大和怪異記 卷之六 第十九 洪水に大蛇のされかうべ出る事 (附・真名本「江嶋緣起」全電子化!)
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第十九 洪水に大蛇(だいじや)のされかうべ出《いづ》る事
延宝三年、相州かまくら、深沢(ふかざ《は》)に、洪水、いで、山くづれて、わたり三尺ばかりのかしら、あらはる。
歯(は)は、一寸、八、九分也。
若宮小路の者ども、その、は、一枚、うちかきて、とり、又、もとのごとく、うづみける。
江嶋(ゑのしま)の緣起に、『深沢に、むかし、大蛇、すみ侍りし。』とあれば、此かしらは、大蛇なるべし。同
[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第十八 雜事編」にある「深沢(ふかさは)の髑髏(どくろ)」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。ここ。御覧の通り、歯の大きさを『一寸八分あまり』とし、打ち欠いた人物を『渡辺小右衞門」と出す。以外に有意な違いはない。
「延宝三年」一六七五年。徳川家綱の治世。
「相州かまくら、深沢(ふかざ《は》)」現在の、概ね鎌倉市の、この附近の広域を指す(グーグル・マップ・データ。以下無表記は同じ)。古くは柏尾川が両岸に浸潤した広大な湿地であった。鎌倉幕府最後の激戦地として知られる。私の家は北の丘陵を越えたところにある。
「わたり三尺ばかりのかしら」首の直径が約九十一センチメートル。
「歯は、一寸、八、九分」恐らくは歯の縦の長さが五・四五~五・七五センチメートル。ここは縄文海進の時には大船まで大きな入り江であったし、所謂、恐竜時代の巨大化石が出土する条件にはないから、恐らくは、巨大ザメの頭部化石であろう。
「若宮小路」現在の若宮大路の別称。
「江嶋(ゑのしま)の緣起に、『深沢に、むかし、大蛇、すみ侍りし。』とあれば、此かしらは、大蛇なるべし」「江島緣起」は全一巻。真名文と仮名文があるが、前者が古い。真名文の著作は元亨三(一三二三)年の奥書を持つ金沢文庫本が最も古く、完本は江島神社所蔵本で、室町時代の享禄四(一五三一)年に、肥後の住人で廻国の沙門乗海が書写したものである。その原本は永承二(一〇四七)年に比叡山の皇慶という僧が撰述した縁起であって、それを写し継いだと記されてはあるものの、現行の完成形の縁起の成立自体は鎌倉期と考えられている。江島弁才天の根本縁起に当たる。江島神社真名本を底本とした電子化(新字)がサイト「龍鱗」の「江島縁起・五頭竜と弁才天」で読める(但し、これは真名本の冒頭から三分の二で、まだ続きがある。但し、本篇の内容とは関係がないので、これで足りるとは言える。全文を見られたい方は服部清道氏の論文「『江島縁起』考」(『横浜商大論集』第十巻・昭和五二(一九七七)年二月発行。「横浜商科大学機関リポジトリ」のこちらでPDFでダウン・ロード出来る)で翻刻(ほぼ正字)されてある)。「江の島」は立地条件の微妙さと、本縁起の完本成立が近世から見て異様に新しいことが知られていたからか、私の「新編鎌倉志卷之六」の「江島」では、『【江の島の緣起】 五卷 詞書作者不知(知れず)。畫は土佐なり。』とあるのみで、「鎌倉攬勝考卷之十一附錄」でも「新編鎌倉志卷之六」の丸写しに『【江の島緣起】といふは、延暦寺の皇慶といふ僧が書たる由。』