大和怪異記 卷之七 第九 疱瘡にて子をうしなひ狂氣せし事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第九 疱瘡(はうさう)にて子をうしなひ狂氣せし事
筑後瀨高町《せたかまち》に、彥七といふ町人、あり。妻(つま)は、さきに身まかりて、六歲になる男子(なんし)一人有《あり》。
其年、西國、疱瘡、はやりて、かの彥七が子、熱氣、つよく、疱瘡に、きはまりける。
其所、大かた、淨土眞宗にて、弥陀より外の、神・ほとけ、尊敬(そんけう[やぶちゃん注:ママ。])せざれども、子のかはゆさに、「疱瘡神のたな」と名づけ、枕の上に、つり、あたらしき衣服上下(かみしも)を着(き)、いろいろ、供物(くもつ)をそなへ、日に、いく度も、垢離(こり)をとり、
「せがれ、疱瘡、たやすくしまゐ[やぶちゃん注:ママ。]候やうに、ひたすら、たのみ奉る。」
と、身を地になげ、數珠(じゆず)の緖も、きるゝばかりに、をしもみ[やぶちゃん注:ママ。]、丹誠をぬきんで、いのりける。
しかれ共゙、疱瘡、ことのほか、おほく出《いで》、あまつさへ、
「出來もの、あしき。」
など、いふ者あれ共゙、
「いやいや、まことに疱瘡の神といふ事あらば、わが一心に、たのみ奉るを、いかで、納受《なうじゆ》、なからん。」
と、一すぢに思ひさだめ、まもり居《ゐ》けるに、
「一面(《いち》めん)に出《いで》たる疱瘡、にはかに、色、かはりたり。」
と、うば、もだへ、さけべば、彥七、寒中に、水、一をけを、かしらよりかゝり、かのたなに、むかひ、
「此子をたすけたまはずは、神ありとは、いつはりならん。たすけ給へ、まもらせ給へ、」
と、かしらも、もたげず、いのる所に、いだきて居《ゐ》たるうば、
「あらかなしや、此《この》御子《おこ》は、死しましぬ。」
と、なき出《いだし》ければ、家内、
「どつ」
と、なきさけぶとき、彥七、かしらを、もたげ、一目、見て、そばなるわきざし、
「すは。」
と、ぬき、ひざ、をしたて[やぶちゃん注:ママ。「推し立て」。「膝を前へ押し起こして中腰に立って」の意であろう。]、
「まことに『ほうさうの神』といふものあらば、たとへ、定業《ぢやうがふ》かぎりあり共、わが信心のまことを、あはれみ、疱瘡の一《ひと》とをりは[やぶちゃん注:ママ。]、事ゆへなく、しまはせて給《たまふ》べきに、物をしらぬやつに、いて[やぶちゃん注:ママ。感動詞「いで」。]、手なみを見せむ。」
と、いひて、立《たち》あがり、棚も、しめ[やぶちゃん注:「注連繩(しめなは)」。]も、さんざんに、切《きり》おとし、そなへたる、あしうち・かはらけ・供物、ふみくだき、大声《おほごゑ》あげて、くるひ、まはり、きぬ、打《うち》かふり、ふしたりける。
其みぎり、むかふの家に居《をり》ける女、こたつに、よりかゝり、外を見出《みいだ》し居けるに、彥七が家内、なく声、おびたゞしければ、
『かの疱瘡をやめる子、仕《し》そんじけるか。』
と、むね、うちさはぐ所に、六十有余(《いう》よ)のうば、白髮頭(はくはつかしら)を、さんざんに切(きら)れ、血に染(そみ)ながら、となりの家に、はしりこむ、と、見へければ、此女、物に心得たるにや、をつとにも、いはず、そばにふしたる子を、かきいだき、かちはだしにて、其道、二里ばかりある在鄕(ざい《がう》)に、おば、居《をり》けるに、にげ行(ゆき)、大《おほ》いき、つぎ、
「かうかう。」
と、かたりければ、おばも、
「よくこそにげきたれ。のがるゝ事も、あり。」
と、かくしをきけり[やぶちゃん注:ママ。]。
かくて、其晚より、きられたるうば、はしりこみし家内の子ども、二人、疱瘡に、やみつき、たゝえより前に、死しぬ。
其町中、七、八人、疱瘡をやみて、ことごとく、死にけり。
かのにげたる女が子は、おばが方にて、疱瘡をやみけれども、惣身(そうみ)に、十(とを[やぶちゃん注:ママ。])ばかり、出來《いでき》、あそびあそび、仕廻(しまひ)けると、なん。「異事記」
[やぶちゃん注:「異事記」は不詳。「近世民間異聞怪談集成」の解題で土屋氏も、本書を『該当する資料名が不明なもの』の一つに入れておられる。これは、本書の中でも、すこぶる事実性の高い奇談実話と採ってよいと思われる。
「筑後瀨高町」現在の福岡県みやま市の、西中部から北部地区に相当する。旧瀬高町(せたかまち)。この附近に相当する(グーグル・マップ・データ)。
「あしうち」「足打ち折敷(あしうちをしき)」供物などを載せる折敷に足を取り付けたもの。
「たゝえより前に、死しぬ」この「たたえ」が判らぬ。色々考えて、「たたへ」の誤記で、「湛へ」ではないかと推理した。疱瘡は感染から二、三日後に発疹が現われ、その盛り上がった丘疹の上部に水疱が形成が出現するが、彼らは、それ以前に高熱、及び、肺の内部に発生した病変によって呼吸器不全を起こして亡くなったのではないか。則ち、丘状の発疹が生じたが、そこに「水が湛えられるように出現するはずの水疱」が出る前に彼らは亡くなった、と言っているのではないか? という読みである。大方の御叱正を俟つものである。
「あそびあそび、仕廻(しまひ)ける」なんとなく、軽い症状を繰り返しながらも、平癒した、という意であろう。]
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