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2022/12/17

曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「山形番士騷動聞書幷狂詩」

 

[やぶちゃん注:「兎園小説拾遺」は曲亭馬琴編の「兎園小説」・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」・「兎園小説余禄」に続き、「兎園会」が断絶した後、馬琴が一人で編集し、主に馬琴の旧稿を含めた論考を収めた「兎園小説」的な考証随筆である。昨年二〇二一年八月六日に「兎園小説」の電子化注を始めたが、遂にその最後の一冊に突入した。私としては、今年中にこの「兎園小説」電子化注プロジェクトを終らせたいと考えている。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちら(左ページ下段中央やや左から)から載る正字正仮名版を用いる。

 本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第四巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない)。

 馬琴の語る本文部分の句読点は自由に変更・追加し、記号も挿入し、一部に《 》で推定で歴史的仮名遣の読みを附した。

 本記事は文政一三(一八三〇)年八月十四日未明に西丸大手門(現在のここ。グーグル・マップ・データ)で発生した刃傷事件(死者三人。手負いの者多数)の記録である。]

 

   ○山形番士騷動聞書幷《ならびに》狂詩

間瀨市右衞門亂心始末聞書。

            西丸大手御門番

             秋元但馬守家來

 物頭《ものがしら》亂心  間 瀨   市右衞門

 同即死          齋 田   源  七  郞

 鍵番卽死         戶 部   彥左衞門

 徒目付《かちめつけ》即死 宇田川   萬  造

    【手負 給人】      長谷川  又 十 郞

    【同  同 】     大瀨源五右衞門

                   外給人二人

    【同 下座見足輕】 本 間 源 次  郞

    手負        中 間 嘉 助

    番頭無疵      大沼 角右衞門

文政十三年庚寅秋八月十三日夜丑中刻[やぶちゃん注:恐らくは翌日陰暦十四日未明であるから、グレゴリオ暦では一八三〇年九月三十日相当の午前二時頃。]、右、間瀨市右衞門、亂心、同役齋田源七郞、幷に、番頭《ばんがしら》大沼角右衞門等に遣恨有候哉《や》、夜中、竊《ひそか》に起出《おきいで》、支度をいたし【上着に黑き小袖を着し、襷をかけ、袴を着し、股立《ももだち》をかけ、馬上挑燈をもちし、といふ。】、御番所勝手の方、間每《まごと》の燈火を打けし、睡り臥たる番士の蚊屋の釣緖《つりを》を切落《きりおと》し、初太刀《しよだち》に齋田源七郞を切殺《きりころ》し、又、宇田川萬造を切殺せり。鍵番戶部彥左衞門は逃《にげ》て、番頭大沼角右衞門の部屋にゆきしに、帶もせず、無刀なりしを、角右衞門、叱りたりければ、脇差を取らんとて、元の處へ立戾りしを、市右衞門、一刀に切殺せしとぞ。番士、蚊屋の釣緖を切落され、且、闇《くら》ければ、狼狽して、手を負《おは》せられし者、四人に及べり。此時、下座見足輕、源次郞、走り來《きたり》て、「何事ぞ。」とて挑燈をさし出《いだ》す處を、手の指を切《きり》おとされし、といふ。依ㇾ之、いたく騷動して、市右衞門を捕へんとする者なく、只、御門の前後を守《まもり》て、「走出させじ。」と、せしのみ也。其時、番頭角右衞門、吳服橋屋敷へ人を走らして、非番なりける小林猪野五郞を招きければ、猪野五郞、來れり。時に天明に及びて、市右衞門は桝形の内なる、水溜桶を盾にして、刄を靑眼に構へて有しを、猪野五郞、もぢりをもつて、ねらひより、市右衞門の胸へ突かけしを、切拂《はらは》んとして、猪野五郞も、右の手を、些《すこ》し傷《き》らる。然共、直《ぢき》に踏込《ふみこみ》て組留《くみとめ》し時、足輕小頭某、六尺棒をもて、市右衞門の足を拂ひ倒し、大勢、打かさなりて、繩をかけしといふ【この時、猪野五郞も、足を拂て、共に倒れし故、足をも痛めしとぞ。】。此間に、天は明《あけ》はなれしかば、暫く御門下の往來、留《とどま》りしとぞ【桝形の内、手負《ておひ》の逃出《にげいで》たるものゝ血を引《ひき》たりしと云ふ。】。事、私《わたくし》に濟《すむ》べくもあらねば、則《すなはち》、御目付へ屆らる。依ㇾ之、檢使、來《きたり》て、諸士の口書《くちがき》をとらる【十四日夜五時《よるいつつどき》[やぶちゃん注:午後九時前後。]に、檢使の儀、やゝ、をはりしと云。】。十四日、相番《あひばん》と交代の定日《ぢやうじつ》なれども、この故に、交代、ならず。是より、なほ數日《すじつ》、秋元、勤《つとめ》らる。市右衞門は、町奉行所へ引渡され、當番の諸士、みな、町奉行所へ呼寄《よびよ》せられて、尋ねの旨あり【淺手の者は駕籠にて奉行所へまゐれり。】。市右衞門は揚《あが》り屋え、遣《つかは》さる。秋元殿は差控《さしびかへ》を伺《うかがは》れしに、「先づ、其儀に不ㇾ及」旨に付、元のごとく勤められしと云。此後の事未ㇾ聞ㇾ之。猶、追々、識《しる》すべし。

