら、彼はなぜともなく手を伸ばし、丸めた原稿の端で、鉄柵(てつさく)をぐりぐりつついてみた。その六郎の動作を、猿は前と同じ眼付きでちょっとの間眺めていた。そしてゆっくりと腰を浮かしながら、いきなり口角の筋肉をゆるめ、白い歯を出して、瞬間にある表情をつくった。歯のうしろに、濡れた赤い舌が、ちろちろと動いていた。猿はそのまま椅子からずり落ちて後向きになり、三本肢で止り木の根元に、ひょいひょいとうつって行った。
(あの表情だな)
六郎はふと身慄いしながら、寒い檻の前をはなれた。あの変な表情を、この猿の顔に見るのも、つい近頃からのことである。以前には、この猿にはなかった。表情、というよりも、なにかが脱落したような、顔面筋肉の弛緩(しかん)に近かった。しかしその中に、六郎は何時からか、ある奇妙な笑いの翳を嗅ぎあてていた。奇妙な、強いて言えば、Xの笑い、といったような感じを。笑いに似かよったこの弛緩は、しかし他の驚愕とか恐怖とか憎悪などの表情と違って、外界に反応することで、この猿面に生起するのではないらしかった。そこと没交渉に生れ、没交渉に消えて行くもののようであった。それ故にこそ、笑い、という感じに、これは酷似していたのであったが。――
「二ヵ月。六十日、か。ふん」
縁に上り、火の気のない部屋の真中につっ立ち、しばらくして六郎は呟いた。今日二瓶が持ってきた用件のことを、彼は考えていたのである。向う二カ月の間に、長篇童話を一篇書くこと。完成したその童話を、二瓶が手を入れて、ある児童出版社から上梓すること。二瓶の申し出はこうであった。二瓶はこの用件を、先刻の庭先の雑談の終りに、普通の語調で切り出していた。その何気ない調子が、かえって効果を計算した言い方を感じさせた。
「ねえ。やってみないかねえ」二瓶はすこしふくみ声になって、うながすようにそう言った。「もっとも代作だから、厭だろうけれどね」
「いや、それは、何でもないんだが――」
「材料は僕が提供してもいいんだよ。家に帰れば、いろいろあるんだから」
六郎はただ曖昧に笑っていた。しかし二瓶はそれを、承諾と取ったに違いなかった。いつも二瓶の依頼や慫慂(しょうよう)を、六郎は今までそうした態度で果していたのだから。――二瓶が提出した条件は、割によかった。六郎が金に困っているのは事実だったし、それを知り抜いたような二瓶の条件の出し方であった。しかしそのことはどうでもよかった。また、どちらでもよかった。引受ければ金になるし、断れば金にならない。そのことが頭の表面を、そんな形で擦過(さっか)しただけであったが、ただその申し出の中で、向う二ヵ月という時日の限定の仕方が、へんな焮衝(きんしょう)みたいな感じとなって、じかに胸に貼りついてくるのを彼は意識した。なにか脅やかすような響きをもつ低音部を、その感じは伴っていた。シリーズ物になっているから、時日は絶対に延ばせないという、二瓶の説明であった。[やぶちゃん注:「焮衝」体の一局部が赤く腫れ、熱をもって痛むこと。炎症。]
「ギリギリ。ギリギリなんだよ。〆切りがね」
「ギリギリ、ね」
分裂病患者の反響症状のように、六郎は唇だけ動かして、そう復唱した。この二瓶にも今までに、相当借金がかさんでいることを、その時ちらと六郎は思い出していた。前に心に貼りついてきたものと、もちろんこれはすこしも関連ないことではあったが。――[やぶちゃん注:「分裂病」統合失調症の旧名。]
(引受けてやってもいいな)火の気のない部屋に立ちすくんで、六郎はふと真面目にそう考えた。そう考えたことで、無抵抗におちた自分の姿勢を、六郎は同時にありありと感知した。彼は急に身体を動かして、やや乱暴に障子を引きあけ、足を踏み入れた。そこは台所になっていた。(――しかし先刻あいつは、おれのことについて、とにかく安定していると言ったが、あれはどういうつもりで言ったのだろう。何が暗手しているのだろう。それとも、おれのことではなかったったのかな)
台所では、テツが炊事をしていた。しゃがんだまま、無感動な顔をちらと振りむけた。
「何をわらっていらっしゃるの」
「何もわらってやしないよ」
六郎の眼はなんとなく、猿の食餌(しょくじ)になりそうな残滓(ざんし)を求めて、そこらを動いた。台所に入るたびに、その動作が彼の習慣になっていた。狭い台所には、味噌の匂いがただよっている。そして竃(かまど)の鍋がしきりに鳴っていた。しかし湯気は出ていない。カラニタチをやってるな、と六郎は思う。味噌のかたまりは、水に溶いて火にかけると、まだ煮え立たないうちから、ゴウゴウと沸騰するような音を立てる。それを味噌の「空煮立ち」と呼ぶのだと、六郎はテツからこの間教わった。その発音の仕方には、ある感じがあった。煮えてもいないのに、煮えたような音をたてるとは、何ごとだろう。
この味噌汁という飲物を、六郎はそう嫌いではなかったが、またあまり好きでもなかった。しかしこのカラニタチという言葉は、軽噪(けいそう)な舌ざわりを伴って、それ以来ときどき、ひとりごとの場合などに、ふと彼の口にのぼってくることがあった。丸めた童話原稿をそのまま、竃の脇のたきつけ籠に放りこみながら、六郎はテツの後姿に訊ねた。
「鍋島は金を持ってきたかしら。前月分の」
「ええ。おととい」
「何か言ってはしなかった?」
「いえ。別段」[やぶちゃん注:「軽噪」軽薄に燥(はしゃ)ぐこと。]
竃の鍋がその時、湯気をかすかに立て始めた。鍋の下の、竃のなかでは、薪火がしずかに燃えていた。焰はちろちろと分裂しながら、透明に上昇していた。すすけて狭い台所の、そこだけに揺れ動く火影は、この世の重量感をもたぬ、あざやかな非現実的な明るさをそこにひととき点じていた。六郎はその火の色をまっすぐに見ていた。そこに燃え上るものの色どりは、なぜかその時、旅への誘いをつよく彼に感じさせた。澄明な感動をともなって、それは突然彼に来た。その誘いかけは、しかし磅礴(ほうはく)としたひろがりでなく、鮮烈な色や音や匂いをそなえた実体として、いきなり彼にぶっつかってきた。あの磯の特有な匂い、泡立つ波の音、島や雲の形、その海面や砂丘や崖などの色。そこらを強く照りつける、ぎらぎらと灼熱(しゃくねつ)した太陽。そしてその風物の間に、動いたり走ったりする人々の姿なども。それらが一瞬間、確かな手ごたえを持つマスとして、はげしく胸をこすり上げてくるのを、六郎は感じた。それは彼の記憶の堆積(たいせき)のそこに沈んでいた、かつての夏日のあらあらしい風景であった。そしてそこでは、吹いてくる風すらも、ひりひりするような切ない感覚を、彼の皮膚に伝えていたのだが。――しかし六郎は急に我にかえったように首をふって、火の色からそっと視線をそらした。台所の揚板のつめたさが、足袋(たび)の破れを通して、じかに足裏にしみ入ってきた。むこう向きにしゃがんだテツの姿に、六郎はぼんやりと眼をおとした。テツは薪に手を伸ばすために、軀をななめに捩(よじ)りながら、思い出したように言った。[やぶちゃん注:「あの磯の特有な匂い、泡立つ波の音、島や雲の形、その海面や砂丘や崖などの色。そこらを強く照りつける、ぎらぎらと灼熱(しゃくねつ)した太陽。そしてその風物の間に、動いたり走ったりする人々の姿なども」ここが最初に指摘した「基地隊」の追想と直関連する戦時中の記憶のフラッシュ・バックである。梅崎春生が終戦を迎えた桜島での実体験(「桜島」及び「幻化」参照。リンク先は孰れも私のPDF縦書版オリジナル注附き。個別のブログ版は「桜島」はこちらで、「幻化」はこちら)がオーバー・ラップするものの、これは未完の本篇の最後まで、具体には示されない。本篇の続篇が書かれなかったことは、まことに残念で、或いは、「幻化」とは全く別の、彼の書きたかった特異な大作となった可能性も強く感じられるからである。]
「そう言えば、鍋島さんも風邪のようだった。大きなマスクなどかけて」
「わるい風邪がはやってるようだね、近頃」
「カマドの餌はとってありますよ。流し板の下に」[やぶちゃん注:「磅礴」交じり合って一つになって広がっていること。「マス」mass。塊り。集合体。]
テツは黒っぽい袷(あわせ)に、臙脂(えんじ)色の半幅帯を無造作にしめていた。帯の端がすこし垂れて、軀の捩りに応じてゆるく揺れていた。テツは冬でも、そう厚着はしなかった。寒さの感じには鈍いふうであった。元の姿勢にもどると、竃をのぞくように背を曲げながら、テツは薪をあたらしく押しこんだ。その動きとともに、ひとつの質量としてのテツの肉体が、黒っぽい袷のなかに妙にはっきり感じられた。薪がすこしいぶって、白い煙をはき出してきた。
「今来てたのは、二瓶さん?」
火色にそまったテツの手の動きを、六郎は見るだけの視線で眺めていた。薪をつき動かすテツの手首は、微妙にしなやかに屈折していた。その手首の動きは、ほとんど骨というものを感じさせなかった。
「そう」
手首にだけでなく、テツの肉体のすべてに、どことなくその感じはあった。骨格が年齢と共に硬化しないで、子供の頃の細さと柔らかさをそのまま保っている。そういう印象であった。肥ってはいなかったが、肉づきは決して貧しくなかった。部分的には豊かでさえあった。そしてどんなに粗食しても、あるいは絶食をしても、瘦せたり衰えたりしないものが、この身体にはあった。寒さや暑さに平気な感覚も、ひとつはこの生理に通じているようであった。水仕事しても、さほど手も荒れない。皮膚はいくらか浅黒く、またいくらか常人より体温が低い。その皮膚の下をはしる、人造バターみたいな無機質なうすい脂肪層を、それは時々六郎に想像させた。テツはたしか二十五歳になっていたが、ふつうその年齢よりはずっと若く見られていた。
「二瓶さんって、ちかごろ金廻りがよさそうね」
「そうらしいね。なぜ」
腰を浮かせ、半ばふき立った鍋の蓋をとりながら、テツはちらとこちらを見た。
「ときどき、酔っぱらって帰る、という話を聞いたもの。配給所で」
「ああ。――それは昔からだろう」
「――部屋を建増しする、そんな話も出ていた。よく聞かなかったけれど」[やぶちゃん注:「配給所」戦後復興期には、戦前の配給制度が、米穀などの一部で、一時期まで残っていた。本篇の発表は昭和二五(一九五〇)年であるが、ウィキの「配給(物資)」によれば、酒はこの前年の昭和二十四年まで、衣料は昭和二十五年まで、『切符による配給が続けられた』とあり、また、検索したところ、「東京都中央区役所」公式サイト内の「平成20年度 戦中・戦後の食糧事情と配給制度」の「テーマ1:配給制度・切符制度一覧・配給切符」に『主要食糧選択購入切符(昭和26年発行)』という画像(拡大出来ないのが残念)がある。]
