死靈解脫物語聞書下(4) 石佛開眼の事
[やぶちゃん注:本書の解説や底本等は、冒頭の「累が最後之事」を参照されたい。]
石佛開眼の事
同二月十二日、石佛すでに出來して、飯沼弘經寺(いゝぬまぐきやうじ)客殿に、かきすゆれば、すなはち、当(たう)方丈、明誉檀通上人(みやうよたん[やぶちゃん注:ママ。]つうしやうにん)、御出有。そのほか、寺中のしよけ衆など、おもひおもひに入堂(にふだう)す。
[やぶちゃん注:「飯沼」は羽生町の古い村名。
「明誉檀通」(?~延宝二(一六七四)年)江戸前期の浄土宗の僧。随波に就いて、出家し、上野(こうずけ)館林の善導寺。下総飯沼弘経寺の住職を経て、鎌倉の浄土宗大本山光明寺(こうみょうじ)を継いだ。祐天は彼の高弟子。号は合蓮社明誉空阿符念。]
ときに、方丈、ふでとり給ひ、「妙林(めうりん)」をあらため、「理屋松貞([やぶちゃん注:「り」。]をくせうてい)」と、かいみやうし、少々、くやうをとげられ、終(つゐ)に羽生村法藏寺の庭にたてゝ、前代未聞のしやう跡(せき)に胎(のこ)す。永き代(よ)のしるし、是なり。
[やぶちゃん注:「妙林」殺された累の当初の戒名。「死靈解脫物語聞書 上(1) 累が最後之事」参照。]
奇哉(きなるかな)、此物かたり、あるひは、現在のゐんぐわをあらはし、あるひは、当來の苦乐(くらく)をしらせ、あるひは、誦經念佛の利益をあらそひ、あるひは、四恩報謝の分斉(ぶんざい)す。
[やぶちゃん注:「四恩報謝」「仏・菩薩の与えて呉れる恩」・「父母が与えて呉れた恩」・「総ての生きとし生けるものが与えて呉れる恩」・「国主が呉れる恩」の四つの「恩」に「報」じて感「謝」すること。
「分斉」身の程を心得ること。「分際」に同じ。]
かくのごとく、段々の事、有て、終(つい)に智惠・慈悲・方便、三種菩提の門に入り、能所相應(のうじよさうおう)して、機法一合(がつ)の全躰立地(ぜんたいりつち)に、生死の囚獄(しうこく[やぶちゃん注:ママ。])を出離し、直に涅槃の淨刹(じやうせつ)に徃詣(わうげい)する事、まつたく、是、他力難思善巧(たりきなんじのぜんきやう)、本願不共(ほんぐわんふぐう)の方便也。
[やぶちゃん注:「三種菩提」菩提に於いて相違する三種の心。菩薩の巧方便(ぎょうほうべん)回向(利他行)を実践するに当たって、障礙(しょうがい)となる心を指し、「自己に執着する心(我心)」、「衆生を安あんずることのない心(無安衆生心)」、「自己のみを供養して恭敬(くぎょう)する心(供養恭敬自身心)」の三つ。参照した「WEB版新纂浄土宗大辞典」の「三種菩提門相違法」には、『この三種の心は智慧・慈悲・方便に』基づいて、『遠離するならば、菩提の障りとなることはなく、菩提に随順する三清浄心に転ずることができる』とあるので、ここはその三種を離れて、正菩提に入ることを指している。
「他力難思善巧」阿弥陀如来の本願は衆生の思念を超えた、勝れた「難思」(思念することが難しい)」絶対他力の用意に認識することは出来難い誓願であり、「善巧」(歴史的仮名遣は「ぜんげう」が正しい)は、人々の機根に応じてそれぞれに対応して、巧みに善に教え導き、仏の利益を与えることを言う。
「本願不共」一度述べたが、仏・菩薩の各自の、共通しない独特の属性を言う。ここでは、前に注した阿彌陀の第十八誓願を指すと考えてよい。]
しかりといへども、願力(ぐわんりき)不思議の現證(げんしやう)を顯す事、且(かつ)、恐は[やぶちゃん注:「おそらくは」。]、導師、決定心(けつぢやうしん)の發得(ほつとく)によるものなるをや。しからば、此決定信心の人、何(いづ)れをか求めんとならば、單直仰信(たんじきこうしん)、称名念佛の行者、是(これ)、其人也。此人におゐて、いか成[やぶちゃん注:「なる」。]德あるぞや、とならば、隨順佛願、隨順佛敎、隨順佛意(ずいじゆんぶつい)、是、其德也。かくのごとく、心得(こゝろうる)時は、道俗貴賤、老若男女によらず、唯(たゞ)、一向に信心称名せば、現当(げんとう)の利益(りやく)、是より、顯れんか。
右此かさねが怨霊(おんれう)、得脫の物語、世間に流布して
人の口に在といへとも、前後次㐧、意詞(こゝろのことば)、
色々に乱れ、其事、慥(たしか)かならず。爰に【某甲。】、
彼(かの)死㚑(しれう)の導師、
顯誉上人、拜顏之砌(みぎり)、度々、懇望、仕、直(じき)
の御咄(はなし)を、深く耳の底にとゞむいへども、本より
愚癡忘昧(ぐちもうまい)の身なれば、かく有難き現證不思
議の事ともを、日を經んまゝ、あとなく、廃忘(ぼう)せん
ほいなさに、詞(ことは)の、つたなきを、かヘりみず、書
記(かきしる)し置者(おくもの)也。猶、此外にも累と村
中との問荅には、聞落したる事、あるべきか。
[やぶちゃん注:最後の二字下げと、「顯誉上人」(祐天の号。正しくは「明蓮社顯譽」)の行上げ敬意は底本に従った。二行割注の【 】内の「某甲」は著者自身を示すもの。なお、まだ、二章が続く。]