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2023/01/12

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「赤城の山つつじ」(全)

 

[やぶちゃん注:本篇は全五章から成るが、松田義男氏の編になる「恒藤恭著作目録」(同氏のHPのこちらPDFで入手出来る)によれば、初出は若き日の山陰文壇の常連であつた恒藤恭が(現在の確認可能な最も早いものは明治三八(一九〇五)年一月一日に『銀鈴』第三号に載った長詩「年の訪れ」)、その投稿の常連であった『松陽新報』に大正二(一九一三) 年七月十六日・十七日・十九日・二十二日・二十三日の五回連載で書いたものである。恒藤恭満二十四歳の時のもの。この『松江新報』には、二年後の大正四年、芥川龍之介の失恋の傷手を癒すために龍之介を招いた際の随筆「翡翠記」も連載している(私のこのブログ・カテゴリ「芥川龍之介」で全二十六回分割で電子化注してある)。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本篇「赤城の山つつじ」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 本篇は第一高等学校卒業記念として卒業試験が終わった二日後の、この大正二年六月二十二日に、芥川龍之介・恒藤恭(当時は井川姓)・長崎太郎・藤岡蔵六の四人で赤城山方面に旅した際の恒藤恭の紀行文である。既に電子化したブログ版「友人芥川の追憶」(全)」の「十四」で注を附してあるので、同行者についてはそちらの私の注を見られたいが(そちらで注したものは、原則、再掲しない)、旅程のみを概ね再掲すると、二十二日は大沼(おの:恒藤の「おほぬ」の読みは誤り)湖畔に泊り、二十三日には午前四時に起床、赤城山に登頂、下山して伊香保に宿泊、翌二十四日には榛名山に登頂、二十五日に伊香保に滞在、二十六日に藤岡とともに帰京している(井川と長崎は、二人と別れ、妙義山から軽井沢に向かっている)。この登山の途中、「赤城にて」とする少年期よりの親友山本喜譽司に宛てた絵葉書がある(大正二(一九一三)年六月二十三日・消印二十四日)。私の「芥川龍之介書簡抄14 / 大正二(一九一三)年書簡より(2) 三通」の二通目を参照されたい。

 太字は底本では傍点「﹅」。]

 

      赤城の山つつじ

              ――大正二年六月――

 

        

 五里の山路はほんたうに長かつた。

 足尾鉄道の一小駅上神梅(かみかんばい)で汽車を下りてからと云ふもの、渡良瀨川の溪谷を後にして赤城の山のやま裾に分け入り、ただ最早奥へ輿へと漸次に嶮しくなる坂道を谷川の水の冷めたさと舌に溶ける山苺の甘さとに慰められながら登つて行つた。晝ながら梟がとぼけた声で鳴き、又しても黑い蛇が路にうねり出る。六月の山の華かな寂しさを一茎のはしに集めたやうに咲くむらさきの菖蒲の花がまつたくしをらしい。

 登るに從つて頭上を蔽ふ森林は茂みを增してなつかしい白樺の木がぼつぼつ眼に入つて來る。四人づれの中の二人の友は行き悩んだ。この春胃拡張を病んで、不換金正氣散と云ふ漢方藥の二合分を一合に煎じ詰めたやつを根氣好く吞んで癒つた芥川は「こんなに心臟の皷動が急だ」と云ふからその胸に手を当てて見ると、成る程、無暗と心臟が跳つて居た。「これでもつて好く登れるね」と僕は感心した。

 持つて來たくだものなんかは疾くに麓の辺でたべてしまつた。「バナナを持つて來れば宜かつた」とか、「帰つたら上野の停車場を出て山下の汁粉をたべて行くんだな」などと、各自が勝手にうまいものの話を持ち出したが、結局のところ少しも空き腹の足しには成らない。水は掬うてふくむと齒の根に透るやうな冷たいのが岩を劈いて[やぶちゃん注:「つんざいて」。]流れてゐるので、喉の渇きは覚えないが、お腹はすつかり空らになつて、步いて行くと身体の中心が取れないで、ともすればふらふらと岩角に躓きさうであつた。

