「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 銀杏樹と女の乳との關係
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。
注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた。漢文脈の「々」は正字化した。
なお、標題の「銀杏樹」のルビ「いてふ」については、Q&Aサイトのこちらの回答に、『「銀杏」はシナでは「いんきゃう」に近い発音していたので、その時代に日本に伝わったので、銀杏を「いんきゃう→いちゃう」と訛って言ったとも言われる。また』中国『では銀杏を「鴨脚(いぁきゃう)」と言ったのが』、『日本に来て「いちゃう」と訛った説もあるようで』あり、『さらに、「一葉(いちえふ)」という説も』あるとあった。小学館「日本国語大辞典」によれば、『歴史的』仮名遣『は江戸時代以来「いてふ」と書かれたが、近年、語源の研究から「いちゃう」が正しいとされる』とある。則ち、本邦の歴史的仮名遣では「いてふ」「いちやう」の表記が過去には混在していた。漢文部は後に〔 〕で推定で訓読文を配した。]
銀杏樹(いてふ)と女の乳との關係 (大正二年九月『民俗』一年二報)
銀杏樹と女の乳とは多少の關係あり。和歌山市道傍(きんぼう)の或村に「擂木(れんぎ)の銀杏樹」とて、或寺か社の境内に老木あり。其れに擂木狀(れんぎじよう)の長き瘤《こぶ》を生じ、垂下《たれさが》れり。乳の病ある婦人、之に立願して平癒す、と云り。「紀伊國名所圖會」第二編か三編に其圖ありと記憶す。又、明治二十九年以前の『植物學雜誌』に、誰かが、其科學上の說明を出し有《あつ》たと記憶す。序でに云ふ。「池北偶談」卷廿四に、鄕大夫有下好爲二雅談一者上、問二鄰縣一友一人云、聞貴鄕多二銀杏一、然否、友人不ㇾ應、問再三不ㇾ已、旁人皆匿笑、終不悟、蓋銀杏淫行音同也。〔鄕大夫の、好んで雅談を爲す者、有り。鄰縣の一友人に問ひて云はく、「貴鄕に銀杏多しと聞く。然るや否や。」と。友人、應ぜず。問ふに、再三して、已(や)まず。旁(かたは)らの人、皆、匿(ひそ)み笑ふも、終(つひ)に悟らず。蓋し、「銀杏(インシン)」と「淫行(インシン)は、音(おん)、同じければなり。〕薩摩人に歌謠を勸むるとて、「『おはこ』を出せ」と强いて、叱られた話に似て居るが、是も銀杏と女人の關係と云はゞ、云ひ得るから、記し置く。
[やぶちゃん注:「道傍(きんぼう)」はママ。私はルビから確信犯と判じ、ママとした。「選集」では『近傍』とあってルビはない。
「擂木(れんぎ)の銀杏樹」「擂木」は「擂り粉木」のことで、古木のイチョウによく見られる気根の形状を、女性の乳房同様、ミミクリーしたものである。イチョウの気根については、「しろうと自然科学者」氏のブログ「しろうと自然科学者の自然観察日記」の「子宝・安産のシンボルとしてあがめられるイチョウの乳柱(気根?)。【7月中旬のあきる野市・八王子市での自然観察・その1】」がよい。他を見ても、我々は判ったように「気根」と言っているのだが、植物学的にはイチョウが形成する(形成しないイチョウも多い)理由はよく判っていないというのが真相である。されば、古くからの民俗社会での信仰も大いにあっていい気がしてくる私である。
「擂木狀(れんぎじよう)」ルビの「じよう」はママ。「じやう」が正しい。実は「選集」では『擂木状(すりこぎじよう)』とあるのだが、これは編集者が判り易く補正した可能性が疑われる(初出は見られないので断定は出来ない)ので、そのままに電子化した。
『「紀伊國名所圖會」第二編か三編に其圖あり』国立国会図書館デジタルコレクションの昭和一六(一九四一)年刊の同書(本文は版刻復刻)上巻のここに出る図であろう。右上のキャプションに「九頭神社」「研棒銀杏(れんきいてう)」とある。ところが、この神社の本文記載が周囲に見当たらないので、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の原版本で調べたところ、「三之巻上 名草郡」(一括PDF)の35コマ目からで解説文を確認出来た。そこでは「九頭大明神(くづだいみやうじん)」とあり、『えだごとに瘤(こぶ)のごときものを生じて長く下り垂(たれ)たり其最(もつとも)長(ちやう)ずるものは五尺余(よ)におよべり土人呼(よん)で研棒銀杏といふ一奇観といふべし』とあるので、これは同一の対象えだることは疑いない。調べみたが、「九頭」を名乗る(を含む)神社はこの和歌山市内だけでも七社ある(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。しかし、この乳房銀杏は現存しない模様で、位置を特定するのも意味がないとおも思ったが、種々の上記の解説の地名などから推理すると、この神社は、ここの「九頭大明神」、或いは、その南直近にある「九頭神社」ではないか(或いは、それらの神社の最初に建てられた場所)と思う。
「池北偶談」清朝初期の詩宗で、別名を王漁洋と称した王士禛(一六三四年~一七一一年)の随筆集。本文は「中國哲學書電子化計劃」のこちらの影印本と校合した。一つ、大きな誤りがあり、「雅談」を熊楠は「雜談」としている。そうした版本があるのかも知れないが、ここは「雜談」ではなく、「雅談」であることが、一つの落差を生じて面白い。断然、「雅談」とした。但し、字体は熊楠の表記を概ね優先した。
「銀杏(インシン)」原題中国語で「yín xìng」。「インシィン」。
「淫行(インシン)」同前で「yín xíng」で「行」の四声が異なるだけで、ほぼ同じ。
「おまん」鹿児島弁で女性生殖器を指す。大学時代、国学院大学だったので、「神道概説」が一年次の必須科目であったが、老教授が性的な噺を連発するので、欠かさず出た(女学生は概ね嫌っていた)が、奥方を早くに亡くされて、田舎出(場所を記憶していない)の女中を雇っていたが、『夕餉が近くなると、「先生、おまんあげましょか?」と言うんで、嬉しくなっちゃう。』とおっしゃっておられた。確か、十二月末の講義だったか、有意にサボっている学生が多く、大教室の三分の一以下だった。すると、「今日の講義を聴いた諸君は「優」。一月から、来んで、いいよ。試験は受けてね。」と言われたのも忘れられない。]
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