大和怪異記 卷之五 第三 へび人の恩をしる事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第三 へび人の恩をしる事
いづみ国槇尾山、ちかき在所の僧、ちいさき蛇を「乙《おと》」と名つげ[やぶちゃん注:ママ。]、年久しくかひけるが、後には、甚だ、大《おほき》になりて、旦那も、おそれしかば、かの僧、「乙」にむかひて、
「汝を、人々、おそるゝに、いまより、爰《ここ》には、かなひがたし。」
とて、あたりの池につれ行《ゆき》、
「この池ぬしと、なれ。」
と云(いひ)て、はなちける。
あるとき、里人、
「水、あみる。」
とて、「乙」にとられ、死しぬ。
これによつて、その一ぞく共゙、
「これは、もと、いはれぬものを、はなてるゆへにこそ、かゝること、仕出(しいた[やぶちゃん注:ママ。])しつれ。坊主は、われわれが、「かたき」なり。いざ、うちころさん。」
など、のゝしるを、坊主、つたえ聞(きゝ)、かなしく思ひ、池にゆきて、
「『乙』や、ある。」
と、よび出《いだ》し、
「をのれが[やぶちゃん注:ママ。]、里人を、とりしゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、『われは、ころさるべき。』と沙汰す。なさけなきこと、したるものかな。」
と、かき口說(くどき)しに、大蛇、つくづく聞居《ききをり》しが、かたはらなる岩に、かしらを、うちつけて、終《つひ》に死しける。
里人、
『きどくの事。』
に思ひ、堂をこんりうし、「乙《おと》が堂(だう)」と、なづく。
蛇の長さ、十三間《げん》ありしを、かたとり、十三、石(いし)をすへ、經文字(きやうもんじ)をきり付《つけ》、今にあり。同
[やぶちゃん注:原拠「犬著聞集」は所持せず、ネット上にもない。また、同書の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」にも採られていないようである。
「いづみ国槇尾山」槇尾山(まきおさん)は大阪府和泉市にある標高六百メートルの山で、参拝登山者の多い霊峰である。ここ(グーグル・マップ・データ)。和泉市槇尾山町にある。標高五百メートルほどの位置に行基・空海所縁の古刹の天台宗槇尾山施福寺(まきおさんせふくじ)があるが、かく言っている感じでは、その寺の僧ではないような感じはする。「和泉市立和泉図書館」公式サイト内の「和泉のむかしばなし」にも、『乙が堂の場所がどこだったのか、いまでは、はっきりとはわかりません。ただ、むかしばなしだけが伝えられ、残っています』とある。
「いはれぬもの」「言はれぬ」は連語で「道理が通らない」或いは「必要な・無用の」の意。後者でよかろう。
「十三間」二十三・六四メートル。異様に長い。上記のリンク先では『十三丈』とあり、これだと、三十九・三九メートルで、それ以上に長い。
「かたとり」「象(かたど)り」。菩提を弔う象徴として。]
« 大和怪異記 卷之五 第二 盲目觀音をいのりて眼ひらく事 | トップページ | 大和怪異記 卷之五 第四 女病中に鬼につかまるゝ事 »