恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介書簡集」(八) (標題に「七」とあるのは誤り)
[やぶちゃん注:本篇は松田義男氏の編になる「恒藤恭著作目録」(同氏のHPのこちらでPDFで入手出来る)には初出記載がないので、以下に示す底本原本で独立したパートとして作られたことが判る。書簡の一部には恒藤恭の註がある。書簡数は全部で三十通である。ただ、章番号には以下のような問題がある。実はこの前後、「六」の後が「八」となってしまって、その次が「七」、その後が再び「八」となって以下が「二十九」まで続くという誤りがある。私のこれは、あくまで本書全体の文字部分の忠実な電子化再現であるから、それも再現する。思うに、ここは書簡の並びがおかしいことに気づく。前の書簡は大正三年三月二十一日附であるのに、その後の本書簡は大正三(一九一四)年三月十日附である。則ち、ここは恒藤が原稿で錯雑したか、或いは校正係が原稿を入れ違えたままに組んでしまった可能性が出てきた。孰れにせよ、恒藤の最終校正のミスではある。
底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。
本「芥川龍之介書簡集」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。
なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。
また、私は一昨年の二〇二一年一月から九月にかけてブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」百四十八回分割で芥川龍之介の書簡の正規表現の電子化注を終えている。そちらにあるものについては、注でリンクを示し、注もそちらの私に譲る。但し、以上に述べた通り、表記に違いがあるので、まず、本文書簡を読まれた後には、正規表現版と比較されたい。
各書簡部分はブログでは分割する。恒藤恭は原書簡の表記に手を加えている。]
七(大正三年三月十日 新宿から京都へ)
先達は早速イエーツを送つて下すつて難有う。又其節の八つ橋も皆で難有頂戴してゐる。
手紙を出さうと思つてかいたのも、うちの番頭が急病で死んだものだから、いろんな事に紛れて遲れてしまつた。君は知つてゐるだらうと思ふが、なくなつたのはうち(新宿の)の店にゐたおぢいさんだ。成瀨が電話をかけると牛のなくやうな返事をすると云つたおぢいさんだ。
病氣は心臟の大動脈弁の閉鎖で、発作後十五分ばかりでもう冷くなつてしまつた。それ迄は下女と大正博覽会の話をしてゐたと云ふのだからかはいさうだ。見てゐるうちに耳から額へ、額から眼へひろがつてゆく皮膚の變色を(丁度雲のかげが日向の野や山へ落ちるやうに)見てゐるのは如何にも不氣味だつた。水をあびたやうな汗がたれる。かすれた声で何か云ふ。血も少しはいた。
今朝六時の汽車で屍体は故鄕(くに)へ送つたが、二日も三日も徹夜をしたので、うちのものは皆眼ははらしてゐる。帳面をぶら下げた壁や、痕だらけの机のある狹い店ががらんと急に廣くなつたやうな氣がする。
こんな急な死に方をみると、すべての道德、すべての律法が死を中心に編まれてゐるやうな氣がしないでもない。くにから死骸を引取りに來た親類の話によると、なくなつた晚にかけてない目ざまし時計が突然なり出したさうだ。それから夜があけると、うちの前へ烏が一羽死んで落ちてゐたと云ふ。母や叔母や女中は皆氣味のわるさうな顏をしてこんな話をきいてゐた。
一週間程前に巢鴨の癩狂院へ行つたら、三十程位の女の氣狂ひが「私の子供だ、私の子供だ」と云つて僕のあとへついて來た。子でもなくして氣がちがつたのだらう。随分氣味が惡かつた。中に神道に凝つてゐる氣狂ひがゐた。案内してくれた医学士が「あなたの名は何と云ふんです」ときくと「天の神、地の神、奈落の神、天てらす天照皇神、むすび國常立何とか千早ぶる大神」と一息に答へた。「それが皆あなたの名ですか」と云ふと、「左樣で」とすましてゐる。をかしくもあり、かはいさうでもあつた。
そのあとで医科の解剖を見に行つた。二十の屍体から発散する惡臭には辟易せずにはゐられなかつた。其代り始めて人間の皮膚が背中では殆五分近く厚いものだと云ふ事を知つた。
屍体室へ行つたら、今朝死んだと云ふ屍体が三つあつた。其中の一人は女で、まだアルミのかんざしをさしてゐた。
死ぬと直ぐ胸の上部を切つて、そこから朱を注射するので、土氣色の皮膚にしたたつてゐる朱が血のやうで氣味が惡い。一緖に行つた成瀨はうちへ帰つても屍体のにほひが鼻についてゐて、とうとう[やぶちゃん注:ママ。原書簡も同じ。]吐いてしまつたさうだ。
一九一四・三・十 新宿にて 龍
[やぶちゃん注:最後のクレジットと署名は下四字上げインデントであるが、引き上げた。但し、原書簡では、本文の前にこれがある。本書簡は「芥川龍之介書簡抄23 / 大正三(一九一四)年書簡より(二) 四通」の二通目で岩波旧全集版から電子化注(この書簡の注ではかなりリキを入れた)してあるので、参照されたい。]
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