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2022/12/07

曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「一月寺開帳御咎遠慮聞書」

 

[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(右ページ下段半ば)から載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。

 馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。一ヶ所、不審な箇所を小文字にした。]

 

   ○一月寺開帳御咎遠慮聞書

文政十三庚寅年春、淺草觀音境内にて、下總國小金村一月寺、本尊開帳の節、

 似《え》せ虛無僧にて、被召捕候人々の由、

 衣服・改名・住所等、尋《たづね》、差返置候者。

               筧 傳五郞 靜山

               日野古十郞 秋山

           新見十兵衞二男之由

               名不ㇾ知     貞學

          小普請組

           小笠原勝三郞支配

              中田鍬五郞  晉隣

 召連候者、

           民部卿殿徒士頭

            小島藤右衞門組

              三浦雄五郞  陰樹

           淺草新堀東町組屋敷

            大御番與力當時浪人

              渡邊勝之助  巳道

           從弟

            佐野半十郞住所長冨町

             兄加藤常五郞

              上野御殿勤厄介人

              加藤半五郞  晉風

           下谷坂本入谷村

            御掃除頭柳田求右衞門組

             西丸表御膳所出役

              福原小三郞  貞友

           本所御掃除町組屋敷

            聖天下舟宿竹屋養子

              磯部勝次郞  竹壽

一月寺は、遠慮・逼塞、開帳場淺草念佛堂、戶、しめ、御目見以下のものは、右、つれられて、それぞれへ、あづけらるゝ。九月中旬にいたりても、なほ、落着の事、聞えず、と云。當時の落首、「小金より大金まうけに來たれども一日ぎりであとは御無用」。

似せ虛無僧の錦繪、三番、出る。馬喰町森屋治兵衞板元也。草紙、改《あらためて》、名主より、賣留《うりどめ》申付、絕板。

[やぶちゃん注:「遠慮」処罰の一種。形式は「逼塞」と同内容であるが、それよりも事実上は自由度の高い軽謹慎刑で、例えば、夜間に潜り戸からの目立たない出入りは黙認された。

「文政十三庚寅」グレゴリオ暦一八三〇年だが、この文政十三年は十二月十日(一八三一年一月二十三日)に天保に改元している。

「下總國小金村一月寺」(いちげつでら)は現在の千葉県松戸市小金にあった虚無僧寺として有名な普化宗(ふけしゅう)の関東総本山であった。普化宗が江戸幕府との繋がり強かったことから、明治政府により解体されたが、寺院としては後に日蓮正宗に宗旨替えをし、寺名も「いちがつじ」に改め、金龍山一月寺と再興されてある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「小金より大金まうけに來たれども一日ぎりであとは御無用」普化宗の用いる「普化尺八」とは、異なるが、尺八の一種を「一節切(ひとよぎり)」と呼ぶ。これは、古く室町時代に伝えられたとされ、竹の節を一つ含むように作られていることから「一節切尺八」と呼ばれる。この落首は尺八全般を「一節切」とみなし、それに洒落めかしたものである。

「九月中旬にいたりても、なほ、落着の事、聞えず」贋普化僧の中に複数の幕府の現役番士らは含まれていたからであろう。現在の閣僚ドミノ解任と同じだ。]

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