大和怪異記 卷之七 第十三 牛をころしてむくふ事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第十三 牛(うし)をころしてむくふ事
江戸をはり町一丁目の扇《あふぎ》や、さいくの上手(じやうず)にて、牛の子《こ》を、もとめ出《いだ》し、おもてより、四足(よつあし)まで、「虎の皮」にて、ぬいまはし、
「とら、なり。」
とて、境町《さかひちやう》のしばゐに出《いだ》し、大《だい》ぶんのあたえ[やぶちゃん注:ママ。「價(あたひ)」。]を、とる。
されども、
「なかせじ。」
とて、くちを、ぬいこめしゆへ、食物をたちて、五、六日ありては、死(しに)けるを、とりかへ、とりかへ、五、六ひきに及《および》しとき、ていしゆ、けしき、あしくなり、のちには、一向に、うしのほゆるまねして、身まかりし。
一生、わづかのいのちをつがむとて、なさけなきふるまひし、むくゐ[やぶちゃん注:ママ。]たちまちに來れるは、おそろしき事ならずや。同
[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第四 報仇篇」にある「虎皮(とらのかは)牛にまとひ牛の鳴(なき)をなして死す」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。合巻のここの16コマ目から。有意な異同はない。
「江戸をはり町一丁目」尾張町一丁目は、この中央附近(グーグル・マップ・データ)。現在の東京都中央区銀座六丁目。
「境町」現在の中央区日本橋人形町三丁目(グーグル・マップ・データ)。人形芝居小屋・歌舞伎中村座及びそれらの茶屋や市店があり、江戸の歓楽街として知られた。]
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