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2022/12/18

大和怪異記 卷之七 第二 本妻妾が子をころす事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここと、ここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第二 本妻(《ほん》さい)妾《せふ》が子をころす事

 尾州のもの、わきに、忍ぶ女、ありて、男子(なんし)を、まうけ侍り。

 その子、三歲になれるとき、本妻がいはく、

「われ、いまだ、子、なし。ねがはくは、われに、はごくませ給へ。左もあらば、子も出來(いでく)るものとこそ、世にも申せ。」

と、おとなしやかにいひしかば、日比《ひごろ》は、ねたみ、いきどをりしに[やぶちゃん注:ママ。]、思ひの外の事に思ひ、おつと[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]も、うれしげにうちゑみ、

「老さきたのむたよりにも、なりなんものぞ。いとをしく[やぶちゃん注:ママ。]思ひより給へり。我も、ふかく、かくしぬれど、是程に、をし[やぶちゃん注:ママ。]あてていはるゝうへは、つゝむべきにもあらず。」

と、よろこび、女がおやにも、

「かゝる事あり。しのぶのうらのみるめもさわり[やぶちゃん注:ママ。]はゞかりしかど、一向に女も云《いへ》る。」

と告《つげ》侍しに、

「それは。さいわゐ[やぶちゃん注:ママ。]の事にこそ。いかにもして、世つぎのあらまほしきことに思ひしに、是程のことやは有べき。今まで、しらざりし、おろかさよ。はやくよびむかへられよ。」

と、餘儀もなく、いひしかば、

「かたがたの心ざしも、うらなく、めでたし。」

とて、やがて、むかえ[やぶちゃん注:ママ。]とりぬ。

 女がてうあい[やぶちゃん注:ママ。]、斜(なゝめ)ならず、おつとも、『うれしき事』に、おもひ、四日、五日へて、女が親がもとに行《ゆき》て、呼《よび》とれるよしを、かたりしに、

「よき事かな、我も、はやく見まほしきに。」

とて、ゆき、酒などのみて、歸りける。

 女房も、つねよりは、いときよらに、くつろひ、心よげに、うちゑみ、

「よきさかな、まうけしに、さけひとつ、きこしめし候へ。」

と、すゝめしかば、夫《をつと》、

「我も、ゑひぬれど、めづらかに聞え給へば、いで、たべなん。」

と、いひし時、

「さらば、さかなとりて參らん。」

と奧に入《いり》、かの子を、竹の串(くし)にさしつらぬき、あぶりて、持出《もちいだ》し、そのかたち、眼(まなこ)ざしより、髮(かみ)のかゝりまで、けしき、かはりしを、夫、一目見て、きえ入る心地して、下々《しもじも》に、めくばせし、やがて、女をくみふせ、からめ、一間なる所に、をしこみ[やぶちゃん注:ママ。]、女がをやがもとに、

「かく。」

と、つげ知せしかば、大《おほき》に驚き、はしり來り、

「口をしきことなり。何條(なん《でう》)、いけてや、をくべき[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、納戸(なんど)にかけ入《いり》、みるに、見えず。

 かしこの天井、やぶれて、その主(ぬし)は、行かたしらず。

 其時も、雨風(あめ《かぜ》)、おびたゝしく[やぶちゃん注:ママ。]、雷(いかづち)、なり、電(いなづま)、かゞやき、おそろしき事、かぎりなし。

 いつのころといふ事も、其人の名も、聞(きゝ)しかど、わすれ侍る。

[やぶちゃん注:原拠「犬著聞集」。「新著聞集」には載らないようである。

「をしあてていはるゝうへは」「推(お)し當てて言はるる上は」。

「しのぶのうらのみるめもさわり」「忍ぶの浦の海松布(みるめ)」が「見る目」を掛詞として導いている序詞となると同時に、さらに裏に「忍ぶに堪えられぬ激烈な嫉妬の恨み」の掛詞でもある。「海松布(みるめ)」は緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミル Codium fragile「大和本草卷之八 草之四 水松(ミル)」参照。「しのぶのうら」は陸奥の歌枕である内陸の「信夫の里」から行きもしない貴族らが勝手に海浜と錯覚したトンデモ仮想の歌枕と言える。「さわり」は「障(さは)り」で本妻の嫉妬に基づく「悪しき動機」「凶兆をきざすもの」「よくない状態を齎す事実」の意の一種の忌み言葉として用いている。

「とて、ゆき」の「ゆき」は中世の説話などに多く見られる会話文前後で生じたダブり。

「いときよらに」古語に於ける「美しい」の比較級中の最上の表現。

「めづらかに聞え給へば」前の正妻の「よきさかな」という凶悪の言挙げを、夫は禁断にして致命的に最悪の形で、それに応じてしまったのである。最悪の事実怪異の起動部分であり、コーダの正妻の失踪などに比べれば、遙かに凄い部分である。されば、直後の、「さらば、さかなとりて參らん。」「と奧に入《いり》、かの子を、竹の串(くし)にさしつらぬき、……」の「入」を「いる。」とするか「いり、」とするか、かなり悩んだ。結果して映像的に考えて、カットを入れずに、長回しで撮るべき部分と考え、読点とした。]

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