大和怪異記 卷之六 第第七 殺生のむくゐにて目鼻なき病をうくる事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。
標題中及び本文中の「むくゐ」はママ。]
第七 殺生のむくゐにて目鼻なき病(やまひ)をうくる事
上總国、廳南《ちやうなん》、妙覺寺(めうかくじ)門前の百姓が父、わかきとき、鳥さしにて、あらぬ殺生をせしが、そのむくゐにや、にはかに煩ひ、目も、はなも、口・耳もなく、へうたんのごとくになれり。其子共゙、
「おやに物をくはするには、かゆなどを、かしらにそゝぎかくれば、鳥のつばさ、いくら共《とも》なく出て、『ちゝ。』となきて、くらひし。」
となり。同
[やぶちゃん注:「同」はお馴染みの「犬著聞集」であるが、これは、かなり前振りに手を加えて、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収されているのを発見した。「第十四 殃禍篇」(「あうか」(現代仮名遣「おうか」:「アウ(オウ)」は呉音)「殃」も「わざわい」の意)にある「殺生(せつせう)の現業(げんごう)無根(むこん)の形(かたち)となる」(歴史的仮名遣の誤りはママ)である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。同合巻「五」(PDF)の61コマ目からであるが、改作となっているので、以下に電子化して示す。読みは一部に留めた(表記と歴史的仮名遣の誤りはママ)。所持する吉川弘文館随筆大成版を参考にしつつ、読点・記号を打った。
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殺生の現業無根の形となる事
上總國、廳南(てうなん)、妙覚寺(みやうがくじ)門前に、人數(にんしゆ)、あらたむ事ありしに、或百姓、「『十六人』となり共、『十七人』となり共、書(かき)たまへ。」といふ。奉行久保田平右衞門との云く、「心得ざる事、言ふ者かな。」と其故を問(とひ)たまへば、「さらは、先(まづ)、見せまいらせて定むへき。」とて、別に作りし小屋に倡(いさなひ)ゆき、戶をひらけば、耳・目・鼻・口、ともになくて、形(かた)ち、瓢簞(ひやうたん)のことくなるもの、黙然として居(いけ)る。「これは、某(それかし)が父にてありし。若き時に、鳥をさし、網をはり、あらゆる殺生をせしゆへ、報(むくい)にや、俄に煩(わづら)ひ、かく成り候。物喰(ものくらふ)を、みせん。」とて、粥を頭(かしら)にそゝぎかくれば、鳥の觜(くちばし)、いくらも出て、少し啼(なく)こゑして、喰ひし、となり。
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この改変版の方が、現実の映像として描かれていて、いかにもエグく、しかもリアルで凄い。
「上總国、廳南」嘗つて上総国の政庁が置かれていたところの南(にある)。旧国府は現在の市原市に推定されている。
「妙覺寺」千葉県勝浦市にある日蓮最初の開基寺院である広栄山妙覚寺。実はここより北に二つの同名の寺院があるが、竹原市から見て、最も「南」と言って問題がなく、しかも、旧上総国の域内である点、門前町として栄え、寺跡として著名な歴史を持つのは、ここと判断した。
「目も、はなも、口・耳もなく、へうたんのごとくになれり」二つの疾患が考えられる。一つはハンセン病の病態の一つで、今一つは梅毒の第三期のゴム腫の発生後、それらが悉く脱落した状態(又はそこから進行した終末期第四期)の病態である。後者の可能性が強いように思われる。]
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