テツの表情には、動きがすくない。表情を殺しているのではなく、もともとそんな感じの顔立ちである。薄い眉毛。大きな黒瞳(くろめ)。眼と眼の距離がぐっとひらいている。なにか未熟な童女的な稚さが、眼鼻の配置やその口元に、どことなく残っている。それは体付きの印象にも共通している。テツを年齢よりも若く見せるのは、先ずその感じであった。また逆に言えば、稚い形のまま成熟したという印象が、テツの全体にひとつのアクセントを与えていた。だから他の女には欠点となるようなところが、テツにとってはむしろ妙な特長になっていた。黒い袷に包まれたその背部を見おろしながら、それに話しかけるともなく、六郎は低く呟(つぶや)いた。
「建増しと言えば、鍋島の家もまだまだらしいな。大変だな、あの男も」
やがて鍋が煮え立って、それを竃(かまど)からとりおろすために、テツの手や軀が急に生き生きと動いた。焰を前にしているので、その身体の動きのうすい影が、台所いっぱいに淡く揺れた。味噌(みそ)の匂いがつよくただよった。
その匂いのなかで、テツの肩や腰の線の動きに、ふと六郎の眼は吸われていた。それは一瞬、探るような視線となった。
――それはどんなきっかけだったかも覚えはない。いつの時期からかの記憶もない。テツのこの撓(しな)やかな肉体に、なにか異質のものが投げてくる陰影を、いつか六郎はうすうすと感じ始めていた。ほとんどとらえ難いような、へんに茫漠とした翳りが、何時ごろからか、テツの身体のどこかに、ぼんやりとただよってきている。それは儚(はか)ないひらめきや幽(かす)かなたゆたいとして、どうかしたはずみに、ふと彼の触覚や嗅覚などに訴えてきた。しかしその異質なものの実体は、彼の知覚がとどく彼方のうす暗がりにじっとひそみ、未だその姿をあらわさない。輪廓すらもはっきり見せない。しかしそこにひそむものが、どこの誰かは判らないにしても、たしかに自分とは違う別の「男」であることを、生物の本能みたいなもので、やがて六郎は漠然と感知していた。どんな「男」かが、何時頃からか、このテツの肉体を訪れている。それがテツの肉体のどこかに、ふしぎな翳を射しかけている。――六郎にうすうすと触れてくるのは、ただその感じであった。そしてそれはまだ不確かな感じだけに止まっていた。その「男」がどんな相貌をもち、どんな肉体を持っているのか、それを推定する現実の根拠は、まだ彼のどこにもなかった。しかし彼は何時となく、意識のどこかでぼんやりと、知っている男の一人一人を、次々にその「男」の像にあてはめて眺めていた。そしてそこに生じる実感の濃淡から、自然といくつかの幻影が、六郎に迫くかすかに揺れ動いていた。そして意識のかなたに懸るその薄れた幻燈画のなかから、時折どうかした調子で、テツの像だけがふいに鮮明に浮きあがり、急速度に拡大し接近してくるのを、六郎は感じることがあった。それは閃(ひらめ)きはしる矢のように、瞬間に彼に近接し、そして遠ざかって行った。そんな時のテツの像は、なにかひりひりするようなものを、そのどこかに湛えていた。そしてまた、汚れれば汚れる程それだけ新しくなるような何かが、その何かの匂いのようなものが、同時にそこに感じられた。そしてこの感じは、現実のテツのいくぶん奇妙な生理と、部分的にはひどく食い違いながら、また別の部分ではぴったりと重なっていた。
二
さむい日が、永いこと続いた。
荒れた庭のいたるところに、はがねのような霜柱が、毎朝おびただしく立った。そして午近くまで、赤い表土を持ちあげて、その陰で白くつめたく光っていた。猿の檻(おり)の周辺にも、それらは地面に粗(あら)い亀裂をつくり、背丈をそろえた短い刃となって、ぎっしりと押し並んでいた。毎朝ほぼ同じ時刻に、猿に餌をやるために、小野六郎は庭をよこぎって、肩をすくめながら檻の方にあるいてゆく。下駄の歯のしたで、不規則な霜柱の群落は、その度にしろく砕け散って、Crash Crashと音をたてた。毎朝の庭のゆききに、乱れ砕けるその音を、ことあたらしく確めるように、六郎はいつもゆっくり歩を運んだ。昨日も一昨日もこうだった、と六郎は思う。その期待で踏みおろす、膝や足首の感じ。下駄が凍土に触れたとたん、足指や蹠(あしうら)につたわる霜柱の刃の堅くかすかな抵抗。ぐっと踏みこむ。ひとつのものが、たちまち数十数百に分散する、そのふしぎに錯雑した感触。意味もない、ただそれだけの短い潰音。そして折れ砕け、凍土に散乱した氷片の、つめたい色や形や光など。――記憶にあとを引かない、その瞬間に了(おわ)る、そのゆえに澄明な、閃光的な快感が、そこにはある。台所から庭へ廻り、檻の前に立つ。餌箱に投げ入れて、また庭を横切ってゆっくり戻ってくる。早朝の庭の一往復に、一歩一歩のはかない悦びを、こんな感じで六郎はひそかに愉(たのし)んでいた。使用する下駄は、穿(は)き古して歯もすり減った、杉の庭下駄である。霜柱を踏みしだく毎に、赤土をふくんだ氷片が飛びついて、それがそのまま乾くので、木目の浮き出た下駄の台は、常にざらざらと赤黒くよごれていた。そこに毎朝つめたく素足を載せるとき、いつも奇妙に不協和な哀感が、足裏からじわじわと六郎の腰のへんに這いのぼった。[やぶちゃん注:「潰音」ルビ無しなので、「かいおん」と読んでおく。「澄明」「ちょうめい」。]
カマドの餌箱には、大根の葉や芋の皮がひからびたまま、むなしく積み重なっていた。ここ暫くつづいた寒気のせいか、冬眠に似た鈍麻の状態が、カマドの心身におちているようであった。赤い袖無しの下で、灰白色の背をまるく曲げ、手脚をちいさく縮めて、ペンキの剝げた椅子の上や止り木の枝などに、一日中じっとうずくまっている。うすぐろい瞼の皮は、おおむね閉じられたまま、六郎が檻に近づいても、反射的に薄眼をあけるだけで、自分から軀を動かそうとする気配はほとんどなかった。前日に投げ入れた餌が、そっくりそのまま残っている。手をつけた様子もない。そのままの量と形で、干からびたり、凍ったりしている。それにも拘らず、台所の残滓(ざんし)を手にして、毎朝ほぼ同じ時刻に、同じ表情で、六郎は檻の前に立つ。餌箱の内の堆積に、あたらしく今日の分を投げ入れながら、ちぢこまったカマドの軀幹に、しずかに執拗に視線を止めている。
(まるで剝製みたいだな)
(胎児の恰好(かっこう)にも似ているな)
そんなことを六郎は思う。そしてまた霜柱を踏みながら、ゆっくりと母屋へ戻ってくる。ひとつのことを完了した、そんな安心の表情が、彼の顔をぼんやりと弛(ゆる)ませている。――
餌箱にたまる葉や皮は、五六日目毎にすっかり掃除して、空にしてしまう。また翌朝から、一定量ずつ投げ入れてゆく。カマドがそれを食べない限り、これは無益な繰り返しであった。しかしこの繰り返しは、今はカマドの食慾と関係なく、しきたりじみた行事として、こうして六郎の毎朝にあった。その時刻がくると、なにか片付かないような気分になって、六郎は台所の残滓をあつめ始める。眼に見えない掌に背を押されて、霜の庭に出る。習慣化したこの日課は、つまり当初のものと一端を接したまま、他端は漠として遊離し、しかもそれ自身で、ヒドラのように単純に生き始めていた。いつの間にかその腔内に包まれ、そのなかで。オートマティックに動いている自分の姿を、時に六郎はありありと想った。そしてその自分を包む腔壁の、ぶわぶわした、手ごたえのない、ぶきみな分厚さをも。――盲虫のように、その内で生きている自分自身にたいして、しばしば六郎は、物憂(う)いような安堵感と同時に、ある種の笑いが頰の筋肉にはしり過ぎるのを感じた。Xの笑い、とでも言う他ない、原形とのつながりを失って、そのまま散大したような、不安定なたわけた笑いを。そしてそれは、檻の中のカマドの顔に泛(うか)ぶあの笑いと、どこかで類似しているようであった。[やぶちゃん注:「ヒドラ」刺胞動物門ヒドロ虫綱花クラゲ目ヒドラ科 Hydridae に属するヒドラ属 Hydra 及びエヒドラ属 Pelmatohydra に属する生物群の総称。注意されたいのは、狭義のヒドラであるこの二属は総てが淡水産で、海産は存在しないことである。古いが、私の「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 五 共棲~(1)」、及び、図の出る「生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 四 芽生 ヒドラ」を参照されたい。「盲虫」ルビがないが、「めくらむし」と訓じておく。「盲腸」と「虫垂」の混淆した造語であるとすれば、「もうちゅう」でもおかしくはない。前者の場合、クモの一グループで、フラフラ歩く私の甚だ生理的嫌いな、節足動物門鋏角亜門蛛形(クモガタ)綱ザトウムシ目 Opilionesの和名は「座頭虫」で、別名「メクラグモ(盲蜘蛛)」(これは差別異名として研究者は殆んど使わない)とも言うが、以上の叙述は本種を指しているとは思われない。寧ろ、前に言った――盲腸のように、人体の中で無益な存在として盲目の虫のようにあるそれ――を指しているという方が極めて腑には落ちる。]
「鍋島が引取って呉れないなら――」それを意識するたびに、六郎は本気でかんがえたりした。「この猿公も、檻から放してやろうかな」
発作的にそう考えてみるだけで、手を下してやるまでには、もちろん気持が動かなかった。扉をあけ放せば、それで済む。そうと知ってはいても、それを実行するまでには、ある踏切りみたいなものを越えねばならない。どんな形の踏切りだろう。それすらはっきり判らないのに、その予感の重さだけで、彼の内側のものは、みるみるうちに萎(しな)び縮んでしまうのだ。寒さに触れてきゅっとちぢこまる虫の体のように。――その姿勢のまま、待っていること。何かがお前の肩をたたきに来るまで、じっとしていること。と、六郎は自分に言い聞かせ、胸の襞(ひだ)に切なく擦過(さっか)してくるものを、しきりになだめにかかる。しかしこの言いくるめに対しても、れいのXの笑いが、六郎の頰をうっかり弛(ゆる)ませてしまうのだが。――かすかな便意を怺(こら)えているような、そんな感じさえなければ、今のこの状態は、爽快だとは言えないだろうが、なにも居心地悪くはないじゃないか。どこかが痳(しび)れたような感じも、それはそれで、気にとめなければいい。そうすれば、むしろ確かな平安の風情さえ、この日常にはあるじゃないか。たとえそれが、色褪(あ)せた剝製の平安であるとしても。……
来る日も来る日も、こうして寒さがつづいた。三月に入っても、気候はほとんど動かなかった。檻の檐(のき)から、いくつも氷柱(つらら)が垂れたりした。そのような張りつめた強情な寒気も、三月も半ば過ぎてからついに保ち切れなくなったように、ゆるみ立つ気配を見せ始めた。へんに湿気の多い、曖昧(あいまい)な天候が四五日つづいた。ある夜半から、にわかに大風が吹き起って、翌日いっぱい、母屋の軒のこわれかけた樋(とい)の端を、ひっきりなしに鳴らし続けていた。風が止むと、灰を吹き散らしたような雨が、しずかに地面におちてきた。二日あまり音なく降りつづいて、やっとその雨があがったあと、こんどは空気が急速に乾き始めた。火災警報が出た。
そして突然、春がきた。