と孰れも冷淡な扱いである。『大日本地誌大系』第四十巻の「卷之百六 鎌倉郡卷之三十八江島」(国立国会図書館デジタルコレクション)でも、全文の記載はない。なお、サイト「江の島マニアック」のこちらに「江の島縁起について」という解説があり、「江の島縁起絵巻」第一巻に始まり、第五巻までの画像(当地の岩本楼(岩本院)に伝わる絵が加わった仮名本が底本と思われる。但し、非常に小さく、判読は難しい)及び現代語訳が載る。私は故あって、江ノ島は人生のエポック・メーキングな場所(父母の初デートに始まる)であり、あまりにこの縁起のネット上の扱いが哀れであるとともに、地名伝承の面白さなどもあることから、服部氏の江ノ島神社本の翻刻を、一部を恣意的に正字化して(巻首のみ画像があるので、それも参考にした)、以下に示しておく。推定で句読点を追加・変更し、記号も打った。その際、一部で上記のサイト「龍鱗」の訓読文も参考した。割注は上下配置で示した。本篇に関わる部分の終りで改行した。後半部では、諸偈や文及びシークエンスの替わる部分を推定で改行した。
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江嶋緣起
大日本國東海道相摸國江嶋者、天龍八部之所造辨才天女之㚑體也。謹撿[やぶちゃん注:「かんがふれば」。]㚑嶋先起者、房・藏・摸三箇國之境、鎌倉與海月郡[やぶちゃん注:「くらきのこほり」。久良岐郡。現在の横浜市南部の旧郡。]之閒、有四十里之湖水、号「淙洋」。其湖水爲體、水滔々、四山逆影、雲霧鎭[やぶちゃん注:「とこしなへに」。]埋谿、犲狼滿岡[やぶちゃん注:「犲狼」「さいらう」は野犬とニホンオオカミ。]。若人到時者、黑風拂梢、白浪咽岸、而閒、人跡更絕、湖漫。爰有猛惡之龍、卽五頭一身之龍王也。屢卜湖水爲栖[やぶちゃん注:「しばし、湖水を卜(ぼく)し、栖(すみか)と爲す。」か。「卜」は「定める」の意であろう。]。自神武天皇御宇、至于人王十一代垂仁天皇之御宇[やぶちゃん注:後者は実在したとすれば三世紀後半から四世紀前半頃の王。]、七百余年之閒、彼惡龍、伴風伯[やぶちゃん注:風神。]鬼魅山神等、逕[やぶちゃん注:「ただちに」或いは「へめぐりて」か。]國土爲災害。所謂、崩山、出洪水、損物、成病痾亂逆。第十二代景行天皇治六十年之閒[やぶちゃん注:実在したとすれば四世紀前・中期の王。]、惡龍於東國常降大雨。依之、國民以石窟爲人屋。二十一代安康天皇御宇[やぶちゃん注:在位は五世紀後半。]、龍鬼詫圓大臣令成惡事[やぶちゃん注:「託」は「つきて」で「憑」に同じ。「圓大臣」は「つぶらのおほおみ」で国政に参与した豪族の一人。生年不詳で安康天皇三(四五六)年没。]。事廿六代武烈天皇之御宇[やぶちゃん注:在位は五世紀末から六世紀初め頃。]、龍氣託金村大臣令成亂逆[やぶちゃん注:「金村大臣」(かなむらのおとど)は大伴金村。「亂逆」は仁賢天皇一一(四九八)年の仁賢天皇崩御後に大臣平群真鳥(へぐりのまとり)・鮪(しび)父子を征討したことを指すか。]。此時、五頭龍、初出現湖水之南山之谷津村水門[やぶちゃん注:「つむらのみなと」。「津村」は鎌倉市の旧地名。この附近。]、初瞰食人兒。仍、時人、此所名「初噉澤」[やぶちゃん注:「はつくひざは」。]