大和怪異記 卷之五 第十二 小西何某怪異のものを切事 / 卷之五~了
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここと、ここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第十二 小西何某(こにしなにがし)怪異のものを切(きる)事
但馬国に小西何がしといふ侍あり。勇氣、他(た)にこへ、武藝の奧旨(《おう》し)をも、きはめたる聞えあり。
しかるに、ある年、主君より、屋敷をたまはり、地形をならさせけるに、此地、むかしは墓所にてやありけん、山伏の死骸を、ほり出《いだ》す。
面形(めんぎやう)・衣服まで、あらたに葬れるものゝごとし。
早朝の事なりしに、朝日、さしわたるとひとしく、かのかばね、雪霜(ゆきしも)のとくるごとく、消《きえ》うせける。
かゝりし後(のち)、小西氏、熱病をうけて、東西をわきまへず、針・灸・湯藥(《たう》やく)のちからにも及びがたく、はや、すでに時刻を待(まつ)ばかりに成(なり)にける。妻子・親族、こぞりあつまりて、なくより外の事もなき。
しかる所に、外(ほかの)人の耳には、いらず、小西ばかり、聞《きき》けるは、昼の山伏なり。
「水、ひとつ、くれよ。」
と、外より呼(よばゝ)りければ、さしも、死を待《まつ》ほどなる小西、
「心得たり。」
と、いひて、
「むく」
と、をき[やぶちゃん注:ママ。]、かたはらなるわきざしを取《とり》て、立出《たちいづ》るを、妻子・親族、引《ひき》とゞめ、
「こは、いかに。熱におかされけるか。心をしづめよ。」
と、いひければ、小西、
「いや。左《さ》には、あらず。われに、まかせよ。」
と、ふりきつて、ひさく[やぶちゃん注:「柄杓(ひしやく)」に同じ。]に、水を、くみ、
「外の戸を、ひらけ。」
といふ。
下人、不審ながら、戸をひらけば、小西、左手(ひだりのて)にて、ひさくを出《いだ》して、
「山伏、これを吞(のめ)。」
といふ聲と共に、拔(ぬき)うちに切《きり》けるに、
「はつし」
と、手ごたえして、むかふなる芽(ち)がきに、
「とう」
ど、あたり、たをれしをとし[やぶちゃん注:ママ。]ければ、家内(けない)、不殘《のこらず》、火をとぼし、出《いで》てみれども、妖恠(《えう》くわい)は、かきけちて、見へず[やぶちゃん注:ママ。]。
小西、笑《わらひ》て、
「左あるべし。某をなやまさん事は、思ひもよらず。」
と、いひて、内に入《いる》とひとしく、熱病、たちまちにさめ、つねのごとくになりしとかや。但馬土人物語
やまと怪異記巻五終
[やぶちゃん注:今まで通り、この「但馬土人物語」は書名ではなく、「但馬の土人の物語り」の意でとる。
「但馬国」現在の兵庫県北部に当たる。
「小西何某」不詳。
「たをれしをとしければ」「たふれしおとしければ」が正しい。この「たふれ」の後の「し」は古代からある副助詞で、体言・活用語の連用形或いは連体形・副詞・助詞などに付き、強意を示す。係助詞或いは間投助詞とする説もある。中古以降は「しも」「しぞ」「しか」「しこそ」など係助詞を伴った形で用いられることが多くなる。但し、「必ずしも一般的でないだろう」と違和感を持つ読者も多いだろうが、あなたも、果てしない時間が過ぎた、今しも、まさに、――「ただし」「必ずしも」「果てしない」――など、慣用語の中で現に用いられているのである。]
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