曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「奥州東磯江村百姓治右衞門娘とめ孝行記事」
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(左ページ上段後方)から載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。]
○奥州東磯江村百姓治右衞門娘とめ孝行記事
奧州多羅郡東磯江村
御代官池田仙九郞支配所 百姓 治右衞門
娘 と め【寅十歲】
右治右衞門儀、先達《せんだつ》て、傷寒相煩《あひわづらひ》候處、娘とめ、湯殿山え、立願《りふぐわん》いたし、「父、大病、平癒候はゞ、銅燈籠一臺、奉納可ㇾ致」旨にて、懸二祈誓一候處、無ㇾ程、及二全快一候間、「燈籠奉納致吳候」樣、とめ儀、頻《しきり》に治右衞門え、申聞《まをしきき》候得共、銅燈籠、細工人へ承合《うけあひ》候へば、「金九兩、相懸り候」由にて、貧窮の儀故、致二猶豫一居候處、とめ儀、「身を賣《うり》候ても、達《たつ》て、燈籠奉納致度《いたしたく》」、治右衞門へ相《あひ》歎き候間、所持の田地、半分、賣拂、漸《やうやう》、金四兩二分に相成候故、近邊の豪家へ參り、娘を年季奉公に入《いれ》、九兩致二調達一、燈籠をこしらへ、湯殿山へ致二奉納一候。扨《さて》、其後、とめ儀、豪家へ奉公に遣候處、子守爲ㇾ致候。或日、空より、木葉《このは》に交《まぢ》り、錢《ぜに》、降り候。とめ儀、右、錢を拾ひ候。餘人は正敷《まさしく》見候得共、手に入不ㇾ申候。右錢は、主人方え、拾ひ歸り、預け置候。又候《またぞろ》、兩三日《りやうさんにち》、相立《あひたち》候と、如二先日一、錢、降り、夫《それ》より、度々、降申候。餘人は拾ひ不ㇾ申候。其中にも降《ふり》候錢、とめ、孝心を天にて感じ、とめえ、與《あた》ヘ被ㇾ下候故、餘人拾候ては、冥罰《みやうばつ》恐敷《おそろしく》、乍ㇾ去《さりながら》、手傳《てつだひ》、拾《ひろひ》候て、とめえ、遣し可ㇾ申との存念の者は、拾ひ候へば、入手致候由。右錢、主人方へ預け、追《おつ》て、致二算用一候へば、金子にて、九兩二分に相成申候。扨、又、暫過《しばらくすぎ》候て、湯殿山より、使憎一人、治右衞門方へ罷越《まかりこし》、「娘とめ儀、甚《はなはだ》の孝子故、隨分勞《いたは》り、遣《つかはし》候樣、神勅、有ㇾ之。」旨、申述《まをしのべ》、菓子抔、持參にて、とめへ與《あた》へ、歸り候由。
一、湯殿山にては、日々、夥敷有ㇾ之候散錢、一切無ㇾ之候間、不審に致居候處、「東磯江村え、錢降候。」と申故、承候處、孝子燈籠奉納の趣迄、相知れ候間、「神勅」と號し、使僧遣候由。此段、御代官より御屆有ㇾ之候由。
右は珍事にて、例の妄說にも可ㇾ有哉《や》、難ㇾ計候へ共、勸善の一助にも相成候故、認《したため》入二貴覽一候。
文政十三年庚寅月日【此記、六月三日、借抄。今玆、春中の事歟。】
[やぶちゃん注:「奥州」「多羅郡」「東磯江村」いろいろなフレーズで調べたが、奥州に旧多羅郡なる郡名は見当たらず、磯江という地名も発見出来なかった。湯殿山から特に山形県を詳細に調べたが、不詳。識者の御教授を乞う。
「傷寒」漢方で「体外の環境変化により経絡が冒された状態」を指し、高熱を発する腸チフスの類を指す。
「湯殿山」山形県鶴岡市及び同県西村山郡西川町にある、標高千五百メートルの山。ここ(グーグル・マップ・データ)。近くの月山・羽黒山とともに「出羽三山」の一つとして、修験道の霊場として知られる。
「兩三日」二、三日中。
「とめえ、與ヘ被ㇾ下候」主語は奉公先の主人。
「致二算用一候へば」とめより与かった主人が主語で、「最初から降ってきた銭を総計してみたところ」の意。
「文政十三年庚寅」グレゴリオ暦一八三〇年だが、この文政十三年は十二月十日(一八三一年一月二十三日)に天保に改元している。]
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