庭の感じが妙に平らだと思ったら、気がついて見ると、あの霜柱の群がいつの間にか、すっかり地表から姿を消していた。しめり気を含んだ庭土のあちこちに、もう草の下萠(も)えが始まっていた。そして乏しい庭樹のたたずまいにも、やがて生色のよみがえる気配がうごき始めた。先ず他の樹にさきがけて、冬中は枯色にくすんでいたサルスペリの木が、その彎曲(わんきょく)した幹の背に、絹靴下をはいた小娘の膝頭のような、妙にいやらしい艶をのせてきた。と思うと、その枝々も一斉に、いつか脂をうっすらと皮肌に滲ませ、ぬめぬめと光りながら、それぞれの方向にくねり伸びていた。縁側から、庭先から、ふとその色合いを眼にする時、なにか嘔きたくなるような感覚が、ふいに六郎の咽喉(のど)の奥をはしったりした。不毛の色情、そんなものをその肌理(きめ)は感じさせた。そのサルスベリにだけでなく、庭中に音無くざわめき立つすべてにたいしても、時に六郎は、じわじわと肌な逆撫でされるような、かすかに不快ないらだちを感じた。理由もなにもない。しらじらとしたこの抵抗感は、その時の気持の上からではなく、もっと肉体的な、生理の奥から発するように思われた。それはやがて節々の疲労をともなって、けだるく六郎の毎日にかぶさってきた。
身体の底にしゃがんでいる、なにか根元的な生理の破調を、そして六郎はぼんやりと自覚した。それはまだ、どの筋肉、どの器官にも、症状としては出てこないが、そこらのどこかにじっと潜んでいるのは確かであった。自分の経験から、六郎はそれをよく知っていた。気侯のかわり目を、季節の四つの関節とすれば、その第一関節にあたる今の気侯は、例年かならず六郎の身体に、なにかのわるい影響をあたえていた。ずっと少年の頃から。――その影響も、年によって大小があって、はっきり病気となって出てくることもあるし、どこか具合がわるいという程度の、ほのかな病感だけで通り過ぎることもあった。季節にまける、たとえば夏まけみたいに、六郎はこの季節にまけるのかも知れなかった。だからこの季節の大気に触れると、かならず六郎は自分の肉体の奥底に、感じまいとしても、得体の知れぬ不快なかたまりを感じてくる。かたまりと言っても、始めはまだ形を成さぬ、ただ鈍く押しつけてくる感じだけなのだが。――しかしその感じのなかに、漠とした病気の予覚が、今年もすでに彼にあった。
(いずれどこかに、出てくるだろう)
朝の寝覚めなどに、身体のあちこちの部分を、確めて見るように、掌や指先で押しながら、六郎はそう思う。昨年は妙な熱病だったし、一昨年はたしか黄疸(おうだん)だった。今年はどこに来るだろう。そう考えると、見知らぬ人を駅に待つような、かすかないらだちと、ほのかな期待が、六郎の胸を揺ってくる。来るなら、早く来い。病気を待ち望む、そんな倒錯した気持にも、彼はおちていた。[やぶちゃん注:ここで主人公小野六郎の近過去に示される病気は、発表の昭和二五(一九五〇)年当時の梅崎春生の病歴とは一致はしないと思うが、本篇の冒頭からずっと続く異様な対象の凝視と、それに対する拘った連想と観念的連合(異常な執着)は、既に読者はちょっと普通でない印象を持つであろう。これはある意味、ノイローゼや双極性障害(躁鬱病)、及び、統合失調症(但し、梅崎春生の場合はこの疾患の罹患可能性は中年期から没年にかけて以後では全く認められないと考える)の初期に見られる関係妄想にかなり近い。しかも、梅崎春生の小説には、こうした異様な感じを与える関係妄想的雰囲気や認識が、主人公等の中にも、頻繁に現れるのである。既に小説「その夜のこと」と、その続編「冬の虹」(PDFで『梅崎春生「その夜のこと」+続編「冬の虹」合冊縦書ルビ版(オリジナル注附)』も作った)など、幾つかの作品で語られているが、春生は東京帝大国文科に入学した翌年昭和一一(一九三六)年(満二十二歳前後)に、下宿の雇われていた老婆を椅子で暴行を加えて負傷させ、一週間ほど留置場に拘留された経験があるが、現在、これは『幻聴による被害妄想』(底本全集別巻の年譜)とし、加えて、入学以来、『多少』、『鬱病気味』(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊中山正義「梅崎春生――「桜島」から「幻化」への道程」末尾年譜)とも推定されている。この事件の事実内容は詳しく知ることが出来ないが、私は双極性障害というよりも、かなり強い病的な関係妄想によるもので、強迫神経症の重度の様態に近いと私は考えている。なお、本篇以後では、晩年の昭和三三(一九五八)年、顔面痙攣を伴うような高血圧の発症が始まり、『いつ発作が起きるかという不安と緊張で(このことが血圧に悪い)だんだん外出するのがいやになり、ことに独りで歩くのがこわくなって来た。他人に会うのもいやで、厭人感がつのって来る。一日の中一時間ほど仕事をして、あとはベッドに横になり、うつらうつらとしている。考えていることは「死」であった』(梅崎春生「私のノイローゼ闘病記」)とあり、精神科の医師からも『鬱状態(不安神経症状)』(前掲中山氏著)と告げられ、翌昭和三十四年の五月に精神病院に入院し、持続睡眠療法を受けている(エッセイ「神経科病室にて」参照)。それから四年後の昭和三十八年八月、蓼科の別荘で吐血し、同年十二月に入院、翌昭和三十九年一月に肝臓癌の疑いで東大病院に入院し、昭和四〇(一九六五)年七月十九日に急逝した。満五十歳で、死因は肝硬変であった。]
季節のそんな推移につれて、カマドの食慾もみるみる回復してくるらしかった。投入れた餌の減りに比例して、排泄物の量が、眼にみえて増えてきた。それらは堅い床のあちこちに、黒くころころと散乱していた。冬の間はうすれていた、猿特有のなまぐさくむれた臭気が、やがて磅礴(ほうはく)と檻に立ちかえってきた。その臭気のなかに、何よりも六郎は、今の季節の表情をつよく感じた。そしてそれに繫(つなが)る彼自身のなかの、ぼんやりした生理の不調をも。――その感じの芯(しん)を嗅ぎあてるように、六郎は檻の前に佇(たたず)んで、長いこと鼻を鳴らしていたりした。
「――この匂いだったかな。こうだったなあ」
沈丁花(じんちょうげ)が道にかおり、コブシが白い花をつける頃から、やがて春の花々は一斉にひらき、それらの花粉が風にのってただようらしく、大気がしっとりと重さを加えてきた。すると六郎は急に、右の奥歯が痛み出した。
一昼夜たつと、それはもう我慢できない程、ずきずきと疼(うず)きわたってきた。そしてその部分の頰の肉が腫脹(しゅちょう)して、一寸位の厚さになった。
「第一臼歯。下側の第一臼歯ですな、これは。人間の歯の中隊長です」
痛む歯の名を訊ねたとき、顔の四角な実直そうな歯科医は、真面目な顔でそう答えた。そしてピンセットの先で、その歯をこつこつと叩いた。音がにぶく歯の根にひびいた。椅子に顔をあおむけて見上げているので、歯科医の肩がことのほか高く感じられる。ピンセットをはさむ指はフォルマリンの匂いがした。
「――そして、これが第二臼歯。奥にあるのが、親しらず――」
次々の歯の孔に、ピンセットの先が撓(しな)うのが判った。口を大きく開いたまま、顔を固定しているから、動かせるのは眼球だけであった。六郎はしぜんと自分の眼が、しばられた犬の眼のようになるのを感じた。落着かぬまなざしで、六郎は医師の顔を見上げたり、窓外の柿の若葉に視線をうつしたり、医師の手がっぎつぎ取上げる道具類を、ちらと盗み見たりした。医師の姿勢がかわる度に、ガリガリと歯をけずる器械や、妙な匂いで噴出する空気や、ピンセットや先のとがった金属棒が、代る代る口の中に出入して、痛む歯のへんを縦横にかき廻した。そしてやっとのことで、一応の治療がすんだ。あまり長いこと口をあけていたので、閉じようとすると、顎骨がそのつけ根のところで、ごくりと不気味な音を立てた。
「いずれこいつは、抜かねばなりませんでしょうな」手を洗いながら、職業的な平気さで歯科医は言った。「しかし痛みはこれで、一応おさまる筈です」
「ほっとくと、どうなるんです?」
「多分また、痛みがくるでしょう。根が駄目になっているんですから。直ぐ抜いてあげてもよろしいが、しかし抜くのはいつでも抜けるんだから、その前に、上側の虫歯の治療をやったがいいでしょう。そして様子を見て、今の歯を抜くことにします」
「――抜くのは、痛いですか」頰を押えて椅子から立ちながら、ふくみ声で六郎は訊(たづ)ねた。
「いや。カンタンです」歯科医は四角な顎を動かして、いやにはっきりと答えた。
しかし、その痛さがカンタンなのか、ひっこ抜くのがカンタンなのか、その口ぶりでは判然しなかった。六郎はだまった。曖昧な顔つきになりながら、しぶしぶ金入れを取出して、治療代を支払った。そして心の中でかんがえた。
(――引抜くとしても、それで今年の分が済むなら、まあ大したことだ)
二日か三日に一度、この歯科医にかよって、脱ぎ捨てられた古靴のように無感動に口をあけて、その何分間かを辛抱すればいい。六郎は自分にそう言い聞かせ、すこしは安心した気分にもなった。漠としてかぶさっていたものが、とにかく形をなして、一応片付いた感じであった。しかし歯科医の説明では、第一臼歯という歯は、その歯自身の傷みだけでなく、内臓や器官の弱まりに関係あることが多い、という話であった。その言葉は、ちょっとした不安の根となって、六郎の胸にわだかまっていた。彼はときどき指を口に入れて、病んだその歯の形を探ってみた。その度に奇妙な感触が、指の腹につたわる。病歯は琺瑯(ほうろう)質の周辺がぎざぎざにとがって、まんなかに孔をふかく陥没させていた。痛みは一応おさまっていたけれども、小指でその孔を押えてみると、痛みの前兆みたいなものが、歯根のあたりにためらい動くようであった。歯齦(はぐき)にも、にぶい重さがあった。そしてこの歯だけでなく、他の歯も全体的に浮いている感じであった。どの歯かがまた、痛み出すかも知れない。歯齦の不確かな手ごたえが、そんな予感を彼に持たせた。[やぶちゃん注:「歯齦」は正しくは「しぎん」と読む。歯肉・歯茎(はぐき)の旧称。]
三月末のある日、六郎はとつぜん三十三歳になった。
年齢のあたらしい算え方で、そうなるのであったが、その日まで六郎は、そのことをすっかり忘れていた。その夕方、鍋島鈴子がやってきた。縁側に鏡を据(す)えて、六郎は鬚(ひげ)をそっていたが、鏡面のどこかに緑がひらめくと思った瞬間、痛みの伝わるような速さで、鍋島鈴子の全身を彼は感知した。手を休めてふりむいた時、長者門をくぐって、鈴子の姿が庭に入ってくるところであった。鈴子は紺のスカートに、いつもの緑色のセーターを着けていた。そしてその腕に、重そうに一升瓶をかかえていた。黄昏(たそがれ)の色がふかいので、白い顔が花のように、そこだけが非現実的に近づいてきた。故もなく、畏(おそ)れに似た感情が、神経的に彼のなかにはしった。[やぶちゃん注:「三月末のある日、六郎はとつぜん三十三歳になった」これは年齢の計算方法を定める戦後日本の法務省所管の法律「年齢のとなえ方に関する法律」が施行をされたことを指す。これは年齢の数え方について、それまでの数え年から満年齢に変更するために制定されたもので、昭和二四(一九四九)年五月二十四日公布で、翌昭和二五(一九五〇)年一月一日施行である。
