大和怪異記 卷之七 第七 無尽の金をかすめとりむくゐの事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここと、ここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。
標題の「むくゐ」はママ。]
第七 無尽(むぢん)の金(かね)をかすめとりむくゐの事
江戸尾張町一丁目、さかいや何がし、明暦三年のくれ、黃金(わうごん)七十兩の「むじん」を取(とり)て、跡を、かけず。
それを、もとにして、かせぎ、千兩あまり、まうけたり。
延宝八年八月一日のあさ、礼に出《いで》て、かへり、けしき、つねにかはり見へしが、二階にあがり、わきざしを、ぬき、
「われ、以前に、人の金をかすめし殲悔(さんげ)、慚愧(《ざん》ぎ)。」
と、いひて、みづから、左の背を、二刀《ふたかたな》、右の背を、一刀、切《きり》たりしを、やうやうに、わきざしを、うばひとり、外科(げくわ)に、れうぢ[やぶちゃん注:ママ。]せしめしに、同九日の夜(よる)、雷(いかづち)、大《おほき》に鳴(なり)しにおどろき、疵より、血、はしりて、死しぬ。
天罸のほど、いとをそろし[やぶちゃん注:ママ。]。同
[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。「新著聞集」には載らないようである。
「無尽(むじん)」「無盡講」のこと。「賴母講」(たのもしこう)とも呼ぶ。相互に金銭を融通し合う目的で組織された講で、世話人の募集に応じて、講の成員となった者が、一定の掛金を持ち寄って、定期的に集会を催し、籤(くじ)や入札(いれふだ)などの方法によって、順番に各回の掛金の給付を受ける庶民金融の組織。貧困者の互助救済を目的としたため、当初は無利子・無担保であったが、掛金を怠る者があったりした結果、次第に利息や担保を取るようになった。江戸時代に最も盛んで、明治以後でも近代的な金融機関を利用し得ない庶民の間で普通に行なわれ続けた。
「江戸尾張町一丁目」この中央附近(グーグル・マップ・データ)。現在の東京都中央区銀座六丁目。
「明暦三年のくれ」明暦三年十二月一日は、既にグレゴリオ暦一六五八年一月四日。徳川家綱の治世。
「七十兩」換算法の基準によって異なるが、七百万~千四百万円ほどになる。この莫大な金を受け取っておいて、無尽講を抜け、「跡を、かけず」というのは、明かに背信行為である。
「千兩」一億から二億円相当。
「延宝八年八月一日」グレゴリオ暦一六八〇年八月二十四日。この年の五月八日に家綱は死去し、綱吉に代わった。しかし、二十二年も経ってからというのは、凡そ、天罰と考えるより、旧無尽講の仲間内に対する本人の自責の念が、老いも加わって、積もりに積もって、自死に及んだとして、それで、おかしくはない。無論、同情もしないが。]
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