[やぶちゃん注:「山形藩」当時の出羽山形藩藩主は秋元久朝。

「下座見」江戸城の諸門・番所の下座台にいて、三家・三卿・老中・側用人・若年寄などの登城・下城・通行の際、下座についての注意を与えた下級職。

「給人」江戸時代、武家で扶持米を与えて、抱えて置いた平侍(ひらざむらい)。

「股立をかけ」袴の左右両脇の開きの縫止めの部分を摘まんで腰紐や帯に挾み、袴の裾をたくし上げること。普通は「股立ちとる」と言う。

「鍵番戶部彥左衞門は逃て、番頭大沼角右衞門の部屋にゆきしに、帶もせず、無刀なりしを、角右衞門、叱りたりければ、脇差を取らんとて、元の處へ立戾りしを、市右衞門、一刀に切殺せしとぞ」角右衛門の叱責がなければ、彼が命を落とすことはなかった点に着目せねばならない!

「桝形」城郭の虎口(こぐち)に設けられた施設で方形の空間を石垣で囲み、二つの門をつけたもの。この場合は西大手門の内側のそれ。

「もぢり」「錑(もぢり)」。 罪人を捕える道具で、長柄の先に、多くの鉄叉を上下に向けてつけたもの。「袖搦(そでがらみ)」とも呼ぶ。私の『「和漢三才圖會」卷第二十一「兵器 征伐」の内の「長脚鑚」』に掲げられたの左端のものがそれ。

「揚り屋」江戸小伝馬町の牢屋敷にあった御目見以下の武士及び僧侶・医師・山伏などの未決囚を収容した牢屋。]

當時、榊原殿は、御本丸大手の御門番にて、當番なりしに、八月十三日夜の子時計《ねのときばかり》に、西丸の方に當りて、物のさわぐ音せしを、いまだ睡らざりける番士等、あやしみて、「彼《か》は何なるべき。」と、耳を側立《そばだち》つゝ聞《きき》しに、「群烏《むれがらす》の森をはなれて鳴《なく》なりけり。」。「常には、あらず。鳥の何におどろきて、木をはなれて、さはぐや。」など、いひつゝ、皆、ねぶりしに、天明に及びて、件《くだん》の騷動の聞えしかば、「夜中の鳥は、それが表兆《ひやうてう》になりけん。」と、思ひ合せしとぞ【八月十七日に、彼《かの》藩中の士の來訪して、話次《はなしついで》の話なり。】。按ずるに、是は彼切害せらるべき人々の魂《たましひ》の、先だちて出《いで》たるを、烏の見て、驚きさわぎたるなるべし。必《かならず》、死人の生前に、其魂の、ぬけ出《いづ》る事、あり。疑らくは、この故なるべし。

