曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「豆腐屋一五郞孤女たか奇談」
[やぶちゃん注:「兎園小説余禄」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。
底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(右ページ上段九行目)から載る正字正仮名版を用いる。
本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。
馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。]
○豆腐屋一五郞孤女《こぢよ》たか奇談
文政十三寅年四月、
芝土器町瑠璃光寺檀家
元京橋善助子分
豆腐屋
先年死去、 市 五 郞
文政九戊六月六日死
去、法名「味艷禪門」。 同 人 妻
同人娘 た か【寅十三歲】
兩親、引續《ひきづつき》、右之不仕合《ふしあはせ》故、無二餘儀一、何者の世話にや、深川、賣女屋《ばいたや》え、九才より、廿七才迄の約束にて、金四兩二分に賣遣《うりつかはし》候處、當春より、座敷へも差出候。其頃より、右亡母、每夜、娘を撫《なで》さすり、頻りに不便《ふびん》に存《ぞんず》る體《てい》、其主人を始《はじめ》、見受候て、當人は勿論、主人も甚《はなはだ》不審に存《ぞんじ》、氣味わるく相成《あひなり》、證文を相渡《あひわたし》、暇《いとま》遣候由にて、右、瑠璃光寺へ參り、最《もつとも》、男二人、女二人、附添《つきそへ》、段々之次第《だんだんのしだい》、申述《まをしのべ》、囘向《ゑかう》相賴《あひたのみ》候に付、不便に存、折節《をりふし》、江湖《がうこ》にて、出家、多く集り居候故、格別の經文、讀誦、四月四日、法事、執行致し、右の證文は、亡母《なきはは》墓所へ納め候。其後は出現不ㇾ致由、和尙、直話《ぢきわ》也。
但《ただし》、賣女屋の家名、隱し吳《くれ》候樣
賴候由にて、和尙、咄し不ㇾ申由、實說に御座候。
[やぶちゃん注:「文政十三寅年」グレゴリオ暦一八三〇年だが、この文政十三年は十二月十日(一八三一年一月二十三日)に天保に改元している。
「芝土器町」「しばかはらけまち」。現在の港区麻布台二丁目の一部、及び、東麻布一丁目・二丁目の北部辺り。現在の東京タワーのやや東の一帯(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「瑠璃光寺」「るりかうじ(るりこうじ)」。曹洞宗金龍山瑠璃光寺。現在の港区東麻布のここに現存。
「先年」文政十二年。父の逝去年。
「文政九……」母の逝去を指す。
「當春より、座敷へも差出候」既に十三だと、遊女としては見習いに当たる「新造」であるが、年齢的にみて、幸いにして、まだ客はとっていなかったのではないかと思われる。
「最」これは「ちゃんと」の意。遊女屋の主人の心遣いが感じられ、それ故に、私はまだ客をとってはいなかったと思うのである。
「江湖」「江湖會」(がうこゑ(ごうこえ))。禅宗、特に曹洞宗に於いて、四方の僧侶を集めて行なう夏安居(げあんご)を指す。「夏安居」仏教の本元であったインドで、天候の悪い雨季の時期の、相応の配慮をしたその期間の修行を指した。本邦では、暑さを考えたものとして行われた夏季の一所に留まった修行を指す。多くの仏教国では陰暦の四月十五日から七月十五日までの九十日を「一夏九旬」「夏安居」と称し、各教団や大寺院で、種々の安居行事(修行)がある。安居の開始は「結夏(けつげ)」と称し、終了は「解夏(げげ)」と呼び、解夏の日は多くの供養行事があるため、僧侶は満腹するまで食べるのが許された。]
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