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2023/01/06

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介のことなど」(その18・19・20・21・22) /「十八 おもひ出」・「十九 此の秋」・「二十 ひとつの感想」・「二十一 顏」・「二十二 木犀の花咲くころ」~恒藤恭の詩篇五篇

 

[やぶちゃん注:本篇は全四十章から成るが、その初出は、雑誌『智慧』の昭和二二(一九四七)年五月一日発行号を第一回とし、翌年七月二十五日を最終回として、全九回に分けて連載されたものである。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本篇「芥川龍之介のことなど」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。傍点はこのブログ版では太字とした。私がブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」で注したもの等については、一切、注は附さない。それぞれのところで当該書簡等にリンクさせあるので、そちらを見られたい。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 また、全体を一遍に電子化注するには本篇はちょっと長く、また、各章の内容は、そこで概ね完結しているものが多いことから、ブログ版では分割して示すこととした。但し、この詩篇群は底本の中で連続して章立てされており、ソリッドに読むべきものと思われるので、ブログでも五篇全部を一括して電子化注した。

 なお、本五篇は筆者恒藤恭の詩作品であり、一切の恒藤の解説がないことから、芥川龍之介の詩ではないので注意されたい。私はサイト版でオリジナルな現在入手できる芥川龍之介の諸資料を渉猟した全詩集に近い「芥川龍之介詩集」を作成してあるが、そこにはこれらに似た詩篇は一篇もない。謂わば、これは恒藤が芥川龍之介との思い出を念頭におきつつ、自身の感懐を詠じた詩篇群と推定され、恒藤の文学的資質の一端を窺わせるものとも言える貴重なものである。詩篇によっては、ある恒藤自身の或いは芥川龍之介の作品との仄かな連関を感じさせるものもあるが、それは敢えて注するのはやめる。]

 

        十八 お も ひ 出

 

  ほのかなる思ひ出あり

  あざやかなる思ひ出あり

 

  いきどほろしき思ひ出あり

  いともかなしきおもひ出あり

 

  今もなほ胸ふくらむごとき

  おもひ出あり

 

  思ひ出づるもはづかしき

  おもひであり

 

  おもひでこそは

  いとほしく

  はかなきものか

 

  來る日も來る日も

  わづらはしき世の務めに

  あわただしくも

  過ごしつつ

 

  時ありて

  おもひ出の網をたぐりよせ

  忘却の海に

  立ち向かひつつ

 

  寄せてはかへすしら浪の

  しぶきの中に

  するどなる人の

  わがすがたかも

 

        十九 此  の  秋

 

  キリストが生まれたとき

  「おほいなるパンは死んだ」と

  叫ぶこゑが

  ヘレスポンドの岬角を掠めて

  ひびき渡つたといふ

 

  太平洋戰爭が終つたとき

  とこしへに

  いくさの神々は

  此の國から消え失せたらしい

 

  きのふもけふも

  空は高く晴れて

  街路のこずゑは

  むらさきのかげを宿してゐる

 

  人々は默々として

  無表情な顏をならべながら

  電車の來るのを

  いつまでも待つてゐる

 

  敗戰の後に

  三たび迎へる此の秋

  爆音をかすかに残して

  飛行機の翔り去る

  行くてを見まもる

 

[やぶちゃん注:「キリストが生まれたとき/「おほいなるパンは死んだ」と/叫ぶこゑが/ヘレスポンドの岬角を掠めて/ひびき渡つたといふ」「岬角」は歴史的仮名遣で「かふかく」(現代仮名遣「こうかく」)は岬(みさき)の意。「ヘレスポンド」はヨーロッパと東方(アジア・中東)の境に当たる現在のトルコにあるダーダネルス海峡の古称。「おほいなるパンは死んだ」一般的には「偉大なるパーンは死せり」の謂いで知られるが、「パーン」は牧神・牧羊神・半獣神の淫蕩な神として知られるそれであるが、ウィキの「パーン(ギリシア神話)」によれば、『ギリシアの歴史家プルタルコス』(四六年頃~一一九年以降)が「神託の堕落」(「モラリア」第五章第十七節)『に書いたことを信じるならば、パーンはギリシアの神々の中で唯一死んだ。ティベリウス』(ティベリウス・ユリウス・カエサル(紀元前四二年~紀元後三七年:ローマ帝国第二代皇帝(在位:一四年~三七年:イエス・キリストが世に出、刑死した時のローマ皇帝)『の御代にパーンの死という』知らせが『タムス』『の元に届いた。彼はパクソイ諸島経由でイタリアに向かう船の船員だったのだが、海上で神託を聞いた』。それは「タムス、そこにおるか? パロデスの島に着いたら、忘れずに『パーンの大神は死したり』と宣告するのじゃ。」というものであった。『その知らせは岸辺に不満と悲嘆をもたらした』とあるのが元である。芥川龍之介も好んだニーチェの「ツァラトゥストラ」に出る「神は死んだ」と皮肉に用いられるように、後世のキリスト教が、宗主であるイエス・キリストが古代の総ての神に代わって唯一神となったとする意味に言い換えたもののようである。但し、私はキリスト教に冥いので出典は判らない。]

 

      二十 ひ と つ の 感 想

 

  なんぢのことばの

  なんぞ壯んなる

  敗れたる此の國の人々を

  罵り散らす

  なんぢのことばの

  なんぞさかんなる

 

  われは正しかりき

  いまもわれは正しと

 

  自己肯定の

  こころにたかぶり

  いつまでかなんぢはののしる

 

[やぶちゃん注:「壯んなる」「さかんなる」。]

 

      二十一 顏

 

  乘るたび每に

  顏を合はせる顏があるし

  おそらく生涯に一度しか

  顏を合はせない顏もある

  不思議なやうな氣がするし

  不思議でないやうな氣もする

 

  いくたび顏を合はせても

  好もしい顏があるし

  一度顏を合はせるのも

  いやなやうな顏もある

  あたりまへのことに思はれるし

  さうでないやうにも思はれる

 

  いつたい同じ顏つきをした人は

  決してふたりとありはしないだらう

  だがよく似た顏つきをした人は

  なんとざらにあることだらう

  よくしたものだと言へるやうだし

  さうばかりも言へないやうでもある

 

  顏の出來上りに

  必然と偶然との交錯があるらしい

  何もかも神さまの

  出たとこ勝負のしわざらしいが

  顏の持ち主こそ

  いい迷惑ではないか

 

  すがすがしい秋かぜに

  こころよく吹かれながら

  京都と大阪とのあひだを走つて行く

  電車の中のつれづれに

  そんなことを考へてゐた

 

[やぶちゃん注:「京都と大阪とのあひだを走つて行く/電車の中のつれづれに」「三 ひがんばな」の私の注の冒頭のそれを参照。]

 

        二十二 木犀の花咲くころ

 

  いつよりともなく

  まへ庭の

  木犀の花は

  かをりそめたり

 

  日ごとくりかへす

  生きの身の

  生きのいとなみは

  くるしみ多し

 

  明けては暮るる

  このごろの

  日のうつろひは

  流るるごとし

 

  こころ足らはぬ

  世なれども

  けふのうれひは

  けふにて足れり

 

  秋深みゆく

  日每日ごと

  空の碧りは

  窮りぞ無き

 

[やぶちゃん注:「木犀」本邦では単に「モクセイ」と言った場合は、シソ目モクセイ科オリーブ連モクセイ属モクセイ変種ギンモクセイ Osmanthus fragrans var. fragrans を指すことが多い。]

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