萩原朔太郞 一九一三、四 習作集第八卷 慕鄕黃昏曲(ノスタルジヤセレナアド)
[やぶちゃん注:電子化注の意図及び底本の解題と私の解説は初回のこちらを参照されたい。
底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いるが、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。
当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。本篇は今まで電子化していない。]
慕鄕黃昏曲(ノスタルジヤセレナアド)
しめやかなるのすたるぢやのもよほしに
やさしくもさしぐみきたる淚
もとより海近きえにしだの木影ならずば
なにしかはこの薄ら明りをば思ひなやまむ
ところ定めぬぢぷしいの群にはあらで
影の過ぎゆくものはうら哀しく
おとなひ來(きた)るものはなにくれと寂しかり、
たちよりて我が白き指にすかしみる
すかし見る草の葉のうらおもてに
せんすべもなく落日はそがひ泣き
何時までか黃昏(たはかれ)はひとつところを步み居るらむ、
はるばると瞳をあげて遠きを望み
海山こえて燕雀の落つる ところ→姿ちゆく方を思ひみば
我れにはあらで如何なる人が住みにけむ
こゝらへて見知らぬ國の戀ひしさに
やさしくもさしぐみ來る淚はとゞめあへずも。
[やぶちゃん注:標題のルビは「ノスタルヂヤ」は英語のそれに近く、「セレナアド」はフランス語の発音に近いから(英語は“serenade”であるが、音写は「セレネイド」に近い)、異言語のままに組み合わせるなら、 “Nostalgia sérénade” (懐郷小夜(さよ)曲)となろう。フランス語ならば、“Nostalgie sérénade”(ノスタルジー・セレナード)である。編者注があり、『題名の下にSBと記されている』とある。「SB」の意味は不詳。
「えにしだ」マメ目マメ科エニシダ属 Cytisus 。タイプ種はエニシダCytisus scoparius 。全草にアルカロイドを含む有毒種である。広義のエニシダは二十五属約二百種でエニシダ節 Genisteae を作る大所帯である。
「ぢぷしい」「ジプシー」。“gipsy”、或いは、“gypsy”とも綴る。但し、「ジプシー」は差別的意味合いが強いので、現在は使用すべきではない。小学館「日本国語大辞典」によれば、バルカン諸国を中心に、アジア西部からヨーロッパ各地・アフリカ・南北アメリカ・オーストラリアなどに広く分布する民族。十世紀頃、故郷であるインド北西部から西に向かって移動を開始し、十五世紀にはヨーロッパ全域に達した。皮膚の色は黄褐色かオリーブ色で、目と髪は黒。馬の売買・鋳掛け・占い・音楽などで生計を営んでいたが、近年は定住するものも多い。その固有の音楽や舞踏は、ハンガリーやスペインの民族文化に影響を与えた。自称は「人間」の意の「ロマ」である、とある。但し、古く呼ばれていた卑称的「ジプシー」にはロマ族でない人々も含まれているため、「私たちはロマではない」と抗議するケースもあると聴いた。
「そがひ泣き」「背(そがひ)泣き」で、「背を向けて」或いは「後ろを向いて」、「泣き」の意であろう。
「黃昏(たはかれ)」底本本文はルビを『かはたれ』に不当にも強制変更している。先行する『萩原朔太郞 一九一三、四 習作集第八卷 寫真に添へて 歌集「空いろの花」の序に』の「たはかれ」の私の注を参照されたい。]
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