「長者門」通常、古い屋敷の豪勢な長屋門を指すが、ここは単に正面玄関の門柱を指している。所謂、台所や風呂の側の勝手口や、庭などにある木戸などの裏口に対して言っているに過ぎないが、梅崎春生は、この見栄を張った大層な言い方が好みであり、他作品でも見られる。]
「鍋島が、持ってけと言ったの、これ」
あいさつを済ますと、鈴子は持っていた酒瓶を、そっと縁側に押しやった。ふたたびカミソリをあてながら、六郎は横眼でそれをちらちらながめていた。戸惑ったような顔になるのが、自分でも判った。それを押えるように、カミソリの刃が頰の皮に、じゃりじゃりと粗い音をたてた。
「ありがとう」少し経って彼は言った。あとはひとり言のように「――でも、鍋島は、どんな趣向なのかな。こんなものを、僕によこすなんて」
「あなたの、誕生日なんでしょう、今日は」
カミソリを持つ手が、ふと止った。そう言えばおれの誕生日だった、と彼は気付いていた。三十三歳。自分でも忘れていた今日の日を、鍋島がちゃんと憶えている。そのことが妙にからみつくような感じとなって、六郎の語調を急に曖昧にさせた。[やぶちゃん注:年齢が突然、一つ若くなるという、あり得ない椿事を上手く扱ったシークエンスである。なお、梅崎春生の誕生日は大正四(一九一五)年二月十五日生まれ(従って、既に述べた通り、当時の梅崎春生は満三十五歳である)であるが、本篇の初回の公開が昭和二五(一九五〇)年四月号であったことから、アップ・トゥ・デイトにそれに合わせた(「二」相当の原稿はある程度、初回の時に草稿が出来ていたのであろう)ものであろうかと思われる。]
「――ヘえ。よく、覚えてるんだなあ」
放心したような視線を鏡面にもどして、六郎はそう呟(つぶや)いた。そしてなぜとなく注意ぶかい手付きになって、ゆっくりカミソリを動かし始めた。鏡にうつる彼の顔は、ただ剃られるだけの表情をつくって、彼をじっと見守っていた。――鈴子はしずかに縁側から離れると、檻の前にしゃがんで、カマドの姿に眺め入るらしかった。視野の端にぼんやりそれを収めながら、だまって六郎は周到に刃をうごかしていた。やがて顎の裏まで克明に剃り終えると、石鹸ですこし硬(こわ)ばった顔のまま、六郎も庭へ降りで行った。むこうむきにしゃがんだ鈴子の姿は、薄明のなかで、何故かひどく疲れたものの感じをただよわせていた。ふと息苦しい気持におちながら、その後姿に、六郎は低声で話しかけた。[やぶちゃん注:「なぜとなく」ママ。と言っても、おかしくはないが、今はこうした言い方は使わないだろう。「低声」「ひきごえ」。]
「――鍋島も、元気なようですか」
「ええ」のろのろと立ち上りながら、鈴子はちらと白い顔をふりむけた。「あまり元気でもないようだわ」
「仕事がうまく行かないのかしら」
「ええ。何もかも」
そして鈴子は投げ出すような短い笑い声をたてた。なめらかな頰にうかんだ笑くぼを、ある惨酷な感じで六郎はぬすみ見た。
「元気になりますよ。あの男のことだから」
「どうかしら。――あの人も、ずいぶん変ったわ。この一二年で」
「変ったように見えるだけですよ」ふいに鈴子から眼をそらしながら、六郎はすこし乱れた声で呟いた。「もとと同じですよ」
「そうかしら。――そう言えば、貴方はすこしも変らないようね」無心な皮肉がそこにつよく響いた。六郎はすこしたじろいだ。「いつお会いしても同じ感じだわ。ふしぎね」
――やがで鈴子が帰った後、妙にけだるい気分におちながら、六郎は縁側に腰をおろしていた。病歯の対称の位置にある左の大臼歯に、かすかな疼(うず)きが感じられた。
鈴子が置いて行った瓶には、芋焼酎がなみなみと入っていた。栓をぬくと、特有のあまい匂いが、ほのぼのと立ちのぼった。それは束の間の郷愁を、六郎の胸にかき立ててきた。田舎からわざわざ取寄せたものに違いなかった。
(それにしても――)瓶口に鼻をつけて、執拗(しつよう)にその香を嗅ぎながら、六郎は思った。(他人の誕生日を、よくあいつは知っているな)
あの人もずいぶん変った、と先刻鈴子が言った時、六郎は現実の鍋島と会ったよりも、もっと歴然と、鍋島両介という男を実感した。鍋島両介という男の、容姿や挙動だけでなく、その内部にひそみ動く、ふしぎに暗い翳(かげ)のようなものまでも。――その瞬間を、今六郎は思い出していた。――その時の鈴子の声は、ひくく乾いていた。しかしそのすべすべした頰には、笑くぼがそのまま、白っぽく残っていたのだ。望遠レンズをのぞくように、その一瞬、六郎は自分の内のものが、一挙にそこに近まってゆくのを感じたのだが。――[やぶちゃん注:「今六郎」はママ。「今、六郎」とすべきところ。]
「両介は狩装束にて、か」
思わずそんな呟きが出た。両介にたいしてか、鈴子にたいしてか、そんな疑似の接近を彼にうながしたものは、何だろう。そこにかかる不幸の形式を、六郎は今ありありと感知していた。
「……〽数万騎(すまんぎ)那須野を取りこめて草を分って狩りけるに。身を何と那須野の原に。顕れ出でしを狩人の。……」[やぶちゃん注:最後のそれは、謡曲「殺生石」のエンディングの地謡の章詞。この「狩人」の読みは、原拠では「かりびと」である。「殺生石」は五番目物の複式夢幻能で、五流で現行曲にある。作者不明であるが、日吉佐阿弥(さあみ)ともされる。玄翁和尚(げんのうおしょう:ワキ)が、供人(アイ狂言)を連れて那須野を通りかかると、飛ぶ鳥が大石の上に落ちるのを見る。呼びかけて出た女(前シテ)は、それは殺生石といって狐の執心だから近寄るなと警告し、美女となってインド・中国・日本の帝を悩ました昔話をして消える。和尚の授戒で大石は二つに割れ、中から本体を現した妖狐(後シテ)は、玉藻前(たまものまえ)に化けていたのを見破られ、逃げてきたこの原で退治されて執心の石となったことを演じるが、やがて和尚の法力に解脱して消え失せる。後シテを九尾の狐の冠を頂く官女の扮装とする演出もある。以上は小学館「日本大百科全書」に拠ったが、概ねの章詞はサイト「名古屋春栄会」のこちら、及び、小原隆夫氏のサイト内のこちらが読み易い。六郎の内面にある現実世界のあらゆる対象に対する執拗な拘り(特に自ら違和感を持ちながらの半肉感的・半性的な妄想的でフェェイシュなニュアンスを持つそれで、先のテツへの眼差しや、以下の「三」の冒頭にそれが強く感じられる)と、漠然とした死のカタストロフの予感がオーバー・ラップされてあるものと私には思われる。因みに、六郎がその前に呟く「両介は狩装束にて、か」という六郎の台詞の内の「両介は狩装束にて」は、正しく「殺生石」の章詞で、以上の「〽数万騎」の前にあり、さらにその前にシテの台詞で同じ「両介(リヨオスケ)は狩装束(カリシヨオゾク)にて」(所持する『新潮日本古典集成』の「謡曲集 中」(昭和六一(一九八六)年刊)に拠った)とある。ネット上の本謡曲の電子化では、中入のワキとアイの問答が、どのサイトのものも省略されているが、そこで過去の話がかなり具体に長く語られているのである。但し、それは本文の後半でもコンパクトに出てはいる。手っ取り早く言うと、小原隆夫氏の「殺生石」の冒頭の「玉藻前伝説」の項にあるように、美女「玉藻前」に耽溺した鳥羽院は、俄かに病いとなり、陰陽頭安部泰成を召し出して占わせたところ、「玉藻の前」が実は「九尾の狐」と判明し、彼女は消え失せるのだが、鳥羽院はそれを信じようとしなかったものの、自体の深刻さから、『妖孤が那須野に逃れたことを知った朝廷は、東国の武将上総介』(かずさのすけ)『と三浦介』(みうらのすけ)『に妖孤退治の勅を下し、八方の軍勢を遣わす』のである(「殺生石」本文の章詞にも結果して『その後』(のち)『勅使立つて』『綸旨なされ』と出る)。その後、紆余曲折があるが、二人の武将が鍛錬を尽くし、而して、再度、『妖孤退治に臨』み、遂に『両人は』『九尾の狐を射止めることに成功する』という過去の事実が示されるのである。さて、この台詞の「両介」とは、以上の通り、原謡曲本文では、その退治した名武将上総介と三浦介の「両介」の意なのである。それを六郎は、鍋島両介の名に洒落を掛けて、ぽつりと口に出したのである。梅崎春生の小説作法としては、「能」の予備知識なしには、到底、判りに得ないものであって、彼としては、かなり珍しい仕儀であるとは言える。但し、例えば、「猫の話」(単独PDF版)に唐突に出て、何の解説もない「詩経」の「国風」の一篇「蟋蟀」(しっしゅ)の二句「蟋蟀在堂 歳聿其莫」の超難解なケースもあることはある。なお、当該句については、私の『梅崎春生「猫の話」語注及び授業案』(PDF)を参照されたい。]
三
沓(くつ)脱ぎから縁側にあがり、そのまま燈もともさず、小野六郎はしずかに片膝をたてて坐った。座蒲団をしかないので、冷えた板敷にふれて、脚の骨がごりごりと鳴った。そして六郎はしばらく、さっき鈴子が小走りに帰って行った長者門の方角を、ぼんやりと眺めていた。門のあたりから外にかけて、暮色が濃くただよい始めている。
風がかすかに立って、南天の葉をひらひらと動かしてくる。
やがて六郎は臂(ひじ)を伸ばし、鍋島両介から贈られた酒瓶を、膝もと近く引きよせた。透明な液体が瓶のなかで、ゆたゆた揺れるのが判る。手酌で湯呑茶碗になみなみとみたすと、彼は鼻の前でその匂いを確め、ゆっくりと一口含んでみた。芋焼酎特有の味と匂いが、口腔いっぱいにひろがってくる。なまぐさい後味をのこして、それは咽喉(のど)をすべりおちて行った。
「さっきは、妙な具合だったな」
湯呑みを下に置きながら、六郎は思う。鍋島鈴子の頰の触感が、まだ六郎の唇の皮に、まざまざとのこっている。
――あの時鈴子は、短い驚きの叫びをたてて、顔を横にそむけたのだ。だから六郎の唇は、鈴子の唇にかぶさらずに、いきなりなめらかな頰につき当ってしまった。あの大きな笑くぼがうかぶ、頰のその部分に。六郎の両手に抱きすくめられて、鈴子の胸や胴が、緑の毛糸のセーターの下で、はげしくねじれ動いた。かなり長い時間だったような気がする。鈴子の頰の皮膚は、軟かくつめたかった。なめし皮にも似たその感触を、六郎はその間、自分の唇だけでなく、前歯の表面ででも確めていた、と思う。
「唇が割れて、歯が露われていた、とすれば」六郎はまた湯呑みをとり上げながら呟(つぶや)いた。「――おれはその時、わらっていたのかな?」
その感じを顔の筋肉に呼びもどそうとして、六郎はうす暗がりの中で、ひとつの妙な表情を拵(こしら)えていた。そしてそのまま、湯呑みを唇にあてて、一息にかたむけた。密度のある液体が、また舌や咽喉(のど)に抵抗しながら、食道に流れおちて行く。しばらくして腸の部分部分に、熱感が追っかけるように走ってきた。
(おれはどう言うつもりだったのだろう?)