、西嶽号「江野」。此澤者、湖水之水門、南海之入江也。谷前有女長者、生十六人之子、爲毒龍彼噉食乎。於玆、長者、咽愁苦之思、辭舊宅遷住西里、名「長者塚」。惡龍漸遍村里吞食人兒之閒、邑里之人民、怖畏捨離住所、移越他所、世人此所云「子死越」[やぶちゃん注:現在の腰越。]。龍瞰人既及八箇國、被吞親者子悲、被吞子者親悲、村南村北哭聲不絕、兒別母、夫別妻。爰八箇國之貴賤衆人相儀、以兒周備毒龍之贄。凡貴賤男女啼哭之聲不斷絕。於玆、人王三十代欽明天皇第十三年壬申四月十二日戌尅[やぶちゃん注:機械換算五五二年。午後八時前後。]、至同廿三日辰剋[やぶちゃん注:午前八時前後。]、當「江野」之南海湖水之水門、雲霞暗蔽海上、日夜大地振動、天女雲上顯現、童子左右侍立、諸天・龍神・水火雷電・山神・鬼魅・夜叉・羅刹、從雲上降盤石、自海底擧沙石、電光耀天、火焰交雜臼浪。同廿三日及、辰剋、雲去、霞散、見海上、顯出嶋山、蒼波之閒、神現、山新也。十二鵜降、居嶋上、依之、思云「鵜來嶋」[やぶちゃん注:現在の「鵜島」。「新編鎌倉志卷之六」の最後の方に小さくて悪いが、私の写した写真を掲げてある。]。嶋上、天女降。形貌殊耀麗質於金窟。是卽辨才天女之應作。魚熱池[やぶちゃん注:「無熱池」の誤記であろう。]龍王第三之娘也。於玆、五頭龍、見是天女之麗質、爲通志於天女、凌波渡嶋、到天女所卜欲念。天女答云、「我有本誓、愍念有情、汝、無慚愧、橫害於生命。形與心共我不相似。更不可通。」。龍言、「我隨敎命、自今以後永停凶害、心禁斷殺生。願垂哀愍、令我得遂宿念。」。于時天女肯[やぶちゃん注:「うけがふ」。]。爰龍隨順天女敎誡、發誓、向南、成山。世人、是名「龍口山」[やぶちゃん注:現在の龍口寺の後背の山。]。又、号「子死方明神」。辨才天以方便之力爲降伏繩之猛惡、救護衆生故、所化[やぶちゃん注:「しよけして」。教化(きょうけ)して。]作嶋也。垂權迹天女也。是号「江嶋明神」。
一役優婆塞[やぶちゃん注:「えんのうばそく」。役の行者のこと。]、俗姓賀茂氏、大和國葛城郡茅原村人也。聖德六年正月一日誕生[やぶちゃん注:元号不審。一説に舒明天皇六(六三四)年とされる。]。生已最初唱云、
「我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異 如我昔所願 今者爲滿足 化一切衆生 皆令入佛道」
又、行者三歲之時、父母閒兒云、
「先生誰乎。」
答云、
「見我身者發菩提心、聞我名者斷惑修善、聽我說者得大智惠。知我心者卽心成佛。自七歲不問人讀誦『心經』。依經力隨順國土之鬼神。又智深悟廣而崇三賓有求。法志、住葛城山三十余年、居石室之中、着藤衣、食松葉、顯精進浴淨水洗心垢、誦『孔雀明王咒』、顯得露驗、或垂紫雲、通仙室或召仕諸鬼神、汲水拾薪魚不隨者。」
又、召集諸神鬼云、
「葛城與金峯山之閒、石橋作者、爲通道。」
責仰諸鬼神、運大石作調渡始。一言主明神言、
「畫形醜、夜度云夜右作調。」
行者召取、
「一言主明神之有何恥可隱形云何不作渡乎。」
卽以神咒縛一言主神、擲置幽谷底。爰一言主、文武天皇讒言、
「優婆塞成謀爲傾國家。」
帝、驚遣勅使令召取、飛空行者畢。然閒、令召取行者母爲替。行者自出來。
卽文武天皇三年己亥五月[やぶちゃん注:六九九年。]、彼流伊豆大嶋。海上踏如陸飛空如鳥。雖然盡恐怖違勅之罪、居嶋夜往詣富士峰、祈淺閒大菩薩。言所願者、只嶋許於天遲被赦莞罪云云、
