曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「文政十三寅の閏三月十九日伊勢御境内出火」
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(左ページ上段最終行)から載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。一ヶ所、不審な箇所を小文字にした。]
○文政十三寅の閏三月十九日伊勢御境内出火
一、當十九日、夜丑二刻[やぶちゃん注:午前二時頃。]、宇治畑町、岩崎太夫より出火、折節、西北風、强、今在家町《いまざいけちやう》へ飛火、夫より、館町《たてちやう》へ飛火、暫時の間に、火、一面に相成、畑町・中の切町・今在家町・館町通り筋《すぢ》、裏町共、不ㇾ殘、燒失仕候。夫より、御馬屋、御燒失、最《もつとも》、御神馬無二別條一、新御殿、少々も、別條、無ㇾ之。
一、八十末社、不ㇾ殘、燒申候。
一、宮中の大木、凡、廿本計《ばかり》燒申候。其外、燒木、數、不ㇾ知。
一、御借殿、酒垣殿、御押供料御殿、御子良殿、風呂、此邊、末社、別條無ㇾ之候。
一、宇治大橋、前後、鳥居共、燒落申候。
一、卯刻、漸々《やうやう》、下火に相成候得共、矢張、風、强、山々に、火、移り、廿一日午刻迄、火、見え申候。
一、東は杉坂と申所迄、燒申候。内宮より、凡、一里半計、有。最、瀧ケ峠近邊迄、燒申候。凡、貳里計、有。
一、廿一日、晝後より、大雨、降出し、不ㇾ殘、火鎭り申候。
右の通、伊勢より申來候。
寅閏三月
禁裏、三日、廢朝《はいてう》、帝奏、警蹕《けいひつ》、止《やむ》。
[やぶちゃん注:先に複数の記事で知られる通り、この「文政十三」(一八三〇年)「寅の閏三月」は、所謂、「お蔭参り」の本格的流行の月始めであった。まだ、とば口であったから、よかった。爆発的なその最中にあったら、参詣人が大混乱を起こし、有意な騒擾が発生したことであろう。幸いであった。前の「お蔭参り」記事で注した通り、私は伊勢神宮内には冥いし、興味が全くないので、以上の施設には注をしない。宇治山田を中心とする町名も同断。悪しからず。
「瀧ケ峠」ここ(グーグル・マップ・データ)。
「廢朝」天皇が服喪・病気・天変・回禄(火災)などのために政務に臨まないこと。諸官司の政務は平常、通り行なわれた。「輟朝」(てっちょう)とも言う。
「帝奏」勅使、或いは、それに代わる朝廷から伊勢神宮常置の礼拝担当官僚。
「警蹕」神殿の扉を開ける際に神職が出す「おお」という神霊への礼の声。]
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