 でも最早頂きはとほくあるまいと思ふと登つて行く勇氣は湧いて來た。白樺の林とつつじ咲く牧場とに囲まれてゐると云ふ山上の湖水を思ふと……たとへば相知らぬいひなづけの処女を遠い國から訪ねて來た男の心のやうに、未だ見ぬ赤城の大沼(おほぬ[やぶちゃん注:ママ。])をしたふあこがれの情が疲れた身体の重く鈍つた血潮をあたらしく澄み湧き立たせた。

 最後に休んだ場所の水は殊に冷めたかつた。疲れ切つた長崎が急ぐやうにして抄(すく)つて吞んだあとでにつこり笑つた笑顏を見てゐた芥川が、「もう一度わらつて御覽。ほんたうに今は無邪気な顏をしてうれしさうに笑つたね。かはいらしい顏をしたよ。まだあんな無邪氣な笑ひがほが出來るんだから賴もしいや。ははは」とわらふと、「でもほんたうに嬉しかつたんだから」と長崎はほほゑんだ。

 林の間が疎らに成つた。たうとう登り盡したのだ、草原を一と息にのぼり切ると僕たちは、むかしの噴火口を囲む外輪山の一角の上に立つて居た。そしてその一角からはじめて行く手の牧原のはてに澄み湛へるみづうみの白い面を眸に入れたその瞬間……そのたふとい、うれしい愉快な瞬間に、僕たちはひとしく「報いられた!」といふ感じを抱いた。その次にはもう飾り氣の無い感情の流れ出るままに讃嘆のことばを四人が口々に叫んだ。

 見よ! 山は霊なるものの抱く限り無い愛執のこころを深く包んで。黃昏れる藍のいろの濃い衣をひきしめながら、醇の醇なる光を放つ晶のみづうみを胸にかい抱く。ゆふべは今首(かうべ)をうなだれて靜かに山上の天をすべり足して行くのである。

 

[やぶちゃん注:「晶」ママ。「液晶」「水晶」の脱字かとも思ったが、或いは確信犯かも知れない。]

 

        

 

 赤城山と云ふのは上州の北に座を構へて居る熄火山で、山の高さは海拔六千三百尺ばかり、頂きの噴火口の跡は湖水を湛へて大沼(おほぬ)と呼ばれて居る。それを囲む外輪山は高く成り低くなりしてゐて、高くなつたところの峯々には大黑檜山、小黑檜山、地藏が嶽、 鈴ケ岳とそれぞれ名がついて居る。山は四方八方に溪谷を射出して、長い長い裾野を曳き、はるかに信濃の浅間山と向ひあつて、雄大な山の姿を競ひ合つて居る。[やぶちゃん注:「海拔六千三百尺ばかり」千九百九メートルほどとあるが、ちょっとドンブリ。最高峰である黒檜山(くろびさん)は千八百二十八メートルである。なお、「赤城山」という呼称は一つの大きなカルデラの火山体を総称する名であり、「赤城山」という峰は存在しない。]

 僕たちの登り着いたのは大黑檜(おほくろひ[やぶちゃん注:ママ。])と地藏が嶽との閲の外輪山の凹みであつた。此処は、もう五千尺ばかりの高さで風はつめたく薄い洋服の肌にとほつた。[やぶちゃん注:「五千尺」千五百十五メートル。彼らが辿りつたのは大沼(おの)の南岸の大洞(おおぼら)附近であろう。とすれば、この附近の標高のピークは千三百六十メートルである(国土地理院図)。]

 黃ばなのうめ鉢草やゆきわり草の花のうへに座して暫らく憩うた。うしろを振り向くと今まで登つて來た方の上州の平野の眺めがはるけき思ひを誘ひ、ゆくての谷を見下すと、みどりの牧場に数知れぬ牛や馬があそんで居り、牧場の盡きるところにはみづうみの水が白う光つて山のふところに柔かに抱かれてゐる。岸の林の間から夕炊(ゆふげ)たく宿のけむりがほの靑く立ち昇つて、何とも云へないなつかしい風情になびく。

 疲れも忘れた。飢ゑもわすれた。

 求めるもののちとつも無い心の安らかさ、たのしさを胸に一杯みなぎらせながら、山芝を踏むわらじのの足かろく四人は煙りの一とすぢの立つ方へと降つて行つた。

 夕日の光りは笑みこぼれて湖畔の牧場にそそぎ落ちた。いま山の上は春のなかばで、若草が敷く綠の氈は香りあたらしく、黃の勝つた茜色の燃えるやうな赤城つつじは今を盛りと牧原を蔽うて咲き匂ひ、幹は眞白く、梢はほの赤み、枝はなよやかに撓(しな)へて、なつかしい藍綠色の葉かげをつくる白樺があそこにも此処にも立つて居る。