此頃、或人の見せたりし狂詩あり。何人の作なるを知らず。

[やぶちゃん注:この怪奇実談のサイド・ストーリーは馬琴のサーヴィスであろう。

 以下、四段組みで、句の後に句点があるが、除去し、一段とした。]

 西城山形番士中

 亂心遺恨譯朦朧

 堪憐卽死三朋輩

 可恥無疵一老翁

 白刄閃時燈影闇

 金屛倒處血眼紅

 主人外聞妻怨嘆

 迷惑差留手負躬

  右檢使書面、幷に、手負人、口書、寫。

[やぶちゃん注:狂詩の訓読を試みる。

   *

西城せいじやう) 山形 番士の中(うち)

亂心 遺恨 譯(わけ) 朦朧(もうろう)

憐れみ堪へず 卽死の三朋輩(さんはうばい)

恥づべし 無疵の一老翁

白刄(はくじん) 閃時(せんじ) 燈影の闇(やみ)

金屛 倒ふる處 血眼(ちなまこ) 紅(くれなゐ)

主人 外聞 妻 怨嘆(ゑんたん)

迷惑 差し留め 手負ひの躬(からだ)

   *

第二句目でも示されているが、この刃傷事件、一貫して、間瀬市右衛門(数え三十五歳)の乱心扱いとなっている。しかし、彼が襲ったのは同僚及び直接の実務上の上役格である。後の方で、検使による間瀬本人への訊問シーンでは、「犯行の動機その他当時の樣子を訊問したところが、何か言っていることが、前後しており、正直、それを意味ある言説として聴き取ることが出来かねたため、『乱心』(発狂)によるものと判断し、彼の『口上書』は聴取しませんでした。」と記している。また、無能の上司番頭(ばんがしら)大沼の供述では、「間瀬本人の言っていることがよく判らない状態にあったと他の者から訴えがあった」ようなことが述べられてあるが、その謂いには、既に事件が起きてしまった折りにそれが告げられたようになっている。ここは何か不自然で、作為が感じられる。しかも、この一件、その後の処分が伝わっていない(通常ならば、磔、軽くて斬罪だろう)。事実、間瀬の被虐性の強い妄想型の精神疾患による乱心であったのなら、その様子を医師を立ち逢わせ(真の統合失調症等の強い関係妄想の場合は素人でもすぐ判る)、訊問の中で明らかにして報告すべきであるが、そこも丸々抜けてしまっている。少なくとも、評議の中で、何か重大な問題――組織的な間瀬へのイジメ行為――があって、藩がそれを隠すために暗躍したとしか私には思われない。この狂詩のそこここにも、そうした民衆の黒い霧部分への憤懣が隠れているようにも読める。

「恥づべし 無疵の一老翁」は現場の実務総責任者であった番頭で無傷だった大沼角右衛門のこと。「主人 外聞 妻 怨嘆」の一句も、専ら、彼に向けられた批判のように思われる。]

  文政十三寅年八月十四日

  西丸大手御門當番秋元但馬守

  家來亂心一件

西丸大手御門當番、秋元但馬守、家來、齋田源七郞外二人死骸、大瀨源五右衞門外三人え、手疵爲ㇾ負候。間瀨市右衞門、見分書。

   覺

秋元但馬守家來、御番所勝手にて、間瀨市右衞門に被切殺候、物頭齋田源七郞死骸、見分仕候處、年三十一歲に罷成候由。頰より、鼻の下へ掛《かけ》、五寸程、深さ二寸程、切下げ、頭中《かしらなか》切疵、三ケ所、有ㇾ之、耳、切落し、右之肩より、二の腕へかけ、長二尺五寸程、左の足、股の下、五寸程、右之股に、二寸程、左足向脛《むかづね》より、足の甲へ掛け、少々宛《づつ》、疵、三ケ所、都合、疵所二十一ケ所。淺黃小倉帶、仕《しまはし》、懷中物無御座候。

