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2023/01/02

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介のことなど」(その4) /「四 藝術的作品と制作者の性格」

 

[やぶちゃん注:本篇は全四十章から成るが、その初出は、雑誌『智慧』の昭和二二(一九四七)年五月一日発行号を第一回とし、翌年七月二十五日を最終回として、全九回に分けて連載されたものである。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本篇「芥川龍之介のことなど」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。傍点はこのブログ版では太字とした。私がブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」で注したもの等については、一切、注は附さない。それぞれのところで当該書簡等にリンクさせあるので、そちらを見られたい。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 また、全体を一遍に電子化注するには本篇はちょっと長く、また、各章の内容は、そこで概ね完結しているものが多いことから、ブログ版では分割して示すこととした。]

 

        四 藝術的作品と制作者の性格

 

 あらゆる藝術的作品は、なんらかの藝術的内容を表現することの故に、藝術的作品としての存在をもつのであるが、それと同時に、なんらかの程度において制作者の人間としての、または制作者としての性格を表現する。といひ得るであらう。もとより、此の事に関して、文章を表現手段とする藝術的作品と、文章以外の表現手段を用ひる藝術的作品との間には、本質的相違が見出される。すなはち、後の種類の作品を通してあらはれるものは、主として制作者の制作者としての個性的性質であり、彼の人間としての個性的性格は槪して微弱の程度にしかあらはれないのであるが、これと異なつて、前の種類の作品の場合には、それを通して制作者の人間としての個性的性格が多分にあらはれ得る可能性が存するのである。

 この可能性は、文章は人間の思想や感情をかなり的確に表現し得る機能を有するものであるといふことにもとづくものに他ならないが、ひとしく文章を表現手段とする藝術的作品の中でも、その種類如何によつて、制作品の個性的性格を表現するしかたは一樣でなく、且つ同一の種類の藝術的作品について見ても、制作者の制作態度の異なるにしたがつて、彼の作品を通して、彼の個性的性格があらはれる樣態は一樣たり得ないわけである。

 文章を表現手段とする藝術の中で、制作者の人間としての性格を最も多分に表現し得る可能性をそなへてゐるものは、おそらく小說ではなからうかと思ふ。いかなる型の小說であつても、人間生活の再表現を意図してゐないものはなく、自然界の事象を純粹に自然界の事象として取りあつかつたやうな小說は決してあり得ない。往々動物の生活を対象としてゐる小說が存するけれど、彼らの動物としての生活のすがたを人間の立場から擬人化して感情移入的に描寫したものであるか、さもなくば、たとへば、夏日漱石の「猫」や、芥川龍之介の「河童」などのやうに、動物の生活に仮托して、人間生活の消息を傳へようとするものたるに過ぎない。小說はかやうな本質をもつたものであるから、他のいかなる種類の藝術にもまさつて、小說家自身の人間としての性格を多分に表現する可能性をそなヘてゐるはずであり、他面から言へば、小說は、他のさまざまの藝術にくらべて、特に制作者の人間としての性格によつてその藝術的作品としての性格を力强く制約される傾向を有するのである。もちろん、小說家の制作態度如何によつて一槪に論ずることはできないし、又、たとへば、「私」小說の場合と、歷史小說の場合とでは、おほむね著しい相違が見出されるであらう。

 制作者の人間としての性格と制作者としての性格とを区別したのであるが、制作者の制作者としての性格は彼の人間としての性格の一面をかたちづぐるものに他ならないと考ヘられるであらうけれども、謂はば藝術的作品の中に憑り[やぶちゃん注:「のり」。]移つた制作者の性格がその作品によつて表現されるといふやうに考へるならば、そのやうな意味において制作者そのものから離れて独立性を獲得した彼の制作者としての性格といふごときものを思惟し得るであらう。かやうな考へかたを採るときは、制作者が死んで、彼の人間としての性格も、それの一部分をかたちづくる彼の制作者としての性格も、もはや実在する者の性格ではなく、曾て実在した者の性格となつてしまつた場合においても、作品は依然として実在してゐる以上、それに憑り移つた制作者の制作者としての性格は、人間としての制作者から離れて独立性を獲得し、作品に内在して、後者が実在してゐる限り常に表現され続けてゐるところの制作者的性格としての存立を保有すると言はれ得るわけである。

 まはりくどい言ひかたをしたやうであるが、私が特に述べたいと思ふのは、――小說の場合には、とりわけ事態が顯著なしかたで成り立つことが多いから、小說について言ふこととすれば、――「小說家の人間としての個性的性格と彼の制作者としての性格とは、ある程度に相互的独立性をもつものである」といふことである。