同四年庚子四月、行者在嶋、遙望北海空中紫雲浮。便尋雲所起之處、蒼海北岸江嶋之西山金窟上也。因此行者窟中所止、致勇猛精神勤憶念請冥感。發願言、
「我承冥應來至。於此願聖尊現眞身利益世閒。」
如是致請七日、專念誦「不動明王咒」。而及、第七日、後夜[やぶちゃん注:「ごや」。仏教で僧が勤行する明け方を指す。]時分、窟中香雲自然周遍光明照耀、應時忽然天女現前化現。現質八臂之尊體也[やぶちゃん注:「八臂弁財天」(はっぴべんざいてん)。「江島神社」公式サイトの「ご宝物」をリンクさせておく。そこに載る秘部を彫ってあることで著名な「妙音弁財天」とともに毀損が著しく、戦後に整復されるまでは、二体とも酷い姿であった。]。容儀白淨祥潔猶秋月。發妙音言說、
「從無量劫來成就善方便、普濟苦衆生多所大饒益。」
於玆行者歡喜合掌、重請求加被。天女言、
「我收化於鷲峰垂蹟於此嶋。當知擁護國王及人民爲除裏患會得安穩也。汝爲利益長夜故鼠求、我化現、實是大悲者、爰行者見天女身、察承神敎、稽首敬禮、爲鎭護國土。」
以、一尺八寸之利劍、安置舍窟之第二重之内院。是辨才天顯現之最初也。
元正天皇養老七年亥癸春三月[やぶちゃん注:七二三年。]、泰澄大師[やぶちゃん注:泰澄(たいちょう 天武天皇一一(六八二)年~神護景雲元(七六七)年)は奈良時代の修験道の僧。加賀国白山の開山と伝えられ、「越(こし)の大徳(だいとこ)」と称された。]住江嶋。讀誦「大乘經」、念誦陀羅尼、專一心精進、幷、每日、乘船詣龍口山施與法樂、祈離業證果。而於龍口山之閒、有二池、大師、每日爲法樂。一池、書寫光明眞言人池底。是名「光明眞言池」。一池、書「阿彌陀佛」六字名号[やぶちゃん注:「南無」を入れて六字。]入池中。是号「阿彌陀池」。如是施與法樂經、日月之閒、明神謁對大師言、
「我受菩薩之法施、洗除三熟之惱垢、獲得宿明智、既智哲德之先處也。豈生惡心乎。雖然國土逆人出來者、斬頸懸我前。是非昔日之凶執、屢靜海内之凶賊、爲除逆人於萬里。」
又、重說、偈日、
「我是大光普照尊 爲度邪見衆生政 普門之中示逆跡 今於此所現龍口 泰澄承神之靈託 不錯神言令披露」
自爾以降逆人出來、時者截頸懸山前、始自此也[やぶちゃん注:「龍の口の法難」でご存知の通り、鎌倉時代はここは「龍の口刑場」であった。]。其後、泰澄住嶋、專行妙法一心不亂、發願云、
「唯願、妙辨才顯示神威利益濁世。」
於此、同秋九月十五日夜半、窟中自然彩雲起、光明普照、忽然天女、化現、更不知從來處。泰澄、拜見天女生身、圓滿心願、出嶋。至于天平六年甲戌[やぶちゃん注:七三四年。]相摸國餘綾郡[やぶちゃん注:「よろぎのこほり」或いは「ゆるぎのこほり」で現在の神奈川県中郡大磯町・中郡二宮町の全域と平塚市の一部に相当する。この辺り。]之人、道智法師[やぶちゃん注:諸データでも不詳とされる。]、居嶋、讀誦「法華」、更不問時節、久近漸歷年序差盡數部之閒、爲聽法故、每日、天女來至、備飯味。於此、道智、爲怪異、爲知由來故、取藤皮作縷、付針差着天女之裳裙。然後、曳縷尋行到龍窟、見縷着龍尾。龍窟之中有甚傷音。又有忿怒聲云、
「龍女、汝心、供養供法師、遇此傷苦。」
道智、聞音、戰慄、欲避走。爭堪怖畏乎。而龍言未訖。
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