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2022/12/18

大和怪異記 卷之七 第三 猿をころし發心する事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここと、ここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。

 挿絵があるが、これは「近世民間異聞怪談集成」にあるものが、状態が非常によいので、読み取ってトリミング補正し、適切と思われる箇所に挿入する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。底本(カラー。但し、挿絵は単色)の挿絵部分もリンクを張っておく。]

 

 第三 猿をころし發心する事

 信州下伊奈郡《しもいなのこほり》、入㙒谷村の者、冬の日、獵(れう)に出《いで》、仕合(し《あはせ》)あしく、かへる道の大木に、猿(さる)居《ゐ》たるを、うつて、夜に入《いり》、やどに、かへり、

「あす、皮を、はがむ。こほりては、はぎがたし。」

とて、いろりのうへに、つり置《おき》ぬ。

 

Kozaruoyazaru

 

 夜ふけて、男、目をさましみれば、いけ置《おき》し、いろりの火《ほ》かげ、見えつ、かくれつするを、ふしんに思ひ、よくよく、うかゞひみれば、子猿、をやざるがわきの下に、とりつきゐけるが、一疋づゝ、かはりがはり、をりて、火にて、手をあぶり、おや猿が鐵砲きずを、あたゝめしを見るより、かぎりなく、あはれに思ひ、

「我、いかなれば、身ひとつを、すぎん。」

とて、

「かゝる、なさけなきいとなみをする事ぞや。」

と、先非(せんひ)を悔(くい)、あくる朝(あさ)、妻に、いとまをとらせ、頭(かしら)をそり、世をのがれ、一心不亂の念佛者になり、諸國修行に出しとかや。

[やぶちゃん注:原拠表示がないが、前後の話の末尾原拠が『同』とあることから、「犬著聞集」であることが判り、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第二 慈愛篇」にある「猿子(えんし)親(をや)を療(りやう)して人心を感發(かんはつ)す」(歴史的仮名遣の誤りはママ)である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。一巻から三巻の合巻となっているPDF一括版56コマ目から。

「信州下伊奈郡《しもいなのこほり》、入㙒谷村」「三峰川総合開発工事事務所」公式サイト内の「三峰川資料館」の「孝行猿物語」に驚くべき民俗学的な詳細の記載があり(必見!)、この主人公とされる勘助なる人物の子孫が今も家を守っておられるとある。また、この話は明治期の「脩身口授用書」、文部省大正七(一九一八)年発行の「尋常小學修身書 卷一」、昭和一一(一九三六)年に修正印刷された「尋常小學修身書 卷一」にも載っているとあり、全国的にも非常に知られた昔話であることも判った(私は不学にして知らなかった)。話柄自体の原ロケーションは、その記載に従って調べると、長野県伊那市長谷市野瀬附近(グーグル・マップ・データ)であり、また、その御子孫高坂家の一部が「孝行猿資料館」として入野谷地区にある。この地には「孝行猿の碑」(サイト『観光情報「観るなび」』。地図有り)があり、また、サイト「伊那谷ねっと」のこちらによれば、二〇一〇年四月には、『伊那市長谷の南アルプス生涯学習センター「入野谷」内に完成した』ともある。

「いけ置し」「いけ」が不審。この叙述では吊るされている状態では、まだ、親猿は生きていたということだろうか? 先の「三峰川総合開発工事事務所」の解説では、『「長谷村誌」などによる』として、子猿たちが介抱にくるシークエンスを、『囲炉裏の周りに子猿が三匹います。一匹が囲炉裏の火で手をあぶっては、四つん這いになった二匹を踏み台に、吊るされた猿の傷口に手を当て温めていまし た。勘助が撃(う)ち殺した猿の子供たちが、親猿を何とか生き返らせようとして、囲炉裏と親猿の間をしきりに行き来していたのでした』。『「ああ!昨日帰りに鳴いた猿は、この子猿たちだったのか!」どうにかして親猿を生き返らせたいと、夜中に一生懸命に手当している子猿たちを見ていると健気(けなげ)に思えてなりませんでした。「私は、生計を立てようとして、何故(なぜ)こんな情けないことをしてしまったのか」と先非を悔いました。子猿た ちは、夜明けとともに山へ去っていきました』。『親子の愛情に深く心を打たれた勘助は、夜が明けると、親猿を背負って裏山に登り、大きな一本松の木の根元に葬(ほうむ)って手厚く母猿の霊を慰(なぐ さ)めました。また、祠(ほこら)を建ててせめてもの心尽くしとしました。勘助は、猟師として生き物を殺してきた過去の非を後悔して、猟師を廃業しまし た。そして、頭を剃(そ)って一心不乱の念仏者になり、諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出たといいいます』と、より詳しく、優れた臨場感(後代の伝承の膨らみが見てとれる)が語られてある。私はたいそう心打たれた。なお、サイト「南アルプス山麓探訪」の澤崎文仁氏の記事(写真有り)「孝行猿」も参照されたい。]

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