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2022/12/13

大和怪異記 卷之六 第五 狼人にばけて子をもちし事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここと、ここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。

 挿絵があるが、これは「近世民間異聞怪談集成」にあるものが、状態が非常によいので、読み取ってトリミング補正し、適切と思われる箇所に挿入した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。底本(カラー。但し、挿絵は単色)の挿絵部分もリンクを張っておく。]

 

 第五 狼《おほかみ》人(ひと)にばけて子(こ)をもちし事

 

Ohokamihitonibakeru

 

 越前国大㙒郡(おほのごほり)菖蒲池《しやうぶいけ》のあたりに、「むらがり狼」出(いで)て、日くるれば、人をなやます事ありしに、ある僧、菖蒲池の孫左衞門といふもののかたに、心ざして、ゆきしに、思ひの外、狼、早く出《いで》て、通りがたかりしかば、大《おほき》なる木、ありしに、

「よしや、爰にても、一夜(いちや)を、あかせ。」

とて、枝にのぼり居(ゐ)るに、狼、木のもとに、むらがりあつまり、うへをまもり居(ゐ)けるに、ひとつの狼が、いひしは、

「菖蒲池の孫左衞門がかゝを、よびて、來《きた》らん。」

とて、ゆきしが、程なく、大なる狼、來り、つくづくと見ゐて、

「我を、肩車に、あげよ。」

といふ程こそあれ、我も我もと、「うしろもゝ」に、くびをさしいれ、次第にあげゝるほどに、すでに、僧の、をり所《どころ》ちかく、さし上(あげ)たり。

 僧も、すべきやうなくて、「まもりわきざし」を引《ひき》ぬき、狼がかしらを、

「はた」

と、つきければ、くづれをち[やぶちゃん注:ママ。]、手負(て《おひ》)をたすけ、おのが、さまざま、かへりける。

 夜明(よあけ)て、かの僧、孫左衞門がかたに行《ゆき》みれば、

「妻女、其夜、にはかに、死しける。」

とて、さわぎあへるによつて、死骸をみるに、大なる狼にて侍りしと、なん。

[やぶちゃん注:原拠は前話と同じで「犬著聞集」。「犬著聞集」自体は所持せず、ネット上にもないが、所持する同書の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第十 奇怪篇」の「古狼(ふるをゝかみ)婦(ふ)となりて子孫(こまご)毛(け)を被(かふむる)る」(歴史的仮名遣の誤り他はママ)である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。ここと、ここ(単独画像)。しかし、本書の作者は、今回は、原拠の大切な後半をうっかり省いてしまい、「標題に偽りあり!」の形にしてしまったのが致命傷となってしまっている。「子をもちし事」のコーダの衝撃が、まるまる抜けてしまっているのだ! また、ここに幸いにして、同一原話を典拠としたと思われる、本篇よりも、より見事に膨らました後代の、章花堂なる不明の著者の手になる元禄一七(一七〇四)年板行の浮世草子怪談集に「金玉ねぢぶくさ卷之八 菖蒲池の狼の事」があり、二年前に電子化注してある。以下では、一部を除いて、そちらで注した内容は繰り返さないので、まずは、そちらを読まれたい。

「越前の國大野郡菖蒲池」古くからの福井から郡上八幡に抜ける美濃街道(鯖街道の一つ)が通る現在の福井県大野市菖蒲池(しょうぶいけ)(グーグル・マップ・データ)。実は「金玉ねぢぶくさ」の原本では、「菖蒲池」「かまふち」と読んでいるのだが、本篇の場合、作者(編者)は読みを全く振っていないからには、一般常識から「しやうぶ」(しょうぶ)か、「あやめ」としか読めないわけで、現地名で読むのが筋であろう。江戸時代に「かまふち」「がまふち」(がもうち)と読んだとする文書が私には見つからなかった。ここは今も現在の九頭竜湖へ向かう山岳地帯(グーグル・マップ・データ航空写真)のとば口であり、いかにも群狼(ぐんろう)が棲息していたという感じがする。]

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