曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「二條御番内藤豐後守組寄騎伏屋吉十郞より或人え郵書 七月四日出 同十二日到着 書面之寫」
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(右ページ下段)から載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。今回は短いので、そのままとした。
本篇は「京都地震」関連記事の第二弾。第一篇で注した内容は、原則、繰り返さないので、必ず、そちらを先に読まれたい。また、以下の二条城内の施設の様態や名称などは、調べるに、労多くして、私自身への益が殆んどないので、何となく勘で読み、読点を打ったが、多く誤りがあると思われる。重大な誤認部については御教授戴ければ、修正する。注は中に入れ込んだ。標題の「寄騎」は「與力」(与力)の当て字と判断した。]
○二條御番内藤豐後守組
寄騎《よりき》伏屋吉
十郞より、或人へ、郵
書、七月四日、出、同
十二日到着、書面之寫。
文政十三寅年、京都大地震、御城内外、騷動、荒增《あらまし》記《しる》し申候。七月二日、夕七ツ時[やぶちゃん注:午前四時前後。以下総て定時法で換算した。]、打《うち》候て、程なく、地震、最初は、少し、ゆり初め、直《ぢき》に烈敷《はげしく》ゆり出《いだ》し、中之御小屋に居兼《をりかね》、庭へ、はだしにて駈出《かけいだ》し候處、益《ますます》募り、御小屋、御藏前、又は、廣き場所へ走出し候處、御米藏前、家根瓦、瀧の如く落《おち》、西小屋引出《ひきいだ》しは、小屋々々、住居《ぢゆうきよ》、幷《ならびに》、下陣《しものぢん》、暫時に、ゆりつぶし、逃出《にげいだ》し候も、間に合《あひ》かね候ものは、押《おす》に打《うた》れ申候。損所《そんずところ》は高麗御門《かうらいごもん》と申《まをす》、御本丸へ入候《いりさふらふ》總銅《さうどう》の御門、左手へ、たふれかゝり續き、御土塀、御天守臺、處々、損じ、御堀端通り、不ㇾ殘、三寸づゝ、さけ、其外、御城内、幷、御小屋、一めん、蜘《くも》の巢のごとく、ゑみわれ申候[やぶちゃん注:「ゑみ」は「笑み」で「口を開いて笑うが如く、ぱっくりと割れてしまった」ことを言う。]。西御門脇御小屋裏、高御土居の上、巾一尺程、ゑみわれ、二十間程[やぶちゃん注:三十六メートル強。]の御土居に候得ども、外御堀の方え、今にも崩れ落候樣に、「ふらふら」いたし候樣に御座候。其外、御太鼓櫓、昭[やぶちゃん注:底本にママ注記有り。]、石壇、鴈木《がんぎ》、なだれ落《おち》、上の御土塀も倒れかゝり、中仕切御門《なかじきりごもん》、臺續き石垣、二間[やぶちゃん注:三・六メートル。]程、拔落《ぬけおち》、二、三尺の石、落《おちて》有ㇾ之。西御門の御燒失迹《ごしやうしつのあと》、御門、臺石垣、處々、崩れ、御門、ねぢれ、西御門御橋も、ねぢれ、往來、危く候故、一人立《ひとりだち》にて、急ぎ通り、米ばかり、少々づゝ運び候よし。西御門續き、小門續き、御土居上、土塀、倒れ、御城外、見通《みとほ》し申候。御廊下橋入口御門、幷、土塀、十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]、二十間程づゝ崩れ、御厩曲輪通《おうまやぐるわとほ》り御筋、塀、不ㇾ殘、ひゞわれ、拔倒《ぬけたふ》れ、東御門大番所うしろ、御土塀、大槪、倒れ、御破損。定小屋《ぢやうごや》、一ケ所、つぶれ、東御門、臺石、所々、はら、み渡出《わたしいで》し。