大和怪異記 卷之七 第五 狐つきに友ぎつね佗言して狐のく事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここと、ここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第五 狐つきに友(とも)ぎつね佗言(わびごと)して狐のく事
丹後国峯山《みねやま》に、角兵衞といひし者、あるとき、晝ねしてゐけるかたはらに、狐、子、つれ出《いで》、あそびしを、追《おひ》ちらし、子狐一疋、にげかねたりしを、半死半生にうちて、すて置(おき)、やどに歸りしより、狐、つきて、さまざまの事、くちばしりける間、祈(いのり)・加持(かぢ)すれ共゙、しるしも、なし。
「いかゞせん。」
といふ所に、かの狐つき、にはかに、ひざをかゞめ、人と、あいさつするていに見えて、いふやう、
「御子《おんこ》を打たりしをいきどをり給ふ事、至極の道理にて候へども、此、七、八か年以前、某(それがし)が子ども、つれ出《いで》て、あそびし所に、犬、來(きたり)て、すでにくひころしぬべかりしを、此人、犬を追のけられしゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、からきいのち、たすかりし。其恩、いまに、わすれがたし。今度の事は、まげて御ゆるし候へ。たのみ參らする。」
と、いひしが、かうべをさげ、
「忝《かたじけな》》し。」
とて、一禮し、
「わびこと、かなふたるぞや。跡は、少し、わづらふべけれど、さはりは、あらじ。」
と、いひて、打(うち)ふし、思ふやうに、ねて、ゆめのさめたるやうに、物つきは、おちたり。
天和二年十月の事なり。同
[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。なかなか多層構成の面白い趣向の狐憑き譚であるが、「新著聞集」には所収しないようである。
「丹後国峯山」現在の京丹後市の峰山地区(旧広域地名。グーグル・マップ・データ)。
「晝ね」野外で昼寝していたようである。
「天和二年十月」一六八二年。一日を除き、グレゴリオ暦では十一月。よほど小春日和だったか。]
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