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2022/12/03

曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「風怪狀」

 

[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(左ページ上段十行目)から載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。

 馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。今回はやや長いが、そのままとした。

 本篇は「京都地震」関連記事の第七弾にして掉尾。第一篇以降で注した内容は、原則、繰り返さないので、必ず、そちらを先に読まれたい。

 なお、この標題「風怪狀」とは、冒頭からブッ飛びの地震押さえの神として知られた鹿島神宮に対する処罰(「差控」(さしひかへ):江戸時代に武士や公家に科せられた制裁。勤仕(ごんし)より離れ、自家に引き籠って謹慎させる処罰。但し、重い「閉門」とは異なり、門を閉ざすものの、潜門(くぐりもん)から目立たぬように出入りすることは黙認され、比較的軽い刑罰乃至は懲戒処分として、職務上の失策を咎めたり、親族・家臣の犯罪に縁坐・連坐させる場合などに於いて執行された。自発的にも行われ、親族中、一定範囲の者や家臣が処罰を受けると、その刑種によっては、「差控伺(うかがい)」を自分から上司に提出し、慎んで指示を待ったりもした)を記すことで判る通り、重要機密書類を指す「封廻状」に引っ掛けた、自然災害である大地震の被災による当時の社会状況を皮肉ったり、茶化したりして、洒落のめしたパロディ系号外の極めて悪趣味な「瓦版」の一連のそれを指す。幕末の「安政の大地震」(安政年間(一八五五年から一八六〇年まで)に日本の各地で連続的に発生した大地震群)の直後の「鯰絵(なまずえ)」がよく知られる。]

 

 ○風怪狀

         鹿島常陸神

  名代 香取下總神

其方義、往古より地震押《おさへ》のため、鎭座被仰付候處、一昨年、越後國牧野備前守領分、大地震、有ㇾ之、老中の領分勘辨無ㇾ之、所々、猥《みだり》に震崩《ゆりくづれ》候間、人馬、數多《あまた》致死亡、既に公儀より、備前守拜領金、被仰付候程の儀、乍ㇾ去、代々、勳功被思召、其儘に被指置候處、此度《このたび》、洛中、大地震にて、奉ㇾ驚帝都、二條御城、令破損候段、御場所柄共《ども》不ㇾ辨致方《わきまへざるいたしかた》、其方《そのはう》、あらん限り、右樣の儀、有ㇾ之間敷筈《あるまじきはず》之處、畢竟、手ゆるく候故の儀、不束《ふつつか》の恨《うらみ》に付、依ㇾ之、差控被仰付候。

右者、於伊勢神宅に、出雲神、出座、伊勢神、申渡之、御目付、西宮惠比須三郞、相越《あひこし》候。

       石野要人

         名代 奈須野伊四郞

其方義、鹿島常陸神、爲配下《はいかを爲(し)て》地震橫行《わうかう》の儀、爲ㇾ致間敷筈《いたし爲(な)すまじきはずの》の處、中世以來、數多《あまた》の地震、有ㇾ之、其方え、申付置候甲斐、無ㇾ之候迚《とて》、先年、水戶中納言殿、掘捨可ㇾ被ㇾ申處《ほりすてまをせらるべきところ》、格別の用捨を以、被差置候處、右之儀共、致忘却、剩《あまつさへ》、鯰《なまづ》を差《さし》ゆるし置《おき》、越後國、幷、洛中、兩度、大地震、相企《あひくはだて》候段、畢竟、其方、常々、押《おさへ》、聞不ㇾ申候《ききまをさずさふらふ》よりの儀、瓢たん同樣の心得方《こころえかた》、重々、不埒の儀に付、野見源之介を以、「こつぱ」にも可ㇾ爲ㇾ致處、常陸神より申立候筋も有ㇾ之に付、此度も不ㇾ及沙汰、土中へ押込申候。

[やぶちゃん注:「石野要人」以下の「名代」の「奈須野伊四郞」の名と、「中世以來」の犯罪行為というところからは、那須野の「玉藻の前」「九尾狐」の変じた「殺生石」を指しているように私には読めた。

「押、聞不ㇾ申候」の「きき」の「聞」は、「言うことを聞かない」の意よりも、当て字であって、「効(き)き」で、「全然、鯰に対する抑えが効いていなかった。」という意で私はとった。

「瓢たん同樣の心得方」「瓢簞鯰」(ひょうたんなまず)のこと。禅画や「大津絵」で知られる「瓢簞で鯰を押さえて捕える」という凡そ不可能な場違いな行為から、「捉え所のない様子・要領を得ないさま」及び「そのような人」を指す。]

                赤井星四郞

其方儀、近來《ちかごろ》、每夜、徘徊致候に付、諸人、怪《あやし》み、種々《しゆじゆ》の惡說、申觸《まをしふれ》候。上方筋の地震も、都《すべ》て世上には、右、前表《ぜんぴやう》の趣《おもむき》に申候。畢竟、奢侈《しやし》に長《ちやう》じ、目立候光り方、明星をも如ㇾ致ㇾ蔑《さげすみいたすがごとく》に相聞《あひきこえ》へ、紛敷《まぎらはしき》不行跡《ふぎやうせき》、天文方《てんもんかた》へ申渡し、糾明可ㇾ被仰付處、高橋作左衞門、牢死後、何《いづれ》も、星學、不案内の趣に付、不ㇾ及其沙汰、依ㇾ之、「急度《きつと》光り」申付候。

