大和怪異記 卷之七 第十四 いかづちにつかまれてそせいする事
[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。
正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]
第十四 いかづちにつかまれてそせいする事
寬文二年に下總国毛見川《けみがは》の者、
「宇名屋《うなや》にて、草を、かる。」
とて、二人、行《ゆき》けるに、かみなり、おちかゝり、一人は、二、三町わきに、つかみおとし、引《ひき》さき、すて、今一人をば、一里半へだゝりし、「そむ㙒《の》」といふところに、おとしをきし[やぶちゃん注:ママ。]を、やうやう、たづねもとめて、かへるに、
「いまだ、はだへ、あたゝかなる。」
とて、かんびやうしければ、そせいして、いまにありといふ。同
[やぶちゃん注:原拠は「犬著聞集」。「新著聞集」には載らないようである。
「寬文二年」一六六二年。
「下總国毛見川」旧千葉県千葉郡検見川町(けみがわまち)で、現在の千葉県千葉市花見川区検見川町(けみがわちょう:グーグル・マップ・データ、以下無指示は同じ)。当時は海浜にあったが、干拓されて完全に内陸化している。
「宇名屋」江戸時代には旧印旛(いんば)郡宇那谷(うなや)村があった。近代になって、ここは千葉県の旧千葉郡犢橋村(こてはしむら)に吸収されたが、「今昔マップ」のこちらで「犢橋(コテハシ)村」の「宇那谷(ウナヤ)」の地名が確認出来る。現在のこの中央附近で、左下方にある検見川町とは直線で五キロ圏内である。現行では千葉県千葉市花見川区宇那谷町として、かなり変形した地区が残る。
「二、三町」二百十八~三百二十七メートル。
『一里半へだゝりし、「そむ㙒《の》」』宇那谷から最長で八キロメートル圏内の南西位置に千葉県千葉市稲毛区園生町(そんのうちょう)がある。しかも、ここを「今昔マップ」で見ると、「園生」に「ソンノ」とルビが振られている。これは、ここの「そむの」と強い一致を見るといってよい。ここで間違いなかろう。]
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