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2022/12/06

大和怪異記 卷之五 第八 蓮入雷にうたるゝ事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第八 蓮入(れん《にふ》)雷(いかづち)にうたるゝ事

 豊後国日田《ひた》に蓮入といふもの、あり。わかきときは辻切强盜(つじぎりがうどう)をしけるが、いかゞ思ひけん、六十五才にて、かしらをそり、黑衣(こく《え》)をきたれども、心は、むかしにかはらず。子、一人、孫、二人あり。

 ある時、八歲になる孫をつれて、ちかき村にゆきけるに、折ふし、六月中旬の事なり。

 にはかに、くろ雲、たちをほひ[やぶちゃん注:ママ。]、いなびかり、しきりにして、雷(いかづち)、天地もくづるゝばかりなり。

 蓮入、大きにをそれ[やぶちゃん注:ママ。]、いづくをさすともしれず、にげかへる道は、上は、はたけ、下は田中筋《たなかすぢ》、十町ばかりの、ほそみちなり。

 つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、いかづち、此《この》なはて道(みち)に、をち[やぶちゃん注:ママ。]、車のごとくなる火、蓮入があとより、追《おつ》かくる。蓮入は、かさをさし、八歲になる孫を、ひだりのわきにつれ、そでを、かほにおほひゆく所に、此火、蓮入がうへをこすよ、と思へば、

「ひた」

と、ふして、うごかず。

 しばしありて、そら、はれ、あめ、やみければ、其邊(ほとり)にゐけるもの共゙、蓮入が死骸に立《たち》より、見れば、やけくろみて、すみのごとし。

 ひだりのわきに、うごく物あれば、ふしぎに思ひ、引《ひき》のけ、みれば、八歲になる孫、目、うちたゝき、あきれたる躰(てい)なり。

 よくみるに、つゆほどのきずも、なし。

 あくぎやくの蓮入は、ばつせられ、此子は、とがなければ、なにのつゝがもなし、と見えたり。「叢談」

[やぶちゃん注:原拠とする「叢談」は不詳。

「豊後国日田」現在の大分県日田市(グーグル・マップ・データ)。

「蓮入」不詳。

「十町」約一キロ九十一メートル。]

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