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2022/12/01

萩原朔太郞 習作集第八卷・第九卷電子化注始動 / 一九一三、四 習作集第八卷 ある日

 

[やぶちゃん注:既に所持する筑摩版「萩原朔太郎全集」の第一巻(昭和五〇(一九七五)年五月刊)及び第三巻(昭和五二(一九七七)年五月刊)に載る詩篇(初出形準拠)は総て電子化注をブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」及び「萩原朔太郎Ⅱ」で終わっている。かくして、最後に載る詩篇は、第二巻(昭和五一(一九七六)年三月刊)の「習作集(愛憐詩篇ノート)」(内実は習作集第八巻及び第九巻。他の習作集は現存しない)の一部(決定稿が発表されているものについては、既に当該詩篇の私の注でほぼ電子化してある)のみであるから、この際、これらも続けて正規表現で電子化を始動し、ブログでの完全な萩原朔太郎全詩篇の電子化注を目指そうと思うに至った。

 底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いる(同書は希有の素晴らしさで、本文のみでなく、編者解説まで総てが正字採用である)。その解題によれば、この「習作集」は『著者自身の保存用として淨書したものと思われる』とあり、『各作品はほぼ創作順に配列されて』おり、『書寫年代は、「習作集第八卷」が大正二』(一九一三)『年四月から九月までであり、「第九卷」が大正二年からほぼ翌年十二月頃までと思われる。清書ノートであるため、書寫時と創作時はかならずしも一致しない』とある。萩原朔太郎満二十七から二十九歳まで(彼は明治一九(一九八六)年十一月一日生まれ)に当たる。この大正二年は、年始めの二月に所謂、〈聖エレナ〉喪失体験の傷心があり、それを受けて、まさにこの四月に自筆歌集「ソライロノハナ」(手製。リンク先は私の八年前のPDF一括電子化注(1メガバイト弱。古い電子化のための正字化不全は御容赦あれ)。全百二十ページ縦書ルビ版。散文「自敍傳」、及び聖エレナに係わる「二月の海」(「大磯の海」)を含む)が制作られている。謂わば、この四月は萩原朔太郎の詩人としての本格的な精神的彷徨の最初の一歩であったと私は思っている。

 なお、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。但し、踊り字「〱」「〲」は横書でも縦書電子化すると、奇体になり、生理的嫌悪感を感ずるので、正字化する。

 当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。但し、これに含まれる短歌は、実は、サイトの「やぶちゃん版萩原朔太郎全歌集」(PDF縦書ルビ附・1.34MB)で電子化しているのだが、Unicode以前の電子化のため、表記不全が多く、また、ブログでは、一部が電子化してあることから、ブログにないものはPDFが見られないデバイスでも読めるように、改めて作成することとした。

 まずは、冒頭の「ある日」である。]

 

一九一三、四 習作集第八卷

 

 

 ある日

 

すこし空腹になりしとき

どこかで花火があがりたり

午後の日光は生ぬるく

やゝ汗ばみたるカフスの上に漂ふ

散步のかへし路

我はあまりの樂しさに

牛肉屋の二階に立ちて

しづこゝろなく

電車の通る街を眺め居たり

 

[やぶちゃん注:なお、次の「放蕩の蟲」は『萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 放蕩の虫』の私の注で電子化済みである。]

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