一、同人家來、鍵番、戶部彥左衞門、死體見分仕候處、年四十一歲に罷成候由。左のちゝの上より、脊《せ》迄、突抜疵《つきぬけきず》一ケ所、口、三、四寸程有ㇾ之候。衣類、白がすり單物《ひとへもの》、着《き》、淺黃琥珀帶《あさぎこはくおび》、仕、懷中物無御座候。

一、同人家來、徒目付宇田川萬造、死骸見分仕候處、年五拾八歲に相成候由。左の橫腹、一尺程、深疵、左の肩に八寸程、深さ二寸程、左の肩に四ケ處、切疵、有ㇾ之、木綿紺竪島袷《こんたてじまあはせ》着、同艾嶋《よもぎじま》單物、着、花色太織帶。仕、懷中物無御座候。

一、同人家來、長谷川又十郞、見分仕候處、年二十一歲に相成候由。腰に六寸程。切疵一ケ所。衣類、木綿藍返し小紋單物、着、淺黃琥珀帶、仕、懷中物無御座候。樣子、相尋《あひたづね》、別紙口上書《かうじやうがき》、取ㇾ之、差上申候。

一、同人家來、大瀨源五右衞門、見分仕候處、年二十九歲に相成候由。百會《ひやくゑ》より襟へ掛、八寸程、深さ一寸程、脊より眉え掛、五寸程、深さ一寸程、肩より脊へ掛、四寸程、深さ□□[やぶちゃん注:底本に『原本脱字』とある。]程、脊より尻へ掛、そぎ疵、長六寸程、右の小指に切疵少々、衣類、木綿中形《ちゆうがた》單物、着、藍島糸織帶、仕、懷中物無御座候。樣子相尋、別紙に口上書、取ㇾ之、差上申候。

[やぶちゃん注:[やぶちゃん注:「百會」本来は鍼灸の「ツボ」の名。頭頂部のど真ん中。両耳の一番高い場所を結んだ線と、鼻から後頭部中央(正中線)を結んだ線の交差する箇所。「中形」中ぐらいの大きさの型紙を使った染め模様。]

一、同人家來、下座見、足輕本間源次郞、見分仕候處、歲三十一歲に相成候由。右の耳の下より、襟へ掛、六寸程、深さ一寸程、左之二の腕、六寸程、脊より腰へ掛、六寸程、深さ三寸程、右の手指、四本、切落し、大指計殘居《おほゆびばかり のこりをり》、左の指、少々、都合七ケ所、有ㇾ之候。衣類、藍竪島《あひのたてじま》單物、着、黑なゝこ帶、仕、懷中物無御座候。樣子相尋、別紙口上書取ㇾ之、差上申候。

[やぶちゃん注:「黑なゝこ」平織の織り方の一種。経緯(たてよこ)に七本の撚糸を使ったことから出た名で「七子織」とも書く。また、布面が魚卵のように見えるので「魚子織」、糸が並んで組み織られてあるので「並子織」と書いて「ななこおり」と読んだりする。]

一、同人家來、中間、嘉助、見分仕候處、年三十八歲に相成候由。右の脇下、一尺餘、深さ六寸、腰の脇、八寸程、突疵、都合二ケ所有ㇾ之候。衣類、木綿法皮、着、懷中物無御座候。樣子相尋、別紙差出し申候。

[やぶちゃん注:「法皮」不詳。「法被」で「はつぴ(はっぴ)」のことか。]