 もとより、小說家の作家としての性格は彼の人間としての性格によつで誓約されざるを得ないのであるから、彼の作家としての性格はなんらかのしかたで、且つなんらかの程度において彼の人間としての性格を反映するものといふべきであらう。しかしながら、小說家の作家としての性格は、單に彼の人間としての性格の一部分をかたちづくるものに過ぎず、したがつて、前者を媒介として後者の何たるかと認識することは必すしも容易な課題ではない。全体をはなれて部分はあり得ず、部分から遊離せる全体もあり得ないのであつて、部分は必ずやなんらかの意味において全体のすがたを表現するものであることは、あらゆる存在を通じてあまねく観取され得ろ事態である。だから、小說にあらはれた作家の作家としての性格を媒介として彼の人間としての性格を認識することは、原理的には可能である、といはざるを得ないが、事実としては、この認識が比較的にたやすく爲され得る場合もあるけれど、非常に困難な場合や、不可能な場合もしばしば存するのである。

 はじめに述べたやうに、藝術的作品は制作者の制作者としての性格を表現するだけでなく、彼の人間としての性格をも表現するのであるが、作品とのあひだに必然的な関係をもつものは制作者の制作者としての性格であつて、彼の人間としての性格が作品を媒介として表現される関係は偶然的性質をもつものである。だから、一般的には、作品を通して制作者の人間としての性格を知らうとする者は、作品にあらはれた彼の制作者としての性格を媒介として、彼の人間としての性格を洞察することに重きを置かねばならぬであらう。

 藝術的作品を通して制作者の性格を知るよりは、制作者自身に接触する機会をもつことによつて直接に彼の性格を知ることの方が、手つ取り早いしかたであると同時に、槪してより正確な方法であると考へられるが、制作者自身に接触する場合においても、われわれは決して直接に彼の性格を知り得る可能性をあたへられるわけではなく、彼の動作や、感情や、談話などを媒介とすることによつてのみ、彼の性格を知り得るのであり、したがつて、場合によつては、かへつて彼の作品を媒介とすることによつて、より好く彼の性格を知り得ることもある。だから、制作者に直接に接触する方法と、彼の作品を媒介とする方法とを併せ用ひるときは、より好く彼の性格を知り得るはずである。直接に彼に接触する機会を持つた人が彼の性格について知り得たところを記述したものによつて彼の性格を知る方法は、彼に直接に接触することによつて彼の性格を知る方法に代用され得るであらう。現実の生活における作品の行動や態度が、彼の性格を知るための重要な指標たる意義をもつことは言ふまでもないところである。

 

           芥川龍之介ゑがく

[やぶちゃん注:芥川龍之介が描いたルノアール風の女の絵が、以上の段落が終わった、その左ページ全面に掲げられてある。上記のキャプションは絵外の右下方に記されてある。表現急行氏のブログ「表現急行2」の「古本日記 恒藤恭『旧友芥川龍之介』」の原本の四枚目の写真を見るにモノクロームのようである。この絵は私の「芥川龍之介書簡抄42 / 大正四(一九一五)年書簡より(八) 井川恭宛三通」の二通目の「大正四(一九一五)年七月二十一日・消印二十六日・出雲國松江市内中原御花畑一八七 井川恭樣・七月二十一日 田端四三五 芥川龍之介」に引用元の異なる画像を二種掲げてあるので、そちらを見られたい。

 

 私はこの夏のあひだに、小說家としての又は藝術家としての芥川龍之介についての硏究又は紹介といつたやうなたぐひの著書を幾册かよんだが、それらの著書の中で芥川龍之介の人間としての性格や、小說家または藝術家としての性格についてあたへられてゐる記述が、著者によつてそれそれ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]特色があること、また芥川の性格について彼れ是れと論じてゐる著者たちの、芥川の性格を見きはめるために執つてゐる方法がそれそれ特色をもつてゐることを、興味ふかいことだとおもつた。そして、右に述べたやうなことを考へたものである。あまり長くなるので、この項は一應これで終ることとしたい。

[やぶちゃん注:我々は、ここに、恒藤が彼に送ってきた絵を挟んでいるのが、確信犯であることに気づかなければならない。さらにまた、恒藤は最後に、極めて禁欲的に他社の芥川龍之介のそれぞれがどれも、芥川龍之介という人間を、かなり異なった存在として綴っていることに対して、字背に於いて「ノン!」と述べているのである。恒藤恭が、「私のよく知っている親友芥川龍之介はあなた方が考えているような人間ではない!」と言っているのである。

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