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2022/12/23

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 孕婦、厠の掃除

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから次のコマにかけて。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた。]

 

     孕婦、厠の掃除 (大正二年九月『民俗』第一年第二報)

 

 「孕婦《はらみをんな》、厠《かはや》の掃除を、なるべく、屢《しばし》ばすると、美貌の子を生む。」と、紀州田邊邊《へん》の俗傳に云ふ。唐の沙門道世撰「諸經要集」卷八下に、「福田經」を引て曰く、『佛、自分の宿因を說《と》く、我前世於波羅奈國、近大道邊設圊厠、國中人衆得輕安者、莫ㇾ不ㇾ感ㇾ義、緣此功德、世世淸淨、累劫行道、穢染不ㇾ汚、金色晃昱、塵垢不ㇾ著、食自消化、無便利之患。〔我れ、前世、波羅奈國に於いて、大道の邊に近く、圊厠(せいし)を安設(あんせつ)す。國中の人衆(じんしゆ)にして輕安(きやうあん)を得(う)る者、義に感ぜざる無し。此の功德(くどく)により、世世、淸淨にして、累劫(るいごふ)、道を行(ぎやう)じ、穢染(ゑぜん)、汚(けが)さず、金色(こんじき)、「晃昱」(くわういく)として、塵・垢、著(つ)かず。食、自(おのづか)ら消化し、便利の患ひなし。」と。〕。是は、佛が、前世に、公衆の爲に、雪隱《せつちん》を立て、施した功德で、後身、世々、體が淸淨で、金色に光り、大小便せずに濟《すん》だ、と云ふので、「雪隱を、よく掃除すると、美貌の子を生む。」と云《いふ》のに緣が有る樣だ。

 又、田邊邊で、「妻が產の氣《け》ついた時、其夫が、氏神の社へ走り往き、手水鉢《てうづばち》を掃除し、淸水を入替《いれかへ》ると、安產す。」と云ふ。

[やぶちゃん注:「諸經要集」の本文は「大蔵経データベース」で校合した。誤字と思われる箇所や、以下の不審箇所があった。「晃昱」の部分は熊楠は「晃々」としている。実は「大蔵経データベース」の電子化での表記では「晃𦸸」なのだが(「𦸸」の字の意味は中文サイトで見ると「ヤマイモ」か)、そこを「大蔵経」活字本の画像を見ると、「晃昱」となっている。その場合、二字とも「明らか」の意であり、意味が躓かないので、特異的にそれで示した。なお、同書は、唐の律宗 (南山宗)の僧であった道世(?~六八三年)の著。全二十巻。仏教典籍の中から、特に善悪の行為と、それに対する報いについて抜き出し、三十部に分類し、整理したもの。道世には同じ範疇に属する書に、熊楠も引用している「法苑珠林」(全百巻)がある。

「福田經」は正しくは「佛說諸德福田經」。

「波羅奈國」サンスクリット語「ヴァラナシ」の漢音写。ガンジス川中流の聖都カーシ(現在のヴァーラーナシー)を中心とした古代インドの王国。その郊外に釈迦に纏わる「鹿野苑」(ろくやおん)がある。古くからの王国であったが、釈迦の時代にはコーサラ国と併合されている。

「圊厠」「圊」も厠の意(この漢字、思わず谷崎潤一郎の「厠のいろいろ」(リンク先は私のブログ正字正仮名版)を思い出した)。公衆便所。

「累劫」極めて長い時間のこと。

「穢染」煩悩に拠るけがれ。]

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