 幸ひなるものよ! その間を牛は黑や赤や白や斑やのうつくしい大きい体軀を小い[やぶちゃん注:ママ。]足に載せて、あるものは靜かに步み、あるものは安らかに憩ふ。僕たちが步んで行くと、みんな人なつかしさうな眸をみはつて凝(じつ)と此方を向く。今まで母牛の脇にひしと寄り添うてうつつなく乳を吸つゐた仔牛が心を驚かしたのか俄に乳をはなれて駈出すと、『逃げなくても好い、にげなくとも』と友の一人は思はず叫んだ。『こんな処の牛飼なら一生成つてゐても好いな』とほかの一人が激した声で言ふ。

 

[やぶちゃん注:「黃ばなのうめ鉢草」ニシキギ目ニシキギ科ウメバチソウ属ウメバチソウ Parnassia palustris 。花は脈を持った白い花であるが、花弁の底が仄かに黄緑色を帯びる。グーグル画像検索「ウメバチソウ」をリンクさせておく。

「ゆきわり草」ツツジ目サクラソウ科サクラソウ属セイヨウユキワリソウ亜種ユキワリソウPrimula farinosa subsp. modesta 学名の画像検索をリンクさせておく。]

 

        

 

 枝振りやさしい山梨の木が一杯に梢を張つて純白な花をこぼれるやうに咲かしてゐる。 僕はその枝を撓めて花の香うりをかぎながら、「ダンヌンチオの The Virgins of the Rocks の主人公が公城の姬さまたちを訪れるとき、みちばたのりんごの白い花を折つて馬車一杯に積んでゆくところがあるね、恰度[やぶちゃん注:「ちやうど」。]あんな氣がしはしないか」と芥川をかへりみると、「さう、さう」とうなづいた。

 あるいてゆくうちにも、「ほんたうに佳いだらう! 美しいだらう! だから僕は赤城が一等好きだつて言ふんだ。ねえ、何処よりも佳いだらう」と去年の春休みの頃まだ湖畔は雪に埋もれて居る折りに來たことのある芥川は言ひつづけた。

 あの外輪山の一角から湖畔の宿まで七、八丁ばかりの路程は僕たちにとつては、天上の愉樂の園にもまして樂しい逍遙であつた。[やぶちゃん注:「七、八丁」約七百六十三~八百七十三メートル。]

 牛は草を食み飽きて穩かな眠りを思ひ、鳥は林の中から夕べの靜けさをうたふ。白樺のすべやかな幹をなで、山躑躅のみだれ咲く花をつみ、柔かく踵になづむ芝草の上をあゆんで行くときには、斯うした高い山の奥深く、聖くうるはしい霊境を秘めてつくつた至尊(いとたふと)きものの心を慕ひなつかしむの念の外は無かつた。

 みづうみに沿うた唐松の林の中に山家造りの宿屋がある。折り柄客は一人も無いといつて、人なつかしさうに愛想よく僕たちを迎へた。鞄や傘をそこへ投げだして置いて、直ぐと地つづきの赤城神社に詣でた。古へは武術に達した武人どもが信仰を厚うしたといふが、古寂びにさびた社である。[やぶちゃん注:「赤城神社」大洞赤城神社とも呼ぶ。ここ。]

 社のすぐ後ろは大沼の水がひたひたに湛へて居る。そこには幅せまい砂浜がみづうみのふちを取つて、山梨の花が雪を粒に咲いたやうに白く匂うてゐる。けふのやうに靜かな夕べは少ないと言つて神官めいた白髮の老人と宮守りの男とが、一人は立ちひとりは蹲まつて眺めてゐた。

 見るとまたあなたの山梨のはなの蔭にも一人立つて居る。宿屋の老主人だとのことであつたが、アイヌの着るやうな継ぎ合せの筒袖の衣を着て石像のやうに汀の草の中に突立つて居る。

