曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「寅七月二日申上刻京師大地震聞書」
曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「西本願寺觸狀寫」
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(右ページ下段終りの方から左ページ終りまで)から載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。今回は短いので、そのままとした。
本篇は「京都地震」関連記事の第四弾。第一篇以降で注した内容は、原則、繰り返さないので、必ず、そちらを先に読まれたい。
なお、各条の解説部は、底本では全体が三字下げ。]
○寅七月二日申上刻京師大地震聞書
一、怪我人、凡千六十人。
【右之内、卽死、幷に、養生不二相叶一分、凡三百餘人。】
一、御所、幷、堂上方御殿、幷、兩御門跡等。
右何れも破損、別儀無ㇾ之分は稀にも無ㇾ之。
一、二條御城中、大損事。
但、外曲輪北之方四十間餘、石垣、相崩、高塀、御堀之中へ落込、其外、所々、大破。
一、神社佛閣。
右、大小は有ㇾ之候得共、何れも破損、別《べつし》て愛宕山宿坊、大破にて、谷底へ崩込候分も有ㇾ之、漸、一軒、破損にて相濟、其餘は、悉《ことごとく》、つぶれ、最《もつとも》、此度の地震中にて、御城と愛宕山の破損を、「東西の大關《おほぜき》」抔と風評いたし候。
一、市中建家《たてや》。
右、何れも破損、中には潰家《くわいか》も數多《あまた》有ㇾ之、是が爲に、人、多《おほく》痛候。
一、洛中洛外之土藏、凡二萬。
大破中には、壁、左右へ開き、或は鉢卷、落《おち》、又は、潰候方も數多有ㇾ之、依ㇾ之、卽死・怪我人等、多、有ㇾ之。
一、當二日より、同廿四日迄、地震、數《しばしば》、右[やぶちゃん注:上の余震のこと。]、大小は有ㇾ之候得共、晝夜にて、凡百二、三十遍のよし。去《さり》ながら、二日の大地震の様なるは、右以來、無ㇾ之、常は「餘程の地震」と申位の分は、日々、二、三度づゝも有ㇾ之候へ共、格別、家つぶれ倒《たふれ》候程の儀も無ㇾ之。今、以、相止《あひやみ》不ㇾ申事に候。
一、去る十一日、東山淸水寺廻廊の邊、欠崩《かけくずれ》、大破、同日、音羽川、出水《でみづ》、伏見街道五條下る處抔は、床の上、水、上り、急流にて、溺死も、四、五人、有ㇾ之よし。
右、荒增《あらまし》、御心得迄、申上候。右、卽死之内、家内、不ㇾ殘、潰れ、親子、四、五人も一時に死果《しにはて》、或は、夫婦・兄弟抔も卽死御座候て、哀成《あはれなる》方も、數多、有ㇾ之、氣の毒致候。于ㇾ今《いまに》、日々、地震は相止不ㇾ申候得共、日々の事故、一統、馴《なれ》候故、大體の地震は、さのみ、驚不ㇾ申候。【以下、文、略。】
[やぶちゃん注:以下は馬琴の附言で、底本では全体が一字下げ。]
京師には予が相識《あひしき》、多かりしに、こゝは、大かた、鬼籍に入れり。然《しかれ》ども、なほ、一條通り千本左へ入《いる》處に、角鹿淸藏あり。眞葛ケ原近邊に、三藏櫻田鶴丸あり。大佛門前に、松井舍人《とねり》【土御門殿家臣。】あり。七月に至《いたり》て、地震見[やぶちゃん注:ママ。吉川弘文館随筆大成版では「舞」の脱字かとする傍注有り。]の書狀を郵附して遣したれども、今に回報なし。角鹿生の居宅は、嵯峨にも二條へも程遠からねば、いかにありけん、心元《こころもと》なし。さばれ、千本通りは、空地多かる閑處《かんしよ》なれば、大かたは恙なかるべし。異日、囘報、聞えなば、別に謄寫すべくなん。
[やぶちゃん注:「角鹿淸藏」『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 花』の本文中で馬琴が解説しているので、参照されたい。
「三藏櫻田鶴丸」戯作者仲間と思われる。
「松井舍人【土御門殿家臣】」これ以上の事績不詳。]
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