一、右、齋田源七郞・戶部彥左衞門・宇田川萬造・大瀨源五右衞門・長谷川又十郞・本間源次郞・嘉助、七人に爲ㇾ負手疵候、物頭、間瀨市右衞門、見分仕候處、年三十五歲に相成候由。頭中《かしらなか》、打疵、少々宛、三ケ所有ㇾ之、衣類、太織黑小袖、木綿藍小紋、單物、花色琥珀帶、仕、懷中物無御座候。及刄傷《にんじやう》候拔身の刀、長さ二尺五寸[やぶちゃん注:七十五・七センチメートル。]程に、無名、血、付、刄《は》こぼれ、有ㇾ之、緣《ふち》・頭《かしら》共、赤銅《しやうくどう》なゝこ梅色繪。目貫、赤銅、尾長鳥。鮫白柄《さめしろづか》、糸、黑。鍔《つば》、鐵丸《てつぐわん》にて、三違菱《みつちがひ》の透《すかし》、切羽《せつぱ》、金着《きんき》せ。鎺《はばき》、二枚重ね金銀着せ。鞘、蠟色、鵐目《しとどめ》、金。下ゲ緖、黑。脇差、身《み》、長一尺七寸程[やぶちゃん注:五十一・五センチメートル。]、銘「金直《かねなほ》」と有ㇾ之、頭角《かしらかど》、卷掛。緣、赤銅、なゝこ「こふもり[やぶちゃん注:ママ。]」彫《ほり》、目貫、赤銅、ゆづの色繪。鮫白柄、糸、黑。鍔、鐵丸。切羽・鎺共、金、着せ。鞘、蠟色、鵐目、金。下げ緖、黑、小柄《こづか》無ㇾ之。樣子相尋候處、言語《げんご》、前後、仕《つかまつり》、相分り兼《かね》、亂心の儀に付、口上書取不ㇾ申候。

[やぶちゃん注:「二尺五寸」七十五・八センチメートル弱。

「緣・頭」柄(つか)の鍔(つば)と接する側に付けられる金具が「金」(ふちがね)、その反対側の先端部に付ける金具を「柄」(つかがしら)と言い、この二つは刀剣を腰から提げた際に一番目立つ位置に当たることから、刀剣を所有する人物の威厳を示す重要な部分とされる。サイト「刀剣ワールド」の「縁頭(ふちがしら)とは」に拠った。

「切羽」説明するより、サイト「刀剣ワールド」の「切羽とは」の画像を見る方が手っ取り早い。

「鎺」同前で、ここ

「鵐目」前者のここに、『日本刀の「頭」(かしら:柄)『を補強するために、その先端部に装着される金具)や「栗形」(くりがた:下緒『)を通すために、日本刀の差表側の鞘口』(『さやぐち:刀身を入れるための口』)『付近に付けられた穴のある突起物)にある、緒紐を通すための穴。その形状が鳥の「鵐」(しとど:ホオジロやアオジ、ノジコなどの総称の古名)の目に似ていることから、この名称が付けられている』とある。

「金直」不詳。近代の関の刀工だが、石原兼直がいる。

「頭角」柄の先端の角部分を補強するために装着される金具のことか。]

一、出合候、相番人、檜家《ひのきや》作兵衞・田中爲吉・大津小三郞・葉山彌太郞へも相尋、別紙口上書取ㇾ之差上申候。

一、手醫師本道菊崎玄敬、外科安藤文忠に、樣子、相尋候處、今《こん》曉七半時《あかつきななんつはんどき》頃[やぶちゃん注:午前五時頃。]、御番所に手負人有ㇾ之候趣、申來候に付、早速、罷出、樣子見候處、齋田源七郞・戶部彥左衞門・宇田川萬造、右三人、深手に御座候間、藥用手當仕候内、不相屆相果申候。大瀨源五右衞門・長谷川又十郞・本間源次郞、幷に嘉助儀、疵口、縫《ぬひ》、膏藥、打《うち》、布にて卷《まき》、藥用手當仕候得《つかまつりそうらえ》ば、少々、快方に御座候へ共、變症の儀は難ㇾ計《はかりがたき》旨、申候。右四人、疵口、爲ㇾ解《とかせて》見分《けんぶん》仕候ては、療治に障り候旨、醫師共申聞候間、見分不ㇾ仕候。

[やぶちゃん注:「手醫師」「手」は「手前」で「幕医」のことであろう。

「本道」通常は内科を指す。即死遺体を含めると、切創が内臓まで達しているものがあったからであろう。

「變症」予後、或いは、症状の主に悪い方への急変。]