猿の檻の前で、あの時六郎は、鈴子とむき合っていた。鍋島両介のことなどを、話し合っていたのだ。鈴子は片脚に重心をもたせ、ひどく疲れた感じで、そこに佇(た)っていた。そして何気ない会話にはさんで、投げやりな短い笑い声を立てたりした。その度に頰にうかぶ笑くぼの翳を、ある惨酷な感じで、六郎はぬすみ見たりしていたのだが。――そしてぽつんと会話がとぎれた。しばらく斜めにうつむいて、檻の猿を見ていた鈴子が、なにか言おうとして、ふいに顔を上げた。白い顔が眼の前で、花のように揺れた。ある衝動とともに、六郎は二三歩踏み出して、予行演習のようにぎごちなく、鈴子の体軀を抱きすくめようとした。短い叫びと一緒に、鈴子の上半身が六郎の腕の環のなかで、いきなりくねくねとよじれた。女の匂いがつよく。――その瞬間六郎は、自分を駆りたてた衝動と思ったものが、じつはどこかで計算され組み立てられた疑似の衝動であるらしいことを、はっきり感じてしまっていた。しかし彼は腕をとかず、鈴子のそむけた頰に、そのまま唇を押しつけて行った。そこにあるものを、とにかく確めよう、とするかのように。――
「条件は、そろっていた、と思ったんだがなあ」
六郎はゆっくり立ち上って、電燈の位置をさがした。酔いがだるく下肢にきている。スイッチをひねると、四周にぼうと黄色い光がにじんでくる。近頃ひどく電圧が低下しているのだ。しかし六郎はわざとらしく、まぶしそうに目を細め、うす笑いの顔になりながら障子をあけて台所に入って行った。台所には、誰もいない。テツは昼頃から外出して、まだ戻ってこないのだ。どこに行ったのか、六郎も知らない。行先を知らせ合う習慣も、もとから二人の間にはなかったのだが。――暗い台所のすみで、六郎の手探る指にふれて、小鍋の蓋や戸棚の引手が、カタカタと音たてて鳴った。そこらでかすかに韮(にら)の匂いがした。
「条件もなにも、始めからなかったんだ」
やがてまた縁側に戻ってきて、足をだるく投げ出しながら、六郎はそう考えた。条件と言っても、日が昏(く)れかかっていたとか、テツが不在であることとか、そんなことではなかった。急流で筏師(いかだし)が、材木から材木へ飛び移る、その瞬間の気息のようなもの。その類似のものがたしかに、あの時の自分にあった、と思う。しかしそれも、そんな気がした、というだけの話ではないのか。どうもそうらしい。たとえば味噌のカラニタチみたいな。――
(しかし、あの女の肩胛(けんこう)骨は、へんに大きかったな)
なにかにがにがしい気がして、六郎はふたたび湯呑みに手を伸ばした。そしていま台所から探し出してきたビスケットの袋を、ざらざらと膝の上にあけた。見ると小さなビスケットはそれぞれ、象や鳥や猿の形につくってあった。片側に色砂糖をのせているやつもいる。そのひとつをつまんで、彼は口のなかに入れてみた。芋焼酎に溶けて、それは妙な感触を舌につたえてきた。歯科医が用いるセメントの味にも似ていた。薬品的な甘さが、いつまでも舌の根にのこる。六郎は無感動な顔付きで、丹念にひとつずつ口にほうりこみながら、その合い間に思い出したように、湯呑茶碗を唇にもって行った。旨さも不味(まず)さもない、ただ摂取(せっしゅ)するという感じだけで。――
しばらく経った。そして酔いがすこしずつ、身内から四肢へ発してくるらしかった。あちこちの筋肉が、ゆるゆるとほぐれてゆくのが判る。六郎はちいさく貧乏揺ぎをしながら、不安定な瞳をしきりにあちこち動かしていた。さっき鬚剃(ひげそ)りに使用した手鏡が、三尺ほど隔てた縁側のすみに、こちら向きにひっそり立っている。六郎の眼はたまたまそこに落ちた。ぼんやりと自分の顔が、そこに映っている。黄黒い感じのその顔は、何かを懸命に思い出そうとする表情で、不確かな鏡面の奥から、じっと六郎を見据(す)えている。かるい戦慄が、六郎の背筋を走りぬけた。[やぶちゃん注:「貧乏揺ぎ」「びんぼうゆるぎ」。貧乏揺すり。]
やがてかるく舌を鳴らし、六郎は猿臂(えんぴ)を伸ばして、手鏡を横にカタリと伏せた。そして赤らんだ瞼をしばたたきながら、焦点の定まらぬ視線を、どんより暗い庭の方にねじむけた。――先刻から酔いとともに、頭のなかを執拗に、謡曲のひと節がしきりに高まっては消えてゆく。
「――両介は狩装束にて。両介は狩装束にて数万騎那須野を取りこめて草を分って狩りけるに。――」
――酔った意識の入口に、ぼんやりと鍋島両介が立っている。六郎はいま漠然とそれを感じた。そこから見詰めてくる、うながすような、いどんでくるような、架空のつめたい眼を。――六郎は庭の暗さから顔をそむけ、湯呑茶碗に意思のない視線を戻した。黄色い電球の倒影が、焼酎の表面に小さく映っている。逆さに凝縮して、かすかに揺れている。六郎はそれを見た。現実のものでないその美しさが、火花のように彼をとらえた。弛緩(しかん)した笑いを頰にはしらせながら、彼は足裏をつかって、湯呑みをむこうに押しやり、そのまま脚を引きよせて片膝たてた。食べ残したビスケットが五つ六つ、膝から板敷きへ、ころころと転がり落ちた。
「――さて。さて」
[やぶちゃん注:これも六郎自身の呟きでは、ない。「殺生石」の一本で、中入前の自らを玉藻の前と名乗るコーダの直前に出るものである。サイト「名古屋春栄会」のそれを引く。
*
ワキ「さてさてかように語りたもう。おん身はいかなる人やらん。
シテ「今は何をかつつむべき。そのいにしえは玉藻の前。今は那須野の殺生石。その石魂にて候うなり。
ワキ「げにやあまりの悪念は。かえって善心となるべし。さあらば衣鉢を授くべし。同じくは本体を。二度現わしたもうべし。
シテ「あら恥ずかしやわが姿。昼は浅間の.夕煙の。
地謡「立ちかえり夜になりて。立ちかえり夜になりて。懺悔の姿現わさんと。夕闇の夜の空なれど。この夜はあかし灯火の。わが影なりとおぼしめし。恐れたまわで待ちたまえと.石に隠れ失せにけりや。石に隠れ、失せにけり。
*]
耳朶(じだ)のうしろの血管が、じんじんと鼓動を打っている。その単純なリズムが、記憶のなかから、あるひとつの抑揚を誘いだしてくる。すこしずつ調子がはっきりしてくる。永いこと謡い忘れていたその抑揚は、若い日の鍋島両介の像を、おどろくほど鮮明に、六郎の胸によみがえらせてくるようであった。(もう十五年にもなるかしら)酔いにたすけられて、束の間の感傷が、六郎のなかでかすかにうごき揺れた。夜風がつめたく頰にふれる。テツはまだ戻ってこない。膝をかき抱くようにして、六郎は眼をつむり、しばらく気息をととのえていた。なんだか少しやり切れない。へんに熱っぽく、重苦しい。その気分をごまかすように、六郎は意識的に口をとがらせ、頭にひらめく抑揚に合わせて、しずかに声を押し出そうとした。しかしその意図に反して、彼の口から洩(も)れ出たのは、低くしゃがれた咽喉(のど)の響きにすぎなかった。瞼をかたく閉じたまま、しかし彼は強引に、その不確かな調子を押し進めようとした。
「――草を分って狩りけるに。身を何と那須野の原に。顕(あらは)れ出でしを狩人の。追っつまくっつさくりにつけて。矢の下に。射ふせられて。即時に命を徒に」
[やぶちゃん注:「分って」は「わかって」。「追っつまくっつさくりにつけて」は『新潮日本古典集成』の「謡曲集 中」の本文では、『追ふつくつつさくりにつけて』で、注によれば、『「追ひつまくりつ」の音便で、オッツマクッツ。「まくると云は、犬と馬との間遠き時、犬に近くあはんとて、手綱をつかひて馬を寄する事を云也」(『犬追物付紙日記』)』とある。「徒に」「いたずらに」。]
……ああ高等学校の裏手の、だだっぴろい素人下宿。そこの隠居の老いたる能楽師、古ぼけた鼓の音。枸橘(からたち)の垣根にかこまれたうす暗い部屋。母屋から流れてくる漢方薬の匂い。朽ちかけた竹の濡れ縁。そこに下宿している文科生徒の自分の姿。同じく鍋島両介のこと、など。一昔前のそれら風物や雰囲気が、今あやふやな声の抑揚にのって、六郎の酔った意識の面に、きれぎれに浮んできた。
「那須野の原の。露と消えてもなお執心は。この野に残って。殺生石(せっしょうせき)となって、人をとる事多年なれども――」[やぶちゃん注:同じく「殺生石」の前の引用に続く全体のコーダの一節。]
あるもどかしさが、とつぜん六郎を駆りたててきた。ふいに声がとぎれた。そのまま彼はうながされたように、ゆらゆらと立ち上った。そして腰をすこし引いて、不器用に身構える姿勢をつくった。
「こんな型だったかな」
うろ覚えの記憶をたどって、舞うつもりである。このひとくさりの仕舞の型を、彼は一昔前、あの下宿の能楽師から教わったことがあった。その記憶を手足の動きに確めながら、六郎はいきなり二三歩部屋のなかに踏み入った。脚がふらふらする。酔いに乱れた頭のなかで、まさに演技に入ろうとする自分自身の姿勢を、六郎はその瞬間はっきりと自覚した。その自覚が、彼の動作をやや活潑にした。舞いの記憶もあやふやなので、低声で文句を口吟(くちずさ)みながら、彼はわざと畳を鳴らし、徒手体操のように乱暴に手足を動かした。トンと足踏みする。両手を蟹のように構えて、すり足で前へ進む。くるりと廻る。なにかを抱くように、双手を内側によせる。
(あれはまずい演技だったな)
鈴子を抱きしめた時の感じが、ふとした動作の聯想で、強くよみがえってくる。ちりちりした髪の感触、肌の色とほのかな匂い、はげしく揺れ動く胸の厚み、双の肩胛骨(けんこうこつ)のぐりぐりした動きなど。それらが突然なまなましく、皮膚の表面に戻ってくる。前後を切り離した、それのみの感覚として。――そしてその感覚が、なぜか急に混乱したように、二重にずれてぼやけるのを、六郎は瞬間に感知した。意識の人口に立つ鍋島の幻像が、その時ひとつの焦点のなかに、急速につかつかと歩み寄ってくるのを彼はかんじた。
(鍋島が鈴子を抱く。あるいはその感じを知らず知らず、おれは探っていたんだな)
六郎の身体は弓を射る形となって、なにかを追っかけ廻すように、部屋をななめに勢いよく動いた。ふと立ち止って、はずみをつけてクルクル廻る。瞬時にしてこんどは射られる側となり、両手を大きく振り廻し、片足を上げて、すばやく体を一回転する。いきなり高く飛び上り、中空で脚を組んで安坐の姿勢となり、そのまま物体のように落下する。かたい畳が、ぐんと尻を衝(つ)き上げてくる。たけだけしい快感が、そこにあった。たちまち六郎ははね起きて、当初の姿勢にもどり、また同じコースを動き始める。その演技の中だけの充足感が、やがて彼のすべてを領してきた。着物の下で、彼の肌はしっとりと汗ばんできた。矢の下に射伏せられ、石となる瞬間の感じは、あの故知れぬ韜晦(とうかい)の快感に酷似していた。同じ動作を、執拗に彼はくりかえした。
[やぶちゃん注:この最後の段落で六郎が演ずるそれは、「殺生石」の終盤の演舞のいかにも痛そうな、それである。YouTube の『いしかわの伝統芸能WEBシアター「能」』の「殺生石」(宝生流)の27:00以降で見ることが出来る。なお、以上の部分を読むと、鍋島両介と小野六郎は旧制高校時代以来の友人であることが、判ってくる。これは「一」の初めの方でも匂わせられてあり、さらに言えば、両介の妻鈴子をも、六郎は彼女が結婚する以前から両介の紹介で知っていた雰囲気が濃厚である。「一」の最初の方の六郎の台詞「猿って、あの地方のやつだな。きっとそうだろう。あの山には、猿が沢山いたからな。そいつは奥さんの方の――」を、「あ。鈴子のだ」と、鍋島が『かるくさえぎった』という部分が、それを強く示唆しているのである。而して、現在時制の主人公が、精神的にどこか病んでおり、戦中を回想し、さらにその戦前の旧制高校時代を想起するという構成は、まさしく「幻化」のそれと酷似していることに気づく。「幻化」では、名を伏せた旧制高校が、ロケーションから、梅崎春生の履歴と合致する熊本五高であることが判然とするし、そもそも、そちらでは、作者梅崎春生自身、主人公久住五郎が自身の分身であることを、全く隠そうとする雰囲気は皆無であるが、本篇にしても、小野六郎の異様な注視による観念的関係妄想は、精神医学書からの借り物ではなく、まさに作者自身が体験している事実実感を的確に叙述しているという印象を与える点で、二作は、全体の構成や叙述法にあっては、全く距離がない双生児に近いと言ってよいのである。されば、本作は、ある意味では、「幻化」へと発展することになる、準備稿的なものであったのではなかろうか? そう仮定する時、先の「基地隊」というのは、梅崎春生が配属された佐世保相ノ浦海兵団本部、或いは、その後に転々とした九州の海軍基地の通信隊、又は、終戦を迎えた桜島の「回天」特攻秘密基地であると、比定し得ることになるのであり、また、「あ。鈴子のだ」すぐ後に「あの頃あの基地隊のうしろの山」以下が六郎の内心として語られることからは、この鈴子の郷里も九州であることが同じく確定すると言える。]