右於評判所所々夫々へ申渡、此節、地震番所において寫ㇾ之者也。

[やぶちゃん注:これは火星を処罰したもの。処罰が洒落ている。「急度叱(きつとしかり:江戸時代、庶民に科せられた刑罰の一種で、一番軽い「叱(しかり)」の重いもので、厳重に叱責するだけで、放免する軽刑。「叱」と同様に犯罪者本人だけでなく、連座した者にもしばしば科せられた)を「急度光り」としたのである。

「高橋作左衞門」幕府天文方として間重富(はざましげとみ)とともに「寛政暦」を完成させ、伊能忠敬の師でもあった天文家高橋至時(よしとき 明和元(一七六四)年~享和四(一八〇四)年)の長男高橋景保(かげやす 天明五(一七八五)年~文政一二(一八二九)年)。至時の死後に後継として文化一一(一八一四)年天文方筆頭(書物奉行を兼任)に任命された。当該ウィキによれば、ヴァシーリイ・ゴローウニンの「日本幽囚記」(一八一六年)が『ロシアで出版された際には、その誤った記述を正すため』、「ゴローヴニン事件」で『ともに逮捕したムール少尉の「獄中上表」をオランダ語訳し、ヨーロッパで出版する計画を推進したが』、「シーボルト事件」により『果たせなかった』。文政一一(一八二八)年の「シーボルト事件」に関与して、同年十月十日(グレゴリオ暦十一月十六日)に『伝馬町牢屋敷に投獄され、翌』文政十二年二月十六日(一八二九年三月二十日)に『獄死している。享年』四十五であった。『獄死後、遺体は塩漬けにされて保存され、翌文政十三年三月二十六日、『改めて引き出され』、『罪状申し渡しの上』、『斬首刑に処せられている。このため、公式記録では死因は斬罪という形になっている』とある。この部分は、そうした死者に鞭打つ幕府の処分に対する批判の示唆も含まれているように感じられる。]

          川住父大奈滿壽事

             地    震

其方儀、往古《わうこ》、於大海橫行候に付、蒲燒にも可ㇾ被仰付筈の處、御れんみんを以、鹿島常陸神配下に申付、地震、蟄居可罷在處、其後、古歌の定《さだめ》をも不相守、刻限の無差別も種々の病等、爲ㇾ致流行、諸人、難儀に付、先年、水戶家より、要人え、糺《ただし》之上、格別之譯を以、其儘に相成置候得共、尙又、相鎭可罷在處、近頃、相亂れ、越後國、幷、洛中等、及二亂暴に一、地中より、泥砂等、吹出し候儀、全く彌勒出世之年限をも不相待、泥海に可ㇾ致心底に相聞、旁《かたがた》不埒の至《いたり》に候。依ㇾ之、鹿島常陸神へ、改《あらため》て、御預け、奈落へ蟄居被仰付候。

 右、何人《なんびと》の戲作なるを、しらず。庚寅九月廿一日、ある人よりに借《かり》、謄了《うつしをはんぬ》。

[やぶちゃん注:「川住父大奈滿壽事」「かはずみ ちち おほなまづ」。

「れんみん」「憐愍」「憐憫」。

「古歌の定」平凡社「世界大百科事典」の「地震」の中の宮田登先生(先生は、たしか、私が教師時代に勤務した横浜翠嵐高等学校の卒業生である)による『【民俗】』に(コンマは読点に代えた)、『大地震が起こると、関西地方では〈世直り世直り〉、関東地方では〈万歳楽万歳楽〉などと唱えたという伝承がある。いずれもこの世が変わるという潜在意識の表現であり、民衆の地震観をよく示している。世界を支えている動物がおり、その動物が動くと大地震が起こるという信仰が人類文化に共通して存在している。東南アジアや東アジアには、世界魚または世界蛇が多い。履城県鹿島地方の鹿島神宮には要石(かなめいし)があって、鹿島明神が世界魚である鯰(なまず)の頭と尾を押さえつけているという俗信がある。要石が鯰を押さえている釘(くぎ)で、これがゆるくなると』、『鯰が動き』、『地震が起こるというのである』。

 搖(ゆら)ぐともよもや拔けじの要石

        鹿島の神のあらん限りは

『という和歌が地震除けのまじないとして伝承されている。鯰以前は大蛇であったという。島国日本を大蛇がぐるりととり巻いている絵が』、建久九(一一九八)年に『作られた暦の表紙に描かれている。この大蛇が』、『鯰に変化したのは』、『江戸時代中期だったらしい。日本の昔話には〈物言う魚〉のモティーフがあり、これは魚王が人間に対して自然界の災厄を予知するという信仰を基底に成り立っている。この場合、鰻(うなぎ)、鯰、岩魚(いわな)などが多い』安政二(一八五五)年十月に『起こった大地震は』、『江戸市中を破壊したが、その直後に流布した瓦版として』「鯰絵」『がある』。「鯰絵」の『図柄は鹿島明神と要石と鯰が題材となっており、一般に知られているのは』、『鹿島明神が要石で』、『鯰を押さえ込む構図である。地震を〈地新〉と表記し、世界が新しくなるという理解のあったことがわかる。これは世直りの観念と揆(き)を一にしている。一方、大鯰が鯰男の姿となり、海の彼方から出現してきて』、『金持ちの悪徳商人たちを』、『たたきのめしている図もあり、これは〈世直し鯰〉として包括されている。〈世直り〉とか〈世直し〉という日本語は、江戸時代の初期にはすでに存在していたらしい』とあった。]

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