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2022/12/14

ブログ1,880,000アクセス突破記念 梅崎春生 文芸時評 昭和二十二年六月分

 

[やぶちゃん注:本評論は掲載紙・発表年月日ともに未詳。

 標題は「昭和二十二年六月」となっているが、これは底本全集編者によって仮に附されたものと推定し、本文冒頭では掲げないこととした。

 私は梅崎春生と同時代の、ここに挙げられる作家の作品は、あまり読んだことがない。私は近現代の作家については、死んでいない人物に対しては冷淡で、共時的に読むことはなかった(現在でも特定の作家を除き、概ね同じである)、従って、注は語句や、特に私がよく知らない作家については、高校の「現代文」(ちょっと以前は「現代国語」と称した)の私の嫌悪する注のような、生年月日の毛の生えた程度の注をするしかなく、それは嫌なので、私の知っている作家の場合は、没年を示す必要があると考えた場合を除いては、概ね、特に注しない。悪しからず。

 既に述べているが、梅崎春生の短編小説は、最早、上記底本全集のものは、「青空文庫」(ここ)で私よりも先行電子化された分の以下の私の底本全集中の十一篇(「日の果て」「風宴」「蜆」「黄色い日日」「Sの背中」「ボロ家の春秋」「庭の眺め」「魚の餌」「凡人凡語」「記憶」「狂い凧」。以上は順列を私の底本全集の並びに変えてある)を除き、これで、総て電子化を終えている(全リストは私のサイトのこちらの「■梅崎春生」、及び、ブログ・カテゴリ「梅崎春生」及びブログ版梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】梅崎春生日記【完】を参照)。残るのは、長編「つむじ風」のみである。彼の著作権満了の翌日である二〇一六年一月一日から始めた、私のマニアックに五月蠅い注附きの梅崎春生の電子化も、七年目にして、もう遂に終わりに近づいた。

 底本は昭和六〇(一九八五)年四月発行の沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、朝風呂に入っている途中、1,880,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二二年十二月十四日 藪野直史】]

 

 雑誌を開くとざらざらした変な紙がある。仙花(せんか)という紙だそうだ。インクがうまく乗っていないので、誠に読みづらい。

 紙なら仙花、酒で言えばカストリ、煙草の場合はノゾミや手巻き、これらはそれぞれ紙や酒やたばこには違いない。偽物という訳にはゆかぬが、本物であるかと言えばほんものでは絶対にない。この現象は現今の品物にのみあるのではなく、文化の面にも現われていて、今手許にあつまった諸雑誌を通読して見ると、おおむねこの仙花的傾向があるようだ。

 一例をあげれば、伊藤整氏の近頃の作品、「鳴海仙吉の知識階級論」(文芸四月号)以下「文壇」五月号、「近代文学」所載の仙吉ものを読むと、一応は興味深い。が私たちがほんとに求めているものを充たしてくれるかとなると、そうだとは言い難い。なるほど理解のよさや姿勢の面白さはそこにある。しかしそれだけだ。かつて得能五郎氏が、戦時中知識人的小市民として、生活並びにその思索にあざやかな具象性をもっていたのに、鳴海仙吉氏は生れたての蚕(かいこ)のように誠にたよりない。何故たよりないのか。仙吉氏が五郎氏と身振りを同じくするのにも拘らず、影がうすいと言うのも、彼等を囲(めぐ)る現実が大いに変ったからだ。

 思うに作家の気質やスタイルで持つ小説、私小説もこの部類に入るが、それが処理し得る範囲はおおむね平和時の市民生活で、現今のように衣食住ともに困窮し、その困窮がいちいち大きなものと結びついている場合になると、スタイルや身振りでは処理し切れなくなるのではないか。それを頭で強引にねじふせようとするから無理が出て、自然仙吉氏は大きな身振りでふざけざるを得ない。

 不思議なことだが、私は近頃の伊藤整氏の小説を読むたびに、この小説の愛読者の風貌が何ともやり切れない感じのものとして思い浮べられて来る。伊藤整氏に対してはある種の共感と親愛の情が浮んで来るにも拘らず、その愛読者を考えるとどうにも反撥を押え切れぬ。その感じは、ずっと少なくなるが、石川淳氏にも太宰治氏にもある。織田作之助氏にはない。

 話をもとに戻すが、私たちが求めているのを充たしてくれるものは何だろう。上林暁氏の「夜半の寝覚」(文芸五月号)のような形でもないし、豊島与志雄氏の「未亡人」(諷剌文学)のような形でもない。漠然と私が考えていることは、それは小説本来の性格であるべき「物語る精神」であるような気がする。この平凡な精神を何故人々は捨ててかえりみないのか。

 

「近代文学」に連載中の「死霊」という埴谷雄高氏の小説を読む度に、私は何時も奇異な感じにとらえられる。私は人間というと直ぐ向う三軒両隣に生活している人間、あるいはそれと血族的な人間を思い浮べるが、この小説に出て来る人物達は皆そんな手合いではなくて、マネキン人形よりもっと生気がない。たとえばドストエフスキイの人物は、どんなに異常でもちゃんと血と肉を具えているが、埴谷氏のにはそれがない。これは埴谷氏の描写力が不足だからではない。