四
小野六郎は、病気になった。
はじめ腰から大腿部へかけて、筋肉の感じが、すこしずつ変であった。と思ううち、しだいにそれは、にぶい痛みとかわってきた。なにか重いものを、そこらに押し込まれたような、不快な圧痛である。起きていると少しつらいので、朝から床をとって、六郎はじっと横になっていた。そして、布団を頤までかぶせ、眼をうすく開いて、庭の景色をぼんやり眺めていた。痛みが気になって、食慾はほとんどなかった。熱もいくらかあるようだ。ものの形がうるんで見える。不快な状態のまま、午後になった。布団のなかに背をまるめて、いつか六郎はうとうとと眠りに入っていた。
そうして眠っている間に、痛みは急速に強まってきたらしい。二三時間経って、おびただしい盗汗に目覚めながら六郎はすぐそれと気付いた。なにげなく身体をうごかすと、ギクリと腰に響いてくるものがある。じっとしているぶんには、さほどでもないが、不用意に姿勢を変えようとすると、痛みがそこから猛然と発してくる。思わず呼吸をつめるほどの、はげしい痛みだ。骨かその付近の、とにかく身体の深部に、その痛みはうずくまっているようであった。[やぶちゃん注:「盗汗」漢方医学で「とうかん」と読むが、私は素直にそれとイコールの「ねあせ」(寝汗)と読みたい。]
「あれが、悪かったのかな。あの飛上り安坐が」
厠(かわや)に立とうと思って、ぎくしゃくと柱につかまり、やっとのことで中途半端な姿勢になった。そしてその途中で、悲鳴をあげた、と六郎は思う。そのまま立ち上ることも、元のように坐ることも、出来なくなってしまった。今の姿勢では、どうにか痛くないが、どちらへちょっと動いても、激烈な痛みが予想される。痛さと痛さの谷にはさまれて、六郎はひよわなカマキリのように、柱にしがみついて硬直していた。不自然な中腰なので、手やふくら脛などが、その形を保つ無理な努力で、すこしずつ痙攣(けいれん)してくる。台所からテツが出てくるまで、顔に汗をにじませながら、六郎はその恰好でいた。テツの無感動な声が、直ぐうしろでした。
「どうしたの」
「こんな恰好(かっこう)に、なってしまった」
柱を見詰めながら、六郎は低く笞えた。笑おうとしても、うまく笑えなかった。その笑えないことが六郎に、つよく敗北をかんじさせた。姿勢はそのまま、片手を用心深く、柱から離しながら、
「ちょっと、肩を貸して呉れ」
テツの肩や腕にたすけられて、そこにしゃがみこむまで、まる二分間かかった。ひどく骨の折れる作業である。体をそろそろ倒して、布団に平たくなりながら、六郎はうめくようにして言った。
「医者を、たのむ」
「どこを、どうしたの」
「筋を違えたらしいんだ」
「どこ?」
テツの掌がそこに辷(すべ)って、その部分をかるく揉(も)むように動いた。六郎はいらいらしながら、身体を伏せたまま、じっとしていた。テツは掌をはなして、しずかに立ち上った。そこらをすこし歩き廻る音がして、やがて庭からひっそりと出てゆく気配がした。
医者を呼びに行くには、長すぎるほどの時間が経った。テツはなかなか帰ってこなかった。[やぶちゃん注:或いは、梅崎春生の年譜を見たことがある方は、彼が、晩年に、かなりの骨折をしているを覚えておられるかも知れないが、あれは本篇公開から十二年も後の昭和三七(一九六二)年十月のことであるので、違う。底本別巻の年譜によれば、同年十月、『子供とふざけて転倒、第十二胸椎圧迫骨折、さらにギックリ腰ともなり難渋する』とあるのが、それである。]
しかしその間に、彼はしだいに、先ほどのいらだちから解放され、ふしぎに平静になってゆく自分をかんじた。それはおおむね、いまの自分の姿勢からきている。その自覚も、同時に彼にあった。彼は胴体や足をうつ伏せにして、頭だけを横にむけていた。右の耳たぶが折れたまま、固い枕に押しつけられている。そこの血管の蠕動(せんどう)につれて、時間がのろのろと動いてゆくのが判る。縁さきにやぶ鶯(うぐいす)の声が聞えるが、この位置から姿は見えない。見えるのは障子に区切られた、縦細い庭の一部だけだ。猿の檻の檐(のき)に、サルスベリのぬめぬめした梢が、何本もくねって伸びている。彼の眼にはその風景も、うるんだ膜を冠っているように見えるのだが。そして彼はしずかに考えた。
(ここには誰もいないな。誰も――)
鋏をもがれ、脚をくくられたドブ蟹。ただ待つだけで、自分から動いたり働いたりする機会を、すべて失った状況。それを六郎は自分に感じた。それを自分に課して感じることで、彼は今ひとつの平衡をとらえていた。ひらたく布団に腹這(ば)ったまま、彼はやがてその平衡を、あぶなくたのしみ始めていた。身体の平衡だけでなく、精神のそれをも。これがいつもの自分のシステムだ。いつもここに安坐してしまう。しばらく虚脱したように、全身の筋肉をゆるめながら、六郎は物憂(う)くそう考えていた。自らを尿器に擬することで満足を得る、ある種の性的変質者のやり方に、それはどこか似ている。そう思うと、ある弱い笑いが彼の咽喉(のど)に、泡のようにこみ上げてきた。
そのままで、また長い時間がすぎた。台所の方で下駄を脱ぐ音がする。上げ板がカタリと鳴った。
やがてそこから、畳を踏む跫音(あしおと)が、やわらかく近づいてくる。耳をぴったり枕につけているので、その撓(しな)やかな跫音は、骨のないようなテツの素足の感じを、じかに六郎の神経に伝えてくる。
「加減はどう?」
黒っぽい袷(あわせ)をきたテツの身体が、視野の端にあらわれて、ゆるゆると近寄ってきた。臙脂(えんじ)色の半幅帯が、結び目がすこしゆるみ、垂れた端がかすかに揺れている。六郎の眼はそれを見ていた。そしてテツのなじるような声で、
「何をわらっていらっしゃるの」
「何もわらってやしない」
顔を動かさず六郎はこたえた。
「じゃ、もうおさまったの」
すこし経って、そこにしずかに坐りながら、テツが訊ねた。六郎は瞳だけを動かして、テツの顔を見上げていた。薄い眉毛。距離のひらいた双の大きな黒瞳(くろめ)。いつもは童女的なその顔の輪廓が、下から見上げるせいか、妙に成熟した色と匂いをたたえている。六郎は痛みを誘い出すように、わざと眉をしかめながら、しゃがれた声で言った。
「やはり、痛い」
「そうでしょう。あんな真似をするんだもの」
それからテツは、一昨夜の六郎の「飛上り安坐」について、ちょっと非難めいた口振りをした。
「あんな乱暴なことをするから、筋を違えたりするのよ。あれはなに?」
「乱暴じゃないさ」
「乱暴よ。あそこの根太が、すこしゆるんでるわ。あるくと、ゆらゆらする」
あの夜、テツはいつ頃、帰ってきたのだろう。それまでどこに行っていたのかも、六郎は知らないのだが。――焼酎の酔いに乗り、座敷いっぱい殺生石(せっしょうせき)を舞っていて、ふと気がつくと、縁さきの暗がりにテツが立って、こちらを見ていたのだ。通りすがりに立ち止って、なにげなく眺めている、そんな感じであった。それだのに、それまで自分の動作を演技だと、はっきり自覚していたくせに、その無造作な視線にあっただけで、なぜか動作の根源にあるものが、みるみる萎縮してしまうのを六郎は感じていた。へんな抵抗を覚えながら、六郎は舞いやめた。そう言えば、あの時舞っていた時も、強く足ぶみすると、畳がぐらぐらしていたような気がする。酔っているせいとばかり、六郎は思っていたのだが。
「あれはああいう、仕舞の型なんだ」
「上から落ちてくるのも、それ?」
「そう。あれで尾骶骨(びていこつ)でも、打ったかも知れない」
「そうでしょ。根太がとっても、ぐらついてる」[やぶちゃん注:「根太」「ねだ」。床下に渡し、床板をのせて直接支える角材。]
表情のすくないテツの顔に、かすかに笑いがうかんでいる。根太がゆるんだことと、六郎が筋を違えたこと、その明快な因果関係を、こんどは単純にたのしんでいるように見える。袷が黒っぽいので、皮膚の色が白く浮き、光線のあたる半顔に、コノシロの腹の肌のような艶とあぶらをのせている。六郎はそれを上目使いに、ぼんやり眺めた。そして近頃テツの顔を、正面から眺める習慣をうしなっていたことに、彼はやがて気付いていた。六郎の視線を無視するように、テツは手をしなやかに曲げて、耳にかぶさった髪毛を、意味なくかき上げている。その動作のなかに、ある異質のものの投影をふと感じると、六郎はひるんだように顔を外らして、庭の方に視線をうつしていた。しばらくして、テツは身じろぎしながら、ふくんだ感じの声を出した。
「お医者さまより、揉療治の方が、よくはないの」
「うん」
「揉療治の方が、きっと利くわ。もうせん派出会にいた頃、あたしよく見たわ。その方がずっと、利くんですって」[やぶちゃん注:「派出会」恐らくは、一般家庭からの多様な求めに応じて出向いて、家事その他をする派出婦を派遣する組織であろう。]
「しかしまだ、病名も判らないんだから。とにかく医者に見せなけりゃ」
「あら。揉療治さんでも、診断できるのよ。それが専門なんですもの」
鶯が一羽、サルスベリの梢にとまっている。短く啼きながら、梢を小刻みに移動している。ふしぎなものを眺めるように、六郎の眼はそれを見ていた。鶯の黒っぽい尾は、啼声といっしょに、意味なくよく動く。
「お医者さん、呼んだのかね。おテツさん」
しばらくして、下半身は動かさないようにして、枕の上で顔の向きだけをかえながら、六郎は低い声で訊ねた。膀胱(ぼうこう)の辺が張っている感じだが欝然たる痛みに押されて、さきほどの尿意はすでに消えている。腰の容積が二三倍になったような、不安な膨脹感だけが、そこにあった。
「呼びましたよ、もちろん。もうじき来る筈だわ。揉療治さんも」
「へえ。それも頼んだのか。どこの?」
「そら、新しく看板が出てるでしょ。火の見櫓(やぐら)の下の――」
「ああ、釜吉さんの家ね。あれは、お内儀(かみ)さんのしごと?」
「いいえ。釜吉」
いやにはっきりした調子で、テツは言葉を切った。そしてゆっくりと庭の方を振り返りながら、あとはつけ足すように、
「根太のことも、頼んできたわ。ついでだから」
釜吉の家の小さな玄関に、白木の新しい看板がかけてある。それに六郎が気がついたのは、半月ほども前であった。それには勘亭流みたいな書体で、大東京指圧学校分校治療部、と大きく記してある。その文句の横に、いつでも治療依頼に応じることや、弟子を募(つの)るという意味のことが、細字でつけ加えてあったようである。通りすがりに始めてそれを見たとき、釜吉のお内儀の内職かと、ふと六郎は考えてみたが、それをその看板では、たしかめずに終っていた。釜吉の女房は釜吉よりも五つ六つ年上で、闇の主食などをこっそり取扱っている。頰がひらたく蒼白で、不自然なほど髪の多い女だ。頸のうしろでそれを束ねているが、豊穣な毛髪は、切り立った耳朶(じだ)を覆うて[やぶちゃん注:ママ。]、なお左右にふわふわと張出している。疲れたふうにそこだけ赤らんだ眼縁から、なにか無表情な固い瞳が、まっすぐにこちらをのぞいているのだ。背が低いのに、つねに真新しいわら草履(ぞうり)をはいて、街をあるいている。巫女(みこ)か霊媒みたいな印象を、いつも六郎は受けていたのだが、その看板を見たとき、すぐ聯想(れんそう)がお内儀に結びついたのも、おそらくその感じからだったのだろう。指圧という字面の、どこかものものしい、押しつけてくる感じ。釜吉は大工なのだから、六郎のなかで無意識裡(り)に、その結びつきから除外されていた。――しかし今テツからそうと聞けば、あの勘亭流じみた書体は、まさしく釜吉の感じにも、つながっているようだ。指圧師釜吉の風態が、そっくり浮び上ってくる。そう思うと、あちこちの筋肉がひとりでに小刻みに動き出すような、妙な感覚におそわれて、六郎は思わず枕に頭を立てた。痛みがぐきりと、腰の蝶番(ちょうつが)いにひびく。彼は鼻翼にうすく汗をにじませ、ゆるゆると顔を横に伏せながら、ひとりごとのように言った。[やぶちゃん注:「眼縁」ルビがないが、「まぶた」と当て訓しておく。「目の縁(ふち)」の意で「まなぶち」「まなぶた」「まぶち」などとも読む。]
「――大工じゃ、食えないのかな。そうだろうな。しかし、いつ指圧などを、あいつは覚えたんだろう」
「軍隊ででしょ」
庭の方に顔をねじむけたまま、テツが返事をした。長者門の方角で、自転車がとまったらしく、鍵をかける音がカチャカチャと聞えてきた。そして跫音が庭に入ってくる。
「そう言えば、材木だって、人間の身体だって、まあ同じようなもんだからな」