塀等、損所、多く、御入物《いりもの》御道具外、箱等、不ㇾ殘、こわれ、辰巳《しんみ》・未申御櫓《びしんおやぐら》、其外、白土《しろつち》、鉢卷《はちまき》等、咸《みな》、落《おち》、御熖硝藏《ごえんしやうぐら》家根瓦、不ㇾ殘、落、稻荷、石鳥居、同燈籠、大抵、たふれ、但《ただ》、鳥居、三本、柱燈籠、十六、七本。稻荷曲輪《いなりくるわ》、入江御門棟通《いりえごもんどほ》り、落《おち》、石垣、破れ落、往來も、甚《はなはだ》氣遣敷體《きづかはしきてい》。稻荷曲輪同心は、不ㇾ殘、小屋、つぶれ、同心三人程、逃出し候に間に合兼《あひかね》、押に打れ、漸《やうやう》助出《たすけいだ》し候よし。先づ、一命には拘《かかは》り申間敷《まをすまじき》かと申候。七半時《ななつはんどき》[やぶちゃん注:午後五時頃。]より、地震は間遠に相成候得共、時々、地ひゞきいたし、其度々、壁、瓦、落、つぶれ候程には無ㇾ之候得ども、住居成兼《すみゐなりかね》候御小屋も餘程有ㇾ之。上下、身の置《おき》處なく、各《おのおの》、色を失ひ、十方《とはう》にくれ候次第にて、御小屋、押に打れ候者、助け出し候へども、步行不ㇾ叶《ほかうかなはざる》者、兩三人、有ㇾ之、是も一命に拘り不ㇾ申、戶板に乘せ、舁運《かきはこ》び候體《てい》、火事場よりも物凄く、『此上、いか程强き地震可ㇾ有ㇾ之哉《や》。」と、心中不ㇾ平《たひらかならず》、此上もなく覺申候。不ㇾ殘、御小屋内空地《おこやうちあきち》へ寄集《よりあつま》り、高張箱挑燈《たかばりはこぢやうちん》抔をつけ、寄《より》こぞり申候。六時《むつどき》[やぶちゃん注:暮六ツ。午後六時頃。]頃、俄に、所司代、御見分有ㇾ之。御破損奉行《ぶぎやうせらる》。其外、在役之者は、持場々々、見廻り、東西に駈走《かけはし》り候。兩御番頭《おばんがしら》、御出《おいで》にて、御殿、御金藏、其外、御門臺、御櫓等、不ㇾ殘、損所、御見分有ㇾ之候に付、御城入《ごじやういり》有ㇾ之候。六ツの御太鼓、打延《うちのべ》候間、所司代御城入は、五時過《いつつどきすぎ》[やぶちゃん注:午後八時過ぎ。]に相成申候。西御小屋内、御通りぬけ有ㇾ之候。最《もつとも》、所司代御城入に付、地役も、不ㇾ殘、組之者、召連《めしつれ》、御城入。御門番も御門に相詰《あひつめ》候。夜中も、度々《たびたび》、地ひゞきいたし、上下、安き心、無ㇾ之、皆々、外にて夜を明《あか》し、三日に至り、夜中とても、今に、時々、震動いたし、御小屋に相休み兼《かね》、寄集り居《をり》申候。御殿向《こてんむき》、御天井、幷、御襖繪、多く、さけ、損じ候。御襖、御欄間《らんま》、彫物《ほりもの》等も落ち損じ候。御金藏、御車屋も、瓦等、落申候。最《もつとも》、此《この》六、七日は、炎暑、甚敷《はなはだしく》、夜中も蒸暑《むさつ》く、堪《たへ》かね申候。大坂御城中抔は、是迄、覺《おぼえ》なき大暑にて、晝の内は、隣小屋へも參り兼《かね》候程の、大暑、上下、堪兼候よし。地震の樣子、いまだ大坂の左右《さう》は承り不ㇾ申候。御城外市中は、別《べつし》て、土藏、多く損じ、怪我人も、餘程有ㇾ之候よし、噂、有ㇾ之候。堀川通り其外、御城下御栅内馬場へ、女子共《をんな・こども》、敷物、出し、三日、終日、外にて暮し申候樣子、此上、靜《しづか》にいたし度《たく》、夫《それ》のみ、申くらし候。土御門陰陽師より、所司代へ、「いまだ此上、强き地震、可ㇾ有ㇾ之候間、用心可ㇾ有ㇾ之。」と申候由にて、上下、膽《きも》を冷し居申候。御番所は、東西とも、少しも怪我《けが》無二御座一候。
七月四日
[やぶちゃん注:「鉢卷」土蔵造りで、防火用に粘土と、漆喰(しっくい)を厚く塗り込めた軒下部分を指す。
]
« 大和怪異記 卷之四 第十四 狐をおどして一家貧人となる事 / 卷之四~了 | トップページ | 曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「西本願寺觸狀寫」 »