明恵上人夢記 97
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一、六月、天より一つの棹(さを)、埀れ下(くだ)る。其の端一丈許りは繩也。予、之を取るに、其の末は、晴天に屬して、之に付く。五十二位(こじふにゐ)に分別すと云々。又、人、月性房(げつしやうばう)、有りて云はく、「東大寺の大佛、年來(としごろ)思へるに似ず、小さき佛也。又、片(かた)つ方(かた)に、金(あかがね)、薄くして、土の躰(てい)、現ぜり。『下を土にて造れるが、顯(あらは)る。』と覺ゆ。予、『諸人(しよにん)に勸進して、鑄(ゐ)奉らむ。』と欲す。直ちに、『諸人之(の)依用(えゆう)も不定(ふぢやう)に思ひて、結構せず』と云々【同夜の夢也。】。
[やぶちゃん注:かなり強い象徴的な同じ夜に見た別な夢二種である。「六月」とあるが、底本の記載順列に疑問があるため、時制推定は不能。「84」の私の冒頭注を参照されたい。但し、「95」の河合速雄氏説に従うなら、承久二(一二二〇)年となる。而して河合氏は「明恵 夢に生きる」の276ページで、この夢を取り上げ、明恵は彼の別な書「冥感伝」で、この夢の解釈を試みているとあった。この「冥感伝」とは、諸論文を参看するに、正しくは「華厳仏光三昧冥感伝」で明恵が承久三年十一月九日に完成させた「華厳仏光三昧観秘宝蔵」の一部であることが判っていることから、河合氏は『「夢記」とのつながりで』、この前後の『他の一群が承久二年のものと断定できるのである』と述べておられる。されば、ここ以降では承久二年説を既定値として示すこととする。
「一丈」三・〇三メートル。
「五十二位」菩薩が仏果に至るまでの修行の段階を五十二の位に分けたもの。「十信」・「十住」・「十行」・「十回向」・「十地」及び「等覚」・「妙覚」を合わせたもの。「十信」から「十回向」までは未だ凡夫であり、「十地」の「初地」以上から聖者の位へと移り、「等覚」で仏と等しい境地となるとされる(小学館「デジタル大辞泉」に拠った)。
「月性房」不詳。
「依用」「拠り所とする対象」を指す。]
□やぶちゃん現代語訳
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六月に、こんな二つの夢を見た――
まず、その一。
天から、一つの「棹(さお)」が垂れ下(くだ)ってくる。
その端の一丈ばかりは、棹ではなく、縄となっている。
私が、これを取ったところが、その棹の高い末の部分は、晴天に溶け合って、青空に属しており、私は、その蒼穹へと一気に就いた。
それは確かに「五十二位」に分別されている階梯そのものを一気に昇った……
また、その二。
かの人――月性房である――が、在って、私に言うことに、
「東大寺の大仏というのは、年来(としごろ)思い続けてきたのに似ず、なんだか、小さい仏(ほとけ)なのだ! また、その仏像の片側は、赤銅(あかがね)が薄くて、土のような様態を現(げん)じているのだ! 俺は、
『この仏像、下の部分を、金属なんぞではなくって、土で造ってあることが、露見したぞッツ!』
と感じたのだ! そこで、我れは、
『諸人(しょにん)に勸進して、改めて、鑄(い)奉ろうぞ!』
と欲した。が、しかし! いや! すぐに思い直したんだ!
『諸人をよりどころにするというのも、これ、一定せず、頼りないぞッツ!』
と思いなおして、
『やはりよろしくないッツ!』と……」
さても――そうさ、この二つは同じ夜に見た夢なのであったよ。