妙なところで丹念な釜吉の仕事ぶりを、六郎は今思い出していた。たとえば材木に穴をあけるにしても、組み上がれば穴は見えなくなるのに、その穴の内側や底まで、なめらかに削らねば承知しない。鉋(かんあ)を磨くとなれば、半目も費やして、剃刀みたいにとぎ上げる。浣熊(あらいぐま)のやり方みたいな、そんな神経質な丹念さを、釜吉は一面に持っている。雨蛙みたいなあの風貌や、不細工にふくらんだ胴体。関節がないような感じの、短い筒に似た指。あの指先が、と六郎はぼんやり考えた。あれがどんなふうに動いて、他人の肉体のあちこちを押えるのだろう。そこまで考えたとたんに、不随意な戦慄が背筋をちらと走りぬけて、あわててそれを断ち切るように、向うむきのテツの白いうなじに、彼は自分のでないような声で問いかけていた。
「さっきは、釜吉の家に――お内儀(かみ)さん、いなかった?」
「いいえ。――あら、お医者さまよ」
縁側でいそがしそうに靴を脱いで、せかせかと小さな老人が、部屋に上ってきた。外套のまま枕許に坐ると、懐中時計をとり出してキチンと膝の上に置き、革鞄をがちゃりとあけて、もう気早く聴診器を引きずり出している。そしてそのゴムの部分を、掌にくにゃくにゃ巻きつかせながら、どんな雰囲気にもぬっと闖入(ちんにゅう)して意に介しないような、れいの職業的な口調で、
「如何ですな、具合は」
六郎はかんたんに病状を説明した。しかしその説明も、老医師はほとんど耳に入れていない風である。形式的にうなずくふりはしているが、身体はしきりに働いて、脈を取ったり、鞄から検温器を出したり、いきなり手を伸ばして、説明中の六郎の眼瞼をひっくりかえして見たり、とにかく寸時も恂き止まなかった。その忙がしい動きのおかげで、あらかたの診察は、それから五分ぐらいで済んだ。[やぶちゃん注:「闖入」突然、無断で入り込むこと。]
「こりゃ、坐骨神経痛だね」
検温器や聴診器をひとまとめにして、ごちゃごちゃと鞄に押しこみながら、医者は早口に言った。
「よくある病気ですよ。注射でもしときますかな」
診察中はすこし乱暴に、下半身を押したり突かれたりしたので、やっと苦患(くげん)に離れた思いで、六郎は眼を開いた。医者は注射器をとり出して、筒の辷(すべ)り具合をしらべている。赤ん坊の腕ほどもある、太い注射筒だ。その先についた鈍色(にびいろ)の針の形を、決着しない気持で六郎は眺めた。針の長さは、二寸位もある。
「それから患部は、あっためたがよろしい。懐炉でいいでしょう」
アンプルを切る医師の姿にかさなって、その背後に、白っぽいものが動くと思ったら、いつの間にか縁側に、釜吉がちゃんと坐っていた。身幅の狭い白い上っ張りを、引詰めるように着て、両掌をきちんと膝にのせている。律義な侍従のように、取り澄ました顔をやや傾け、眼をちろちろと動かしている。いつやって来たのか判らない。何時間も前から待っていると言ったふうに、しごく沈着な態度で、いかにも神妙に控えている。と見たとき、その神妙さがとたんに崩れ、首がのり出すようにゆらゆら伸びて、医師の肩越しに、六郎の裸の腕をのぞいてきた。その翳(かげ)りのない巨きな黒瞳に、動物的な好奇の色がはっきり浮んでいる。その瞬間前肘部(ぜんちゅうぶ)の一点に、六郎はチクリとするどい痛みをかんじた。
[やぶちゃん注:「引詰める」「ひっつめる」。「巨きな」「おほきな」。]
上膊をゴム紐(ひも)できつく緊縛(きんばく)され、青くくっきり浮いた正中静脈に、針が半分ほども突きささっていた。そこから薬液がすこしずつ、用心深く体内に入ってゆく。しばらくすると咽喉(のど)の奥の奥から、湿った灰みたいな妙な匂いが、不快な温感をともなって、口腔いっぱいにひろがってきた。
「やはりこんな病気は、ころんだり蹴られたりして、起るものですか?」
注射が三分の二ほど済んだ頃、聞いておかねばならないつもりになって、六郎は訊ねてみた。六つの眼が自分の肉体の一点にぞそがれていることが、なにか面白くない気持である。
「ほとんどそうじゃないね。そういう場合は、ごく稀れですよ」
ポンプを押す手をひと休めして、医者は額の汗を拭った。小量の血が、紅い煙のように、注射筒に逆流するのが見える。医者のうしろで釜吉が、詰めていた息をはき出す鼻音を立てた。それは変に肉体的な、色情的と言っていいようなものを、六郎に感じさせた。その感じは、せんだって鍋島が釜吉について語ったことと、つよく関連していた。その時テツが側から口を出した。[やぶちゃん注:「せんだって鍋島が釜吉について語ったことと、つよく関連していた」これに相当する記載は、これ以前には、ない。私は当初、この「鍋島」は「一」の後半で、《二瓶》が釜吉を評した「あいつはね、君、曲者(くせもの)だよ。」と言ったのを、梅崎春生が《鍋島》に勘違いしてしまっているのではなかろうか? と疑った。それは戻って読めば判るように、この二瓶の釜吉への批評は、それ以前に『鍋島が二瓶を評した言葉』『とそっくり同じであ』って、鍋島は以前に二瓶と初めて小野の家で逢い、二瓶が帰った後に、「今の男はただ者じゃないな」「とにかく一筋縄でゆく男じゃない」と二瓶を批判した、とあるように輻輳構造になっているからであった。だが、「せんだって」と言う言い方では、如何にもそのシークエンスは離れ過ぎているようにも見える。結論を言うと、これは梅崎春生の錯誤ではない。以下、読み進められれば、判る。則ち、ここは所謂、「倒叙法」をとっているのである。]
「でも先生、二三日前すこし酔って、ひどく飛んだり跳ねたりしましたのよ」
「それとは別でしょう。おそらく」
残りの薬液が注入される短い間、ふと白けてからっぽになった頭の中に、ある図式のようなものを、六郎はちらと感じていた。人間や人間関係から、いろんなものを捨象した、かんたんな線の組合せみたいなものを。しかしそれら交叉(こうさ)のなかに、彼は入ってはいなかった。彼自身はいつかその図式を離脱して、こちらの岸に立っている。――六郎は注射器から眼をそむけた。しばらく医者の顔からテツヘ、テツから釜吉へ、釜吉の顔から医者へ、ただ見るだけの視線を、ゆるゆると這わせていた。そしてやっと注射が済んだ。自分が妙な笑い顔になっているのを、そのとき彼はぼんやりと自覚した。頰の肉の感じとしては、それは作り笑いに似ていた。
「さ。これでよし、と」
道具を手早くかたづけながら、老医者はもう中腰になって言った。
「これで、明日まで、様子を見ましょう」
「いそがしい先生ね」
医者が靴をつっかけて自転車で帰ってゆくと、テツが待ちかねたように口を開いた。
「今の注射、利(き)いたかしら。痛みは、どう?」
「さあ。医者ってどれも、あんなものだろう」
縁側では釜吉が、首を元のように戻して、ふたたび神妙な形に坐っている。両掌を膝にそろえたまま、ちろちろと上目使いして、こちらをうかがっている様子である。そしてしずかな声で、相槌(あいづち)を打った。
「医者ってみんな、あんなものでさ」
横臥して揉(も)んで貰う姿勢になったとき、痛むのは腰だけだと言うのに、全身を揉まねば効果がないのだと、釜吉は頑強に主張した。痛みはその部分に発するのではなく、他の筋から来るのが多いというのが、その言い分である。身体のことなら何もかも判っているぞ、といった風な口ぶりであった。それならば、それでもいいので、六郎は材木のように口をつぐんだ。釜吉のつめたい指が、まず六郎の首筋にかかる。
釜吉の指の力は、案外につよく、しなしなと粘着力があった。しかしその割には、深部に響いてこないようである。筋の押し方にも、初心らしい稚拙さがあった。テツは側に坐って、黙ってそれを見ている。六郎の身体にかぶさるようにして、首から肩、肩から背中と、丹念に押して行きながら、釜吉は怒ったような声で、しきりに医者の悪口をしゃべった。いまどきの医者は対症療法だけで、病理の根源を知らないというのである。その言い方も、言葉を重ねれば重ねるほど、どこか受売りじみてくるようであった。近頃どこかで速成的に、教わってきたらしい口跡である。またひっきりなしにしゃべることで、技の稚拙さをごまかしているようにも見えた。
「注射なんて、ありゃあほんとに、インチキなもんですよ」
「インチキかねえ」
「インチキですよ。瓦が飛んだところに、ベニヤ板貼りつけるみたいでさ」
押す手がしだいに腰部に移ってくると、さすがにそこらはひしひしと痛み響いて、六郎がうめいたりするので、釜吉の指の動きも、おのずと慎重になる風であった。慎重というより、あやふやという感じに近い、心もとない手付きになりながら、それの弁解のつもりか、釜吉は唐突に話題を変えて、身体の不完全さについて説明し始めた。人間の身体というものは、ふつう考えられているような巧緻なものでなく、ごく出来が悪い、不完全なものだというのである。
「てんでガタピシですよ。こんな人間を造った神様の気持が、あたしには、どうにも判らないや」
六郎は顔をしかめて、それを聞いていた。人間の身体はまるで、素人(しろうと)が設計した十五坪建築みたいだ、というのである。一つでいい器官が二つもあったり、役にも立たない器官があちこちに、飾りみたいに取りつけられていたりする。また生殖器と排泄器を兼用するような(ここらで釜吉は語調に力を入れた)、そんな節約した設計がしてあるかと思うと、その反面、背中みたいな広闊(こうかつ)な部位を、のっぺらぼうのまま放置してあったりする。内臓の配置にしても、立って歩くようには出来ていず、這って歩くのに適したように仕組んである。脛(すね)のあたりを圧しながら、そんなことを釜吉は言い聞かせるように呟(つぶや)いた。
「やはりまだ、立って歩くのは、無理なんだね。木組みもヤワだし、あちこち手が抜いてあるし、ね」
圧す指がずっと下ってきて、最後に蹠(あしうら)がくねくねと揉み立てられた時、六郎は衝動じみた笑いとともに、ある神経的な不安が全身を駆り立てるのを感じた。皆が知っていることを、自分ひとりが知らないでいる、そういう感じの不安に、それは似ていた。足指が一本一本引っぱられ、そして治療は終った。
「さ。これでいくらか、お楽(らく)になりましたでしょ」
釜吉は三尺ほど後すざりして、畏(かしこ)まった姿勢に戻り、しずかに莨(たばこ)をとり出している。テツが茶を入れに立ち上った。いつか痛みもどんよりと薄れ、事実いくらかラクになったようである。用心しいしい身体をおこし、やがて六郎はあぶなく床の上に正坐していた。痛みはラクになったけれども、すこしばかり忌々(いまいま)しい感じがないでもない。
「ありがとう。よほどいいようだ」
六郎も横をむいて莨を吸いつけながら、感じを殺してそう答えた。釜吉は鼻のわきに小皺(こじわ)を寄せて、うっすらと笑っている。足裏を揉(も)まれたときの、あの奇妙な不安定感が、ふたたび六郎の身体を茫漠(ぼうばく)とはしり抜けた。彼はわざとゆっくり手を動かしながら、声の調子をすこし落して、何気ない感じのつもりで問いかけていた。
「鍋島の家は、もうすっかり、出来上ったのかね?」
それはさっきから訊ねてみようと思っていた質問であった。しかし口に出したとたんに、無計算な悪意とでも言ったようなものが、かすかに胸に揺れ動くのをかんじて、六郎は言葉を切った。自分がそんな姿勢になっているということ、それが次の瞬間、ある不快な抵抗を彼にもたらしてきた。
「ええ。ええ。もう九分通りはね。建具さえ入れれば、結構あれでも住めますよ」
「広さは、どのくらい」
「建坪で、三十坪もあるかね。なにせ惜しいもんですよ。あと一息というところだからね」
「じゃ、何故あんたは、仕事を止めたの?」
「だって鍋島の旦那は、手間賃も呉れねえんですよ。指図だけは、さんざんする癖にね」
「そんなことかな」
少し腑におちた感じにもなって、六郎は独り言のように言った。
「そんなことかも知れないな」
「そんなことですよ」口をとがら廿るようにして、釜吉は復唱した。「金がない訳はねえんですよ。出し渋ってんですよ。いつもあの旦那は、パリッとしたなりをしてるしさ」[やぶちゃん注:太字「なり」は底本では傍点「﹅」。]
「そうかな。パリッとしたなりをねえ」
「しかしあの旦那の眼はへんだね。ありゃあただ者の眼じゃないね。妙にぎらぎらして、追いつめられたイタチみたいでさ」
そう言いながら釜吉の視線が、こちらをうかがうように、ちろちろと動いている。六郎は急にあいまいな笑い顔になって、ぼんやりと庭の方に注意を外(そ)らしていた。釜吉のその言葉から、鍋島の精悍な風貌や食い入るような眼付きなどが、まざまざと瞼の裡に浮んでくるようであった。なぜ自分のこの眼で眺めるより、第三者の眼を通じる方が、そのものの形がおれに髣髴(ほうふつ)としてくるのだろう。その思いもちらとひらめいただけで、すぐに六郎の胸から消えた。吸い捨てた莨の煙が、ちりちりと眼に沁みてくる。ぎごちなく膝をくずしながら、彼は気の抜けたような声でこたえた。
「あいつには、金がないんだよ、きっと」
「そうですかねえ」
「それですこしは、イライラしているんだろう。それとも、そんなふりをしてるのかな」