 山の人どもは何を思ひながらどんな心持ちをして湖水の面を眺めて居るのだらうか? まるつきり違つた異人種の人々がまるで僕たちには想像のつかないやうな不思議な世界を見つめてゐるんぢやあるまいか、と突差の間にふしぎな氣分をいだきながら、そこに一と株立つ若木の白樺の根がたに踞かけた[やぶちゃん注:「こしかけた」。]。

 なんといふ靜けさだらう! 夕映えはほのかに空に明り、山は隆い額に深い默想を凝らして、湖の面にうつる自らの姿を伏し眼に覗いて居る。水は一枚の淨玻璃を張りつめたやうに澄み切つて、空の黃卵色と山の淡藍色とをやはらげぼかして映して居る。

 およそ靜けさにもさまざまあらう。恐怖の瞬間を予想してゐる息もつけないやうな苦しい靜けさや、崇高を絕して人の胸をつめたくするやうな嚴肅な沈默や、あらゆる感情の外に逸れて恬淡の悟得にみちびく寂しい靜けさもあらう。

 それらの靜けさが呼び起す氣分は何故かわれわれの心にはしつくりと当てはまらない。今の感じはそれらとは違ふ。傷いた理知のなやみや虐げられた情意のわづらひに萎え[やぶちゃん注:「なえ」。]いぢけた心も。われとわれから暢(のび)やかにふくらみ、外の世界から傳つて來る韻律のいささかな誘ひにも微妙にふるへようと待ち構へて居る。

 皮肉な我、冷酷な我、移り氣な我、軽薄な我……いろいろの我が面目無ささうに首を垂れてすすり泣いてゐるなかに、輝かしい顏をした、まことの我が素朴な眸にあつい淚をたたへながらいろいろの我を慰めつつ、自らもまたうつくしく泣き暮れて居る。靜かなみづうみの中から目に見えぬものが涌きあがつて、何かしら耳にささやくと、眞の我は急に晴れやかな笑ひをして、みづうみのかなたをながめた。

 あれ! 見る間に湖心からあるか無きかに夕霧が涌きはじめて、つめたい山の氣に搖られゆられ、東になびき西にくづれ、向ひの岸の峰々のおもに白い紗をかけようとする。

 磯の近くで飛んだ魚が描いた水の環がゆるやかに廣がつて行く。高山の夕べの寒さがししみじみと肌にとほると、飢ゑと疲れとはこころよく知覚をしびらせはじめた。

 

[やぶちゃん注:「ダンヌンチオの The Virgins of the Rocks」イタリアの詩人・作家でファシスト運動の先駆とされる政治的活動を行ったことで知られるガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele d'Annunzio 一八六三年~一九三八年)が一八九五年に刊行した小説(‘Le vergini delle rocce’:「巌(いわお)の処女」)の英訳版。私は読んだことがない。]

 

        

 

 あくる朝四時まへに目を醒ますと最早山では鳥が啼いてゐる。三人を起して直ぐと登山の準備をする。梅干を紫蘇の葉で卷いて砂糖を掛けたのをたべ、熱い茶を吞んで出掛ける。宿の婆さんは峯の見えるところ迄僕たちを引張つて行つて丁寧に道を敎ヘて吳れた。

 寒いけれど我慢してみづうみの岸づたひに步いて行く。

 朝霧のかかつたままに躑躅の花はあざやかに濡れ匂うて居る。あかつき早いので牛の姿は見えず、白樺の木立がさびしく並ぶ。みづうみの半ばあたり岸に近く小烏が島といふのが浮んでゐるが、島には足を踏み入れる𨻶も無いほど樹木が茂り暗んで居る。

 その島のほとりにはかはいらしい小島につつじの花の咲いたのがあつたり、対ひ合つた岸には水楢や唐松の老木が水の上に枝をさし伸べ、暗い杜蔭からなよやかな白樺の水が悄らしく[やぶちゃん注:「しほらしく」。]髪を振り乱した狂女のやうに立つてゐるのが、此のみづうみに古くから傳はるやさしいロマンスでも物語るやうに思はれる。

 そのあたりから右に折れて林に分け入るのが大黑檜山への登り路で、しばらく登つて見下ろすと、あしたの霧はみづうみの向うにそばだつ峰々をかくして、水とも霧とも分らない空間に小鳥が島が浮び漂うてゐる。登り三十丁とか聞いた。傾斜はかなり急である。[やぶちゃん注:「三十丁」約三・二七三キロメートル。]

