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2022/12/24

明恵上人夢記 99

99

一、此の廿八日以前の夢に、板木に「彌勒經」の、二、三枚なるを、押し付けたり。經を印する時の如く、押し付けたり。『此(これ)を放ちて讀むべし。』と思ふ。覺めて後に、『「八名經(はちみやうきやう)」を讀むべきか。』と思ふ處、『後日に此の式を撰じたる以後、佛前に於いて祈請すべし。可なりや不(いな)や。』の由、之を思ふ處、案ずれば、此の夢は、卽ち、彌勒の之を印可(いんか)し給ふ夢想也。然りといへども、尙々、諸人にも志(こころざし)有るものには、之を授くべし。仍(よ)りて、大聖(たいしやう)之(の)御知見、御許し有るべき由一つを、同廿九日の朝、佛前に於いて所作之時、精誠に祈請す。其の時、所作の中(うち)に、少し、眠り入る心地す。幻の如くして、一つの大きなる門有るを見る。年來(としごろ)、人、通はず。一人の長(たけたか)き人、有り。「之(これ)に勅(ちよく)して、開くべき由。」を仰(おほ)す。一人【童子の心地す。】有りて、來りて、此の大きなる門を開く。『往昔(そのかみ)より、人、通はずして、久しく成りぬる門を、今、許可(こか)有りて、諸人、此(これ)より之(ここ)に出入すべし。』と思ふ。其の夕(ゆふべ)、道場に入る時、思ふに、此、卽ち、本尊之許可也。仍(よ)りて、一七日(ひとなぬか)許りと思ふに、此の相を得て、佛前に置く。式を取りて出で了(をは)んぬ【例時之(の)本尊に料理し奉り、釋迦・彌勒の御前にて祈請し奉る也。】。

[やぶちゃん注:これも日付から前にある「97」「98」との連続性は明らかである。既に述べた通り、承久二(一二二〇)年説をとる。さて、本記載は、やや複雑である。まず、

①以前に見た夢についての記載(時間が経って意識が論理的に整序してしまった感は強い)

②その直後に覚醒して考えた分析

③その後に修法を行ったが、その途中、睡眠に似た状態に入ったような感じになって見た夢

が語れるという構造を持つ。最初に記された夢はちょっと意味が判り難い。――「弥勒経」(未来仏である弥勒菩薩について述べた経典の総称で、特に竺法護訳「弥勒下生(げしょう)経」、鳩摩羅什訳「弥勒大成仏経」、沮渠京声(そきょけいせい)訳「弥勒上生経」を『弥勒三部経』と称する)の板木に印刷するために紙を押し付けた――というのではなく、何の板木であるかは判らないが、それにあたかも摺り版をするように、既に書かれてしまっている「弥勒経」の、二、三枚の経文を何故か押しつけた――というのである。しかも、そうしながら、夢の中の明恵は――『これを剥がして「弥勒経」を読むのがよい、正しい。』と確信を持っているというのである。これは思うに、弥勒菩薩の真の在り方が世上に理解されていないこと、そこで私が弥勒本来の教えを、まっさらの版木に押しつけて、真の完全唯一の「弥勒経」を作り上げ、衆生にそれを示すのがよいと明恵が思い至ったことを意味しているように私は考えた。

「八名經」底本の注に、『八名は神呪の徳真名。八名呪を受ける者は後代の威徳を得ると説く』とある。

「印可」師が、その道に熟達した弟子に与える許可のこと。「印定許可」「印信認可」などの略。所謂、「お墨付き」のことである。

「料理」物事を整え修(おさ)めること。十全に処理すること。]

 

□やぶちゃん現代語訳

99

 七月二十八日以前にこんな夢を見た――

 板木(はんぎ)に、「弥勒経」を記した、二、三枚の一部を、私は押しつけている。あたかも経を摺り版する時のように、経自体を押しつけているのである。

『これを剥がして読むのがよい。』

と夢の中の私は思っていた。

――さて、その夢から覚醒した後(のち)に、私は即座に、

『「八名経」を讀むべきか。』

と思ったのだが、

『後日に、この式法を正しく選んで以後、仏前に於いて、祈請こととしようか?……さて、しかし、それでよいか、否か?』

といった逡巡をし、しきりに思い迷ったのではあるが、よく考えてみると、この夢は、まさに弥勒菩薩御自身が、それを私に印可なされた夢想であったのだ!

 しかし……そうは思ったものの、

『……なおなお、諸々の人々にも、志しある者には、弥勒菩薩は、これを授かるるに違いない。いやいや、大いなる聖人の御(おん)知見は、それを当然のこととしてお許しになられるに違いない。』

という、もやもやした感覚を抱きつつも、翌日の同月二十九日の朝、佛前に於いて法事を修(しゅ)する時、精魂を傾けて祈請をした。その時、修法の途中に、少し、眠りに入った心地がし、こんな夢を見た――

 幻のように、一つの大きな門があるのを見た。そこは、見たところ、長い年月(としつき)の間、人が通っていない場所なのであった。

 一人の背の高い人が、そこにおられた。

「ここに勅(ちょく)して、この門を開(ひら)くべし。」

という由(よし)を仰せになる。

 そこに一人――童子姿であったように記憶する――があって、来たって、この大いなる門を開いた。

『遙かな昔より、人が通はずに、久しくなった、この門を、今、許可(こか)あって、諸々の人々が、これより以降、ここに出入りすることになるに違いない。』

と思った。

――さて、その夢から覚醒し、その日の夕べのことである。道場に入る際、ふと思った。

『これは! 則ち、本尊の許可(こか)であったのだ!』

と。

 それより、七日(なのか)ばかりの間、それを思念し続けたところ、この真正なる相であるという確信を得て、仏前に、その思いを心に念じ捧げた。式を終えて、道場を出で、私の惑いは、きれいさっぱり消え終わっていたのである。[明恵注:以上は、見た目は、何時もの通りの仕儀で行い、本尊に十全に洩れなく法事をし奉った上、釈迦如来と弥勒菩薩の御前(おんまえ)にて祈請し奉ったものであった。]

 

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