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2022/12/03

萩原朔太郞 一九一三、四 習作集第八卷 ひとり身

 

[やぶちゃん注:電子化注の意図及び底本の解題と私の解説は初回のこちらを参照されたい。

 底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いるが、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。

 当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。

 前の「慕鄕黃昏曲(ノスタルジヤセレナアド)」の後の、本篇より前の詩篇は、以下の通り、電子化注済みである。

「林檎の核」(短歌十七首)→林檎の核 歌十七首』本文

「五月の歌」(短歌三首)→『五月の歌 萩原朔太郎(短歌三首)』本文

「月見草」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 月見草』の私の注

「一群の鳥」(短歌十九首)→「萩原朔太郎 短歌十三首  附習作二十首 大正二(一九一三)年八月」後半の本文

「麥」→「麥 萩原朔太郎 (初出形+習作草稿)」の注に入れた後者

「ふゞき」→『萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 ふぶき』の私の注の最後]

 

 

 ひとり身

 

「泣くなよ娘

わが少女子が泣くときに、我も哀しく淚ぐむ泣かまほし」

われはひとり身

われとわが身をもてあまし

この妹のもて遊ぶ

人形をみてさしぐまる

われはひとり身日かげもの

昨宵(ゆうべ)の酒がきゝすぎて

かゝる仕末となりにけり

せんすべもなや

 

[やぶちゃん注:削除部分の「仕末」はママ。編者注記があり、『卷末の目次では「獨り身」との題名を附している』とある。

「少女子」「をとめご」と訓じておく。

「さしぐまる」「さしぐむ」の自発形。「思わず、涙ぐんでしまう。」の意。「る」は自発の助動詞。]

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