 林の中には白樺の古木の見事に枝を張つたのが多い。年長けると幹は灰白色に蝕(くさ)れつくして、うす桃色のこまかい斑が浮きあがる。林のあひだのけはしくせばまつた谷あひの草原に思ひがけなく巨きい角を振り立てた牛がじつと立つてゐたりする。

 林をはなれて草低い山の背にかかると、外輪山の外側の溪谷が崩れただよふ雲霧の間から透して見える。風はさかさまに下から吹きあげて、雲のかたまりが去るわ、去るわ、草すべやかな峰の背に沿うてまつしぐらに這ひのぼり、見る見る谷間を鎖し、林を包み、行く方の山もかくしてしまつた。

 

[やぶちゃん注:「小烏が島」現在は整備され埋め立てられて赤城神社のある部分は全体に岬のようになっているが(グーグル・マップ・データ航空写真)、「今昔マップ」で戦前の地図を見ると、明かに島であって、確かに『小鳥島』と記されてあった。

「水楢」ブナ目ブナ科コナラ属ミズナラ Quercus crispula var. crispula グーグル画像検索「ミズナラ」をリンクさせておく。

「唐松」裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi 。私は「落葉松」の方がしっくりくる。

「暗い杜蔭からなよやかな白樺の水が悄らしく髪を振み乱した狂女のやうに立つてゐるのが、此のみづうみに古くから傳はるやさしいロマンスでも物語るやうに思はれる」「やさしいロマンス」ではない悲惨な「赤城山三姫物語」があるようである。サイト「前橋まるごとガイド」のこちらを読まれたい。]

 

        

 

 うすい服の地は霧に濡れそぼつた。骨にとほる寒さに慄へながら登つて行くと「おや櫻草が!」と誰かが叫んだ。天風蓬々、岩角稜々、草は山の肌にしがみついて生えて居る。この高い山のうへに楚々として淡紅色の可憐の花のむらがり咲くのを見ては誰か心を動かさぬ者があらう。それも登るに從つて山一杯をかざつて咲きこぼれて居り、走せ[やぶちゃん注:「はせ」。]過ぎる雲の中に包まれて前を行く友の姿も定かには見えない。もの淋しい山の上の肌を剌す寒さをわびる身にはどんなに心の慰めになつたか知れない。

 そのほかにも白・黃・うすむらさきとさまざまの名を知らぬ花の咲く中に、生々しい黃綠色の円い葉を展げて蟻などの小虫を捕へて喰つてゐる虫取すみれが殊に珍らしく思はれた。

 花になぐさめられて雲の中を登りにのぼるとやがて絕頂にのぼりついた。頂きは三つに分れ、その二つには木の宮と石の宮とささやかな祠が岩の間に立つて居た。風が雲を吹きはらひ、吹き寄せて、止むこともなく、十三州を見はるかすと云ふ大観をまちうけたのもあだに成つた。

 やたらに寒いので久しく留まることも出來ず、山の花をつみつみ雲をなびけて降つて行つた。

 またたく間に降りつくして宿にかへり、朝飯をしたためたのち、今一日とどまつて湖畔を逍遙し、思ひ限り玲瓏の水の心にひたり度いとは切に思つたものの、梅雨時の空合を恐れ断然下山の途についた。

 宿の若者の剪つて吳れた白樺の杖をつきつつ、四人は高らかに歌うて湖水の岸づたひにあゆんで行つたが、心はあとにあとに引かされた。

 其日七里のみちを前橋へ降り、電車で伊香保の溫泉へ行つて泊り、あくる日は榛名の山にのぼつた。その又あくる日は二組にわかれ、僕は長崎と妙義山の方へまはつて上毛の三山を経めぐつたが、赤城のいただきの湖の靜けさこそはまたなく慕はしいものであつた。

 

[やぶちゃん注:「櫻草」ツツジ目サクラソウ科サクラソウ属サクラソウ Primula sieboldii学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。

「虫取すみれ」キク亜綱ゴマノハグサ目タヌキモ科ムシトリスミレ属ムシトリスミレ Pinguicula vulgaris var. macroceras 。言わずもがなであるが、キントラノオ目スミレ科スミレ属 Viola とは縁もゆかりもない。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]

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