大和怪異記 卷之七 第十一 祖母まごをくらふ事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第十一 祖母まごをくらふ事
上州厩橋《まへばし》邊、大胡村《おほごむら》の名主が母、七十余歲になりしが、孫(まご)、三歲になるを、いだき愛せしに、ある夜(よ)、かのまごをくらひ、手ばかり殘して、子に見せければ、ぜひなく、ろうに、をしこめおきしと云《いふ》。同
[やぶちゃん注:「ろう」及び「をしこめ」はママ。「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第十 奇怪篇」にある「祖母孫を噉(くら)ふ」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。同合巻の4コマ目から。そちらでは、冒頭に、『上州厩橋(まへばし)より二里ばかり隔てし大胡村(をうごむら)』(歴史的仮名遣の誤りはママ)とあって、実測で以下の地図でも合致する。名主は『大塚七之助』と出ること(句読点・記号を追加した)、『ある夜、「われ、孫を噉(くひ)たり。手ばかり、殘りたる。」とて、見せければ、』と直接話法にになっている点が大きく異なる。
「上州厩橋邊、大胡村」「上州厩橋」は前橋の旧称。江戸時代に前橋となった。ここはその旧広域地名で、中世までは「厩橋」と書き、「まやばし」と読まれてきた。「大胡村」は群馬県前橋市大胡町(おおごまち:グーグル・マップ・データ)である。]
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