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2023/01/13

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介書簡集」(二)

 

[やぶちゃん注:本篇は松田義男氏の編になる「恒藤恭著作目録」(同氏のHPのこちらPDFで入手出来る)には初出記載がないので、以下に示す底本原本で独立したパートとして作られたことが判る。書簡の一部には恒藤恭の註がある。書簡数は全部で三十通である。ただ、章番号には以下のような問題がある。実は「六」の後が「八」となってしまって、その次が「七」、その後が再び「八」となって以下が「二十九」まで続くという誤りがある。私のこれは、あくまで本書全体の文字部分の忠実な電子化再現であるから、それも再現する。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本「芥川龍之介書簡集」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 また、私は一昨年の二〇二一年一月から九月にかけてブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」百四十八回分割で芥川龍之介の書簡の正規表現の電子化注を終えている。そちらにあるものについては、注でリンクを示し、注もそちらの私に譲る。但し、以上に述べた通り、表記に違いがあるので、まず、本文書簡を読まれた後には、正規表現版と比較されたい。

 各書簡部分はブログでは分割する。恒藤恭は原書簡の表記に手を加えている。上付きアラビア数字は恒藤が附した注記番号。底本ではその番号が孰れも中途半端な箇所に打たれていて気持ちが悪い。本電子化では、特異的に註当該部相当の頭の部分で統一した。

 

    (大正二年八月二十九日 新宿から松江へ)

 

 廿二日に東京へかへつて來た。

 どこの海水浴場でも八月の廿日になると客がぐつとへる。江尻もさうだつた。それから廿日、海水浴場で一中にゐる知り人にあつた。其人が明日かへると云ふのをきいたら羨しくなつた。

 それから丸善から本が來たしらせがうちからあつた。

 そんなこんなで急にかへる氣になつた。東京へかへつたら大へんうれしかつた。露の多い夕がた新橋の停車場を出て大な CARPET-TRANK をさげたまゝ電燈の赤みがかつた黃色い灯、瓦斯の白けた黃色い灯が錯落とつゞくのをみた時の心もちは未にわすれられない。矢張東京の小供の一人なんだらう。

 それから今日迄例の通り漫然とくらしてゐる。本も少しよんだ。午睡は大分した。

 其後君の方はどうきまつたかね。こつちでは君がまた東京へくると云ふ事が大分評判らしい。昨日谷森君にあつたら、さう云つてた。へえ、さうかねと感心してきいて來た。谷森君の話しでは、もう來るときまつた樣な事だつたが、愈々さうなのだらうか。

 この間の歌は面白かつた。湖の歌の始の方の五首「DIAN に」[やぶちゃん注:欧文は明らかに右寄りにある。岩波旧全集でも同じ。]の六つが殊によかつた。[やぶちゃん注:原書簡ではここに『「霧靑む」「もの狂」は少し明星すぎる 』とあるのを恒藤はカットしている。意図不明。恒藤としては、この批評に不満があったものかとも思われる。]あの六首の外に「さりとては」「國引きに」「追分の」「とほじろく」がいゝ。「あきらめの」の賛成だ。どつちにしても、九月の初旬には君にあへる事と思ふ。

 

      追 憶 二 章

      I 外

  今日もまた黃なる雲ゆく桐の木の葉かげにひとりものを思へる

 

  車前草のうす紫の花ふみてものを思へば雲の影ゆく

 

  小使部屋の外バケツの中に植ゑられしダリアの花の赤きが悲し

 

      Ⅱ 内

  敎科書のかげにかくれて歌つくるこの天才をさはなとがめそ

 

  禿頭のユンケルこそはおかしけれわが歌を見て WAS? ととひける

 

  首まげてもの云ふ時はシーモアもあかき鸚鵡の心ちこそすれ

 

       秋

 

  埃及の靑き陶器の百合模樣秋はつめたくひかりそめける

 

  秋たてばガラスのひゞのほの靑く心に來るかなしみのあり

 

  額ぶちのすゝびし金をそことなくほの靑ませて秋は來にけり

 

  銀座通馬車の金具のひゞきより何時しか秋はたちそめにけむ

 

  仲助の撥のひゞきに蠟燭の白き火かげに秋はひろがる

 

  秋風は淸國名產甘栗とかきたる紅き提灯にふく

 

   廿九日朝                   龍

註1 一高時代からのクラスメート。当時は東大文学部学生。

 

[やぶちゃん注:本書簡は「芥川龍之介書簡抄16 / 大正二(一九一三)年書簡より(3) 四通」の一通目として電子化注してあるので参照されたい。]

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