曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「駒込追分家主長右衞門奇特御褒美錄」
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(右ページ上段後方)から載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。]
○駒込追分家主長右衞門奇特御褒美錄
文政十三年庚寅年[やぶちゃん注:一八三〇年。]閏三月十四日、於二北御番所一被二仰渡一。
駒込追分町家主
「江戶一」と銘有ㇾ之酒賣出
し、家號「高崎屋」と云。 長 右 衞 門
其方儀、當二月廿二日曉、町内に、兩度、火付、有ㇾ之、家根《やね》上へ燃拔《もえぬき》候處、右長屋の者、其外、町内の者共、早《はや》、連出合《つれいであひ》打消《うちけし》候に付、右爲二褒美一《はうびとして》消留候者共三人え、金二朱宛、燃立《もえたち》候長屋、隣地面の者共え、一長屋《ひとながや》に金二朱、酒三升づゝ、四ケ所へ差出《さしいだ》し、同町の儀は、輕き御家人拜領、町屋敷にて、住所に町人共、身元相應の者、無ㇾ之、此度《このたび》、出火の儀に付、町觸《まちぶれ》も有ㇾ之候に付、働《はたらき》候者共え、手當可ㇾ遣程の身分の者、無ㇾ之處、其方一人にて、手當致し遣し、殊に、四ケ年前、亥年[やぶちゃん注:文政十年丁亥。]二月、祖父、年回[やぶちゃん注:還暦か。]に付、町内、幷、隣町、其日稼《そのひかせぎ》の者共、二百六十軒へ、米五升づゝ、家主共五人へ、醤油一樽づゝ配り遣し、在方より出候荷付馬、千疋程に、豆一升づゝ飼料《しれう》與へ、平日[やぶちゃん注:普段。]、宅へ出入候三十人程に、金二朱宛、差遣し、物貰ひ・非人、二千人程へ、鳥目十二銅、差遣し、常々、町・隣町困窮の者にて煩《わづらひ》候者へ、名・住所不ㇾ知承候《しれずうけたまはりさふらふ》て、罷越、施行、乞《こひ》候者には、其人體《じんてい》に寄り、金二朱、鳥目二百文位、遣候趣相聞《おもむきあひきき》、奇特成《きどくなる》儀に付、爲二御褒美一銀三枚被ㇾ下候間、難ㇾ有可ㇾ奉ㇾ存。
右長右衞門父
午 長
其方儀、年來困窮の者共へは、少々づゝ手當致遣し、八ケ年以前、未年《みどし》[やぶちゃん注:文政六年癸未。]、町内、出火、有ㇾ之、自分宅臺所向、類燒致候處、近邊類燒致候者共、大勢へ、手宛致し遣し、奇特の儀に付、筒井伊賀守御番所にて、御褒美被ㇾ下候處、又候《またぞろ》、翌年、町内、出火、有ㇾ之、居宅、不ㇾ殘、類燒致候得共、右未年よりは、却《かへつ》て餘計に手當差遣し、且、次男淸太郞儀、小網町三町目兵左衞門店に、酒醬油商賣致し罷在候處、病氣にて、在方親類方へ、爲二保養一罷越候處、留守中致二留守一居候處、去年三月廿一日、大火の節、淸太郞居宅も類燒致候得共、存寄《ぞんじより》を以、同町、幷に、隣町類燒の者、其日稼《そのひかせぎ》の者、二百八十三軒へ、都合、金四十二兩餘、施し、奇特至極の儀、忰《せがれ》長右衞門も善事《よきこと》を致候儀、畢竟、敎宜敷《をしへよろしき》故の儀に付、爲二御褒美一銀二枚被ㇾ下候間、難ㇾ有可ㇾ奉ㇾ存。右之通被二仰渡一候。
[やぶちゃん注:「駒込追分」町名。現在の文京区向丘一・二丁目附近(グーグル・マップ・データ)。
「午長」子の名から「ごちやう」と読んでおく。隠居名か。午年生まれであったか。]
« 萩原朔太郞 一九一三、九 習作集第九卷 初冬 | トップページ | 萩原朔太郞 一九一三、九 習作集第九卷 くもり日 »