鍋島の事業がうまく行かず、その新築中の家も、二重三重の抵当に入っている。そのことを六郎は知っていた。ついこの間、はっきり知ったばかりである。しかし彼の事業の経営が、よほど前から下り坂になっていることは、いつか六郎もうすうすと察知していた。預った猿の月々の飼育料が、しだいに遅滞する傾向があったし、時折訪ねる鍋島の事務所の、どこか荒廃したような空気にも、そのことは感じられた。またそれよりも、彼にたいする鍋島の態度の変化に、それは微妙にあらわれてくるようであった。その微妙な推移は、もちろん他人には判らないことだし、あるいは鍋島自身もはっきりとは、自覚していないことかも知れなかった。しかし六郎は本能のように、鍋島の内部にひそむものの翳(かげ)を、いつも敏感にとらえていた。その暗いものの動きは、六郎の心の中ではっきりと、ひとつの危機の予感につながっていた。その翳のうごめきも、会うごとに少しずつ、その濃さを加えてくる気配があった。ことに酔った時の鍋島の眼は、その感じをかくすことなく、露骨にあらわしてきた。追いつめられたイタチのそれのように、おびえたような、うながすような、またいどんでくるような色をたたえて、ぎらぎらと光っている。あの夜もそうであった。猿の預り代を請求に、鍋島の事務所を訪ねた日のことである。それは十日ほど前になる。釜吉の話もその時出たし、家が抵当に入っていると知ったのもその夜のことであった。飼育料の請求に行ったのに、その金は呉れようとはせず、彼はだまって六郎を、近所の小料理屋に連れて行った。奥まった小部屋で酒を飲みながら、話のついでのように、鍋島がこう言った。
「あの猿はね、もう君にやるよ。売るなり捨てるなり、君の自由にしてくれ」
あまり何気ない言い方だったので、六郎はとっさに受け答えが出来ず、しばらく黙っていた。すると鍋島は咽喉(のど)の奥で、かすかに笑いながら、かぶせるように言葉をついだ。
「もうあいつも、君の方に、情がうつっているだろう。おれのところに引取る手はないようだな」
「家はまだ出来上らないのかい」
少し経って六郎はそんなことを訊ねた。
「釜吉が入っているという話だったが」
「あの男は、もう止めたよ。こちらから断ったんだ」
「なぜ?」
「おれの留守中に、あいつは鈴子に言い寄ったんだ」
鍋島の眼の奥に、暗く深い穴のようなものを、六郎は瞬時にして見た。その言い方も何気ない低い声であった。そして鍋島はうつむいて、グラスにかるく唇を触れている。そのうつむけた頭の地肌から、数多(あまた)の粗い毛根が、そこだけレンズで拡大したように、なまなましく六郎の眼に映じた。強い当惑に似た感じが、彼の胸をかすめた。釜吉が鈴子に言い寄る架空の状況が、六郎の脳裡に、へんにまざまざと浮んできたからである。次の瞬間、記憶の中の一片の形が、突然はっきりと彼の意識をとらえていた。いつか釜吉が庭で放尿していて、その時ちらと見た、その部分の原形であった。それは不自然なほど黒く、濡れたような艶をもって、今六郎の想像の視野の中空に、重々しく揺れ下っている。頭を振ってそこから逃れようとしながら、彼もまた手をグラスに伸ばして、同じ質問をくり返した。
「じゃ、家はまだ、出来上らないのかね」
釜吉を鍋島に引き合わせたのは、もともと六郎である。猿小屋の建築費を、直接の方がいいと考えて、釜吉を鍋島のところへ行かせたことがある。端緒はそこに始まったに違いなかった。
「おあ」
鍋島は顔を上げ、しばらくしてうなずいた。うす赤く血走ったが、いどむような光をはなって、じっと彼を見詰めている。こんな感じの鍋島の眼を、六郎はこの十五年ほどの間に、何度か見たことがあった。
「あれはほとんど出来上っているんだ。畳とか建具を入れさえすればね。あれはあれでいいんだ」
「じゃ直ぐ引越せばいいじゃないか」
「まあ、そんなことになるかな」
グラスに唇をつけながら、鍋島はそのままじっとして、なにかを思いめぐらしている表情になった。そして低く押しつけたような声で言った。
「そのことで、君にひとつ、頼みがあるんだ。きいて呉れるだろうな」
「頼み?」
「頼みというほどのことじゃない。何でもないことなんだ。つまり君が、おれの債権者になって呉れればいいんだ。カンタンな仕事だよ」
「債権者って、僕には金なんかないよ」
「そりゃ知ってるさ。貸して呉れと言ってるんじゃない。ただそういう恰好(かっこう)さえして呉れればいいんだ」
「恰好だけで、いいのかい」
「うん。そして執達吏を使ってね、あの家をさ、モロに差押えして貰いたいんだ」
それから鍋島はそのやり方について、簡単な説明をした。その説明では、六郎を仮装債権者に仕立てることによって、差押え物の売得金を、鍋島はほとんど自分の手に還元しようというのらしかった。鍋島もすこし酔っていて、舌がもつれたり、説明が前後したりしていたし、六郎もその方の知識が乏しいので、その要点がうまく摑(つか)めないでいた。説明が終ったところで、六郎は訊ねてみた。
「つまりね、あの家はもう、担保(たんぽ)に入っているという訳だね」
「そういうことになるね」
「じゃ君のそのやり方は、法律にも触れるわけだね」
鍋島はぎらぎらする眼をあげながら、とつぜん、つめたい笑いを頰に刻んだ。そして掌をたたいて、酒の追加を注文した。酒を運んできて、小女が去ってしまうと、六郎はも一度たしかめるように口を開いた。
「そのことを、君は今思いついたのかね」
「仮装債権者をつくるということをか?」
「いや。僕にその役割をふりあてる、ということをさ」
濁った太い声で、鍋島は笑い出した。そして瓶に手を伸ばして、六郎のグラスに充たしてやりながら、冗談めいた口調で言った。
「君は昔から、いつもおれの債権者だったよ。おれは何度も君から、いろんなものを差押えされたりしたよ。な。そうだろ」
その言い方は、よく判らないまま、妙に六郎の胸にからまってきた。六郎はグラスの胴を両掌にはさんで、酔った頭のすみで、しばらくその言葉の意味を考えていた。不自然な沈黙がきた。その沈黙のなかに、すべてがはっきりしないまま、なにかするどく脅やかしてくるものの気配を、六郎はありありと感知した。グラスを一息にあおると、自分が無抵抗な姿勢になるのを感じながら、それを立て直すように彼は口を開いていた。
「もひとつ聞くけれどね、それは僕じゃなくてはいけないのかね。他の人ではいけないのか?」
「君じゃなくては、駄目なんだ」
断乎とした口調であった。
なぜ、と問い返そうとして、六郎は口をつぐんだ。その気配を察したように、鍋島は彼を見据(す)えながら、声だけは急にやさしい調子になって、口早にささやいた。
「あ。そのことでね、近いうち、君のとこに行くよ。いつも家にいるんだろう」
おれを共犯に仕立てることで、犯罪に引きずりこみ、その上で鍋島は、すべてを暴露してしまうかも知れない。今もそのつもりかも知れない。ふとそう思いながら、六郎の眼はおのずから探るような色を帯びて、鍋島の手の指におちていた。鍋島はしゃれたシガレットケースから、莨(たばこ)を一本とり出して、いま卓上のマッチをすろうとしている。ふだんでも酒焼けのした大きな顔が、いっそう赫くなって、油を塗ったように精悍な艶をたたえている。マッチがぼっと音を立てたと思うと、粗悪な製品だったと見えて、箱の薬紙に火がつき、しだいに側面からめらめらと燃え始めた。鍋島は指でその端をつまんだまま、青白い火の色にじっと視線をおとしている。そしてひとり言のように言った。
「Though we weepか。こんなの、覚えてるかい。Though we weep and pawn our watchesさ。Two and two are four」
箱中の軸木に火がつき、シュッと小さい焔が四方にほとばしった。その瞬間にそれは鍋島の指から離れて、灰皿におちた。箱は灰皿の中で、青い焰をあげ、身もだえするようにくねりながら、しだいに黒くなってゆく。硫黄のにおいが鼻を剌してきた。
「Though we weep ?」
「そう。and pawn our watchesさ。Two and two are four」
「パロディかね」
「忘れたのかい。高等学校のとき、習っただろう。なにかのエッセイの中にあった文句さ。そら、川島教授のさ」
「どうも思い出せないね。しかし君は、よく覚えてるんだな。十何年前のことを」
「そりゃ覚えてるさ。おれはあれで落第して、その挙句、学校を追ん出されたんだからな」
火もつけない新しい莨を、そのまま灰皿につっこみながら、鍋島は頭をゆるゆると上げた。表情が沈欝にゆがんで、じっと六郎を見詰めている。彼と知合って十五年の歳月を、その十五年間の二人の感情のからまりを、ごく短い時間に、六郎はその鍋島の顔に見た。そして次の瞬間、Xの笑いとでも言ったようなものが、胸の底からほのぼのと湧き上るのを、六郎はかんじた。何かが、どこかで、破滅するだろう。しかし、破滅するようなものが、ここらのどこに残っているのだろう? しかしその予感は、その時確実に、六郎の心を摑んできた。彼は笑いのかげで、かすかに戦慄した。
[やぶちゃん注:「Though we weepか。こんなの、覚えてるかい。Though we weep and pawn our watchesさ。Two and two are four」はイギリスの作家で詩人のギルバート・キース・チェスタトン(Gilbert Keith Chesterton 一八七四年~一九三六年)のコント「歌わない小鳥」(‘The Little Birds Who Won't Sing’)の一節であることまでは、つきとめた。英文サイト‘Literature Network’のこちらで全文が読める。当該部は以下。
*
If reapers sing while reaping, why should not auditors sing while auditing and bankers while banking? If there are songs for all the separate things that have to be done in a boat, why are there not songs for all the separate things that have to be done in a bank?
As the train from Dover flew through the Kentish gardens, I tried to write a few songs suitable for commercial gentlemen.
Thus, the work of bank clerks when casting up columns might begin with a thundering chorus in praise of Simple Addition.
"Up my lads and lift the ledgers, sleep and ease are o'er.
Hear the Stars of Morning shouting: 'Two and Two are four.'
Though the creeds and realms are reeling, though the sophists roar,
Though we weep and pawn our watches, Two and Two are Four."
"There's a run upon the Bank--Stand away! For the Manager's
a crank and the Secretary drank,
and the Upper Tooting Bank
Turns to bay!
Stand close: there is a run On the Bank. Of our ship, our royal one,
let the ringing legend run,
that she fired with every gun
Ere she sank."
*
私の英語力では、上手く訳せない。当該箇所は、
*
私たちが啜り泣いても
私たちが啜り泣きながら腕時計を質屋に入れても
「二」たす「二」は「四」なのだ
*
一般に最後のフレーズは「当たり前のこと」で「事実から判断された当然の結論だ」という意を指すらしい。以上の原文は銀行員の殺伐とした現実の仕事のシビアさを指しているようだが、ここでの鍋島両介の謂いは、「お前は俺(と妻の鈴子)とはあの高校時代の忌まわしい思い出で腐れ縁なのであって、どう踏もうが、『同じ穴の貉(むじな)』なのさ」と言いたいのか? となんとなくは、思ったが、よりよい注がお出来になる方は、是非とも御教授下さると幸いである。]
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