 小説というものは現実の人間を描くものであり、現実の人間を追求することで、ある観念なり思想に到達するものだ。言わば思想の形成を現実の肉体で手探りする過程が小説なので、作家の生理からすれば思想が作中人物を割りふりするなどはあり得ない。

 ところが「死霊」における発想の具合は、その生理を逆行しているように思われる。「死霊」の作中人物は、埴谷氏の頭の中に住んでいるだけで、この世の空気を吸っていないように思われるのも、作品を造型する手順に誤りがあるのではないか。これと同じ感じを私は佐々木基一氏にもやや感じるし、極くちょっとではあるが椎名麟三氏にも感じる。私はこの「死霊」という作品を、理解するとしてもそれは頭だけで、肉体をもって共感出来ない。

 伊藤整氏の愛読者を思うとやり切れない気がすると私は書いたが、いま埴谷雄高氏の愛読者を想像すると私は少しこわくなる。

 今手許に集まった諸雑誌は皆見るかげもなく薄っぺらになっていて、どの雑誌もほとんど類型的だ。特徴を喪った雑誌の中で、私が今読者として守り育てて行きたいと思う雑誌に、「日本小説」「ヨーロッパ」「諷刺文学」の三誌がある。

「日本小説」は本当のロマンを生み出そうとする点において、「ヨーロッパ」は現代外国文学に接する唯一の窓であるという点において、「諷刺文学」は正しい諷刺精神を日本に植えようとする点において、私はそれぞれ正しい形の発展を望むや切である。

 なお、今日読んだものの中で私の興昧を引いたものは、野間宏氏の「華やかな色どり」(近代文学六月号)と杉浦明平氏の「三つの太陽」(諷刺文学第一号)がある。前者は長篇の発端らしいが、大きな展開の予感を蔵している点で、後者は才気あるレトリックの点で、それぞれ印象が深かった。

[やぶちゃん注:「仙花(せんか)という紙」小学館「日本国語大辞典」によれば、『①天正年間(一五七三―九二)、伊予国(愛媛県)の兵頭太郎左衛門(法名、泉貨または仙貨)が創製した楮(こうぞ)を原料とした厚紙。きわめて強く、帳簿、袋紙、合羽(かっぱ)、傘などの地紙などに用いられた。仙花。せんかがみ。』とし、『②第二次世界大戦の戦中、戦後に製造された洋紙。ざら紙以下の低級品が多かった。』と続けた後に、『③印刷用紙の一つ。下級品にランクされ、雑印刷に用いられている。』とある、③である。所謂、自動「漉き返し」をした粗末な洋紙のことである。

「カストリ」梅崎春生の「悪酒の時代――酒友列伝――」の本文及び私の『「メチル」「カストリ」』の注を参照されたい。

「ノゾミや手巻き」並列しているが、「ノゾミ」は「のぞみ」で、手巻き用の紙に自分で巻いて作った配給用葉煙草(刻み煙草を紙で梱包したもの)を指す。pierre_shiozawa氏のブログ「Pierre smokes every day 2」の「タバコ配給時代のR.Y.O」という記事に包装刻み煙草「のぞみ」と「手巻用卷紙」とあるそれを写真入りで紹介されており、解説に、『この巻紙が登場したのはいつか』? 『実は第二次大戦中、タバコが配給となったのは』昭和一九(一九四四)年『から終戦直後までだ』。『当初は』一『日』五『本のシガレットが配給されていたが、途中から手巻きとなり、終戦後はまた』一『日』三『本の配給となった』。『つまり、この巻紙が流通していたのは』一九四四『年から』一『年程度である、ということがわかった』とあった。

「得能五郎氏」伊藤整が昭和一五(一九四〇)年に発表した小説の主人公の名で、明かに伊藤整の分身である。同小說は、『戦時下において私小説の手法を逆用して自己韜晦によって社会を風刺』(ここの引用はウィキの「伊藤整」に拠った)小市民的な幸福にしがみつく戦時下の一知識人の姿を戯画的に描いている。昭和一六(一九四一)年刊行。題名は、十八世紀のイギリスの牧師で小説家のローレンス・スターン(Laurence Sterne 一七一三年~一七六八年)の未完の長編小説「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」(The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman:全九巻。一七五九年末から一七六七年にかけて、五回に分けて出版された。内容はウィキの「トリストラム・シャンディ」を参照)を踏まえたもの(主文は小学館「デジタル大辞泉」に拠った)。

「太宰治」彼はこの総クレジットの翌昭和二三年六月十三日に玉川上水で愛人山崎富栄(満二十八)と入水した。満三十八。遺体の発見が遅れ、発見された日は太宰の三十九の誕生日であった。

「織田作之助」彼はこの昭和二十二年一月十日に結核によって既に死去している。満三十三の若さであった。

『豊島与志雄氏の「未亡人」』「青空文庫」のこちらで読める(新字新仮名)。

「杉浦明平」私は彼の作品を短い評論以外、一篇もよんだことがないので、当該ウィキをリンクさせておく。]

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