明恵上人夢記 100
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一、同廿九日、後夜(ごや)、坐禪す。禪中の好相(かうざう)に、佛光の時、右方に續松(ついまつ)の火の如き火聚(くわじゆ)あり。前に、玉(ぎよく)の如く、微妙(みみやう)の光聚(かうじゆ)あり。左方に、一尺、二尺の光明、充滿せり。音(こゑ)、有りて云はく、「此(こ)は『光明眞言(かうみやうしんごん)』也。」。心に思はく、『此の光明の躰(てい)を「光明眞言」と云ふ也。本文(ほんもん)と符合す。之を祕すべし。』。
[やぶちゃん注:既に注した通り、承久二(一二二〇)年説をとる。なお、河合隼雄「明惠 夢に生きる」(京都松柏社一九八七年刊)では、『承久二年七月二十九日、明恵は禅中に好相を得る。これは『夢記』にも記載されているが、『冥感伝』の冒頭に、より詳しく述べられている。そちらの方から引用してみよう』(二七六ページ)とあった。「冥感伝」(「華厳仏光三昧冥感伝」)は原文をネットで見ることは出来ないので、河合氏の引用部を概ね恣意的に正字化して以下に示す。一部に句読点・記号を追加。変更し、読みも補足した。
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問ふ、「何を以て、此光明眞言の、此の三昧に相應せる眞言なるを知るや。」。答ふ、「談ずること輯(たやす)からずと雖(いへど)も、冥(ひそか)に大聖の加被有り。予、承久二年夏の比(ころ)、百餘日、此の三昧を修するに、同しき七月二十九日の初夜、禪中に好相を得たり。すなはち、我が前に白き圓光有り、其の形、白玉の如し。徑(わたり)、一尺許(ばか)りなり。左方に、一尺、二尺、三尺許りの白色の光明有りて、充滿す。右方に、火聚の如き光明、有り。音(こゑ)有りて、告げて曰はく、『此は是れ、光明眞言なり。』と。出觀(しゆつくわん)の時、思惟(しゐ)すらく、甚だ深意あり、火聚の如き光明は、惡趣を照曜(せうえう)する光明なり。別本の儀軌に、いはゆる「火曜(くわえう)の光明有りて、惡趣を滅す。」とは、卽ち、此の義なり。」と云々。
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既に述べた通り、以下で河合氏は、『この禅中好相は、はっきりと承久二年と書かれているが、『夢記』のこの記録とのつながりで』(中略)、『他の一群の夢が承久二年のものと断定できるのである』(ここが承久二年のものとされる根拠である)。『ここに「此の三昧」と述べられているのが「仏光三昧観」であり、この好相を明恵は仏光三昧観の基礎づけのひとつと考えたのである。彼の見た「光明」は「悪趣を滅す」ものとされているが、このような光明はまた、まさに華厳の世界という感じを与える』(中略)。『明恵は「仏光三昧観」を修していて、このような素晴らしい光の世界に接したのである』。『このような「光」のヴィジョンは、最近とみに報告されるようになった臨死体験者の光の体験を想起させるものがある』と述べておられる。非常に首肯出来る見解である。
「同廿九日」「99」を受けて、七月のそれでとる。但し、以下の「後夜」という言い方から考えれば、実際には承久二年七月三十日(同月は大の月)未明である。
「後夜」六時の一つ。寅の刻(午前四時頃)。夜半過ぎから夜明け前の時間帯を指し、その暁の折りに行う勤行をも指す。
「續松」「つぎまつ」の音変化で、松明(たいまつ)のこと。
「光明眞言」「真言陀羅尼」の内でも最も有名なものの一つ。「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言経」に出ている。「オン阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺ラ 麽ニ鉢納 麽入バラ鉢ラ韈タ野吽」 (おんあぼぎゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん) がそれである。この光明を誦すると、仏の光明を得て、諸々の罪報を免れるので、この名がある。また、この真言を誦し、土砂に加持して、死骸の上に散じると、その加持力によって諸々の罪障を除いて、死者を西方安楽国土に往生させることができるとされる。天台宗や真言宗で法要や施餓鬼などの儀式に用いる。光明真言を誦する儀式を光明供 (こうみょうく) という(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]
□やぶちゃん現代語訳
七月二十九日の後夜(ごや)、座禅した。その座禅の最中、こんな夢を見た――
有難い映像の内に、仏の光が発し、右の方に松明の火の如き、火の塊りがある。
その前に、玉(ぎょく)の如く、微妙(みみょう)の光の塊りがある。
左の方には、一尺、二尺の光明が、充満していた。
声があって言うことには、
「これは『光明真言』である。」
と。
その時、即座に、心に思うた。
『この光明の体(てい)を『光明眞言」というのだ! 経典の本文(ほんもん)と確かに一致する! これは、秘すべきことだ!』
と。

