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2022/11/21

大和怪異記 卷之三 第八 殺生して我子にむくふ事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ(単独画像)。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第八 殺生して我子にむくふ事

 勢州日永《ひなが》村の六左衞門といふもの、狐をとらへしかど、

「明日(あす)は親の忌日(き《にち》)なり。たすけん。」

といふを、庄三郞といふ者、

「我に得させよ。」

とて、耳と口とを、打《うち》さきて殺せり。

 其後、妻女、產(さん)をせしに、女子の、耳、さけ、口、ゆがみたるを、うめり。

 寬文十二年の事なり。

 又、尾州あつた邊(へん)、山崎の者、鳫(がん)を、かごに入れ置《おき》しに、夫(おつと)他行(たぎやう)の跡にて、籠をぬけたるを、妻女、鳫をとらえ[やぶちゃん注:ママ。]、羽を、ことごとく、むしり、足をもぎ、ころせしに、此女、程なく產したりしとき、肩骨(かたほね)は有《あり》ながら、手のなき男子をうみしとなり。

[やぶちゃん注:原拠「同」は前々話・前話と同じで「犬著聞集」。「犬著聞集」自体は所持せず、ネット上にもない。また、所持する同書の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」にも採られていないようである。

「勢州日永村」現在の三重県四日市市日永(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「寬文十二年」一六七二年。徳川家綱の治世。

「尾州あつた」「山崎」愛知県名古屋市熱田区附近であるが、「山崎」は不詳。

「鳫」「雁」に同じ。広義の「かり」=ガン(「雁」)は、広義のカモよりも大きく、ハクチョウ(カモ科Anserinae亜科Cygnus属の六種及びCoscoroba 属の一種の全七種。全長百四十~百六十五センチメートルで、翼開長は二百十八~二百四十三センチメートルあるだけでなく、飛翔する現生鳥類の中では最大級の重量を有する種群で、平均七・四~十四、最大で十五・五キログラムにも達する)より小さい種群の総称。より詳しくは、私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴈(かり・がん)〔ガン〕」を参照。]

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