一、右番頭大沼角右衞門え、樣子承り候處、今晚七ツ半時頃[やぶちゃん注:不定時法で六時半頃か]、御番所勝手の方、物騷敷《ものさはがしく》御座候に付、早速、罷出候處、物頭間瀨市右衞門、亂心の樣子にて、物頭齋田源七郞・給人戶部彥左衞門・徒目付宇田川萬造儀は、深手にて、藥用手當仕候得共、今十四日八時《やつごどき》頃[やぶちゃん注:不定時法の暁八つとすれば、午前一時頃。]、相果申候。給人長谷川又十郞・大瀨源五右衞門・下座見足輕本間源次郞、中間嘉助に爲ㇾ負手疵候に付、詰合《つめあひ》の者、組の者共一同、罷出、捕押《とりおさへ》、念入《ねんいりに》、番人付置《つけおき》、疵人《きずびと》儀は手醫師、呼寄せ、藥用手當仕置《つかまつりおき》、早速、但馬守屋敷へ申遣し、勤番人數の儀は、御定《ごぢやう》の通《とほり》相揃置申候旨、申聞候。

右の外、相替儀《あひかはれるぎ》無御座候。以上。

  寅八月十四日   御徒目付

              黑川伴左衞門

              笠原新左衞門

右齋田源七郞・戶部彥左衞門・宇田川萬造、死骸、手負、長谷川又十郞・大瀨源五右衞門・本間源次郞・嘉助、相手、間瀨市右衞門、幷に及刄傷候大小共、追《おつ》て御差圖有ㇾ之候迄、但馬守屋敷へ、念入《ねんいりに》、番人、附置可ㇾ申旨、但馬守家來、本田惣右衞門へ申渡候。

 一同口上書

      口上覺

今曉《あけ》七ツ半時頃[やぶちゃん注:不定時法で午前二時頃。]、私儀、不ㇾ寢仕罷在候處、物騷敷《ものさはがしく》御座候間、早速、罷出候處、物頭間瀨市右衞門、不揃《ふぞろひ》の事申聞候迚《とて》、怪我仕候者共有ㇾ之候間、組の者へ差圖仕《さしづつかまつり》、爲捕押置《とりおさへなしおき》、一間に押込置《おしこめおき》、番人、念入付置申候。右手疵の者共七人え、手醫師、呼寄、療治差加へ候得共、齋田源七郞・戶部彥左衞門・宇田川萬造儀は、深手にて相果《あひはて》、長谷川又十郞・大瀨源五右衞門・下座見足輕本間源次郞・中間嘉助儀は、淺疵にて御座候得共、變症の儀は難ㇾ計候旨、今、醫師菊崎玄敬、外科安藤文忠申聞候。最《もつとも》、當番人數《にんず》は但馬守屋敷へ申遣し、御定の通、人數相揃申置申候。

 寅八月十四日   秋元但馬守家來

           番頭  大沼角右衞門

[やぶちゃん注:「不揃の事」わけの分からないことを言うこと。ここが私が先に「間瀬本人の言っていることがよく判らない状態にあったと他の者から訴えがあった」ようなことが述べられてあるが、その謂いには、既に事件が起きてしまった折りにそれが告げられたようになっている。ここは何か不自然で、作為が感じられると指摘した箇所である(以下の取り押さえた連中の供述でも、全く同じ「物頭間瀨市右衞門不揃の事申聞候間」という表現になっているのも、私には甚だ奇妙な感じがする(検使が面倒になって同じ文面にしたと言われれば、そうかも知れぬが)。この供述は、明かに「私はこの事件に何らの関与もしておりません。事件発生直後より、洩れなく、対応を致しました。」とのたもうている臭いが、プンプンするのである。

      口上覺

今曉七半時頃、西丸大手御門、秋元但馬守當番中にて、御番所に不ㇾ寢仕罷在候處、物頭間瀨市右衞門不揃の事申聞候間、一同罷出取押申候處、齋田源七郞・戶部彥左衞門・宇田川萬造儀は深手、長谷川又十郞・大瀨源五右衞門・下座見本間源次郞・中間嘉助儀は、淺手に御座候へ共、手疵受申候。常々、實體成《じつていなる》者にて、一同心易《こころやすく》仕候者に御座候處、如何之譯《いかなるのわけ》にて右及始末候哉《や》、全《まつたく》亂心仕候故と奉ㇾ存候。疵人は、銘々、手醫師本道外科、呼寄、療治相加へ申候。當人儀も、番頭指圖にて、一間に押込置き、念入、番人付置申候。此外に申上候儀、無二御座一候。以上。

 寅八月十四日  秋元但馬守家來

          面番給人    若山彌太郞

                 田中 爲吉

    捕押候者         大津小三郞

                 檜家作兵衞

    口上覺

今曉七半時頃、私共、當番にて、西丸大手御番所に不ㇾ寢仕罷在候處、物頭間瀨市右衞門、亂心の樣子にて、及騷動候に付、檜家作兵衞・大津小三郞・田中爲吉・若山彌太郞、幷《ならびに》組の者一同、罷出、捕押可ㇾ申と存罷出候處、私共兩人、數ケ所、手疵負候へ共、漸《やうやう》捕押申候。最《もつとも》、平日、意趣遺恨等、受候覺無御座候。心障《こころざはり》の儀も無ㇾ之、如何の儀にて右及始末候哉、曾て不ㇾ奉ㇾ存候。此外、可申上儀無御座候。

 寅八月十四日 秋元但馬守家來

          面番給人 長谷川 又十郞

                大瀨源五右衞門

    口上覺

今曉七半時頃、西丸大手御門秋元但馬守當番中にて、物騷敷御座候間、早速捕押可ㇾ申と存罷在候處、何人共相分不ㇾ申《なんぴとともあひわかりまをさず》、手疵、請《うけ》、深手にて、前後も相辨《あひわきまへ》不ㇾ申候。最、平日、意趣遺恨等、請候覺無御座候。此外可申上儀無御座候。

 寅八月十四日

           下座見足輕 

                   本間 源 次 郞

            中 間   嘉      助

    口上書、同斷に付略ㇾ之。

           本道外科

            本道   菊 崎 玄 敬

            外科   安 藤 文 忠

    口上書賂ㇾ之。

           秋元但馬守家來

     當人     物頭   間瀨 市右衞門

              

            物頭  ⎧齋田 源  七  郞

     即死     鍵番    戶部 彥左衞門

            徒目付  宇田川 萬 造

[やぶちゃん注:以上三名の姓名の上部は底本では大きな「」記号。]

                 ⎧  大瀨源五右衞門

                   ⎰  坂本 鐵  五  郞

     手負     給人   ⎱   長谷川 又十郞

                  ⎩  安藤 金  之  助

[やぶちゃん注:以上四名の姓名の上部は底本では大きな「」記号。]

     手負市右衞門を 鍵番     小林 亥  五  郞

     捕押候者是也。

           下座見足輕 ⎰本間 源  次  郞

     手負     下番       ⎱   嘉  助

[やぶちゃん注:以上二名の姓名・名の上部は底では大きな「」記号。]

私《わたくし》に云《いふ》、公設御門御番所にて、かゝる騷動は前代未聞也。昔年、何がしの守御門番の時、番士に亂心者ありて、朋輩、三、四人、手疵負《おは》せ候事ありしが、いづれも淺手なりしかば、ふかく祕して、屋敷え、遣し、内分にて事濟しといふ。此度の騷動に、祕すべくもあらずなりし、となん。此後の事、いまだ聞えず、深手の者は存亡、覺束なしとぞ。

[やぶちゃん注:なお、先行する馬琴の別な記事では、江戸城内での刃傷沙汰の記録として「兎園小説余禄」の「西丸御書院番衆騷動略記」がある。西丸御書院番松平外記が同僚のイジメを遺恨として、引き起こした殿中での刃傷事件「松平外記刃傷」で、死者四名(一名は深手により翌日死亡)・外傷一名)、外記本人もその場で切腹している。]

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