恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介書簡集」(十三) (標題に「一二」とあるのは誤り)
[やぶちゃん注:本篇は松田義男氏の編になる「恒藤恭著作目録」(同氏のHPのこちらでPDFで入手出来る)には初出記載がないので、以下に示す底本原本で独立したパートとして作られたことが判る。書簡の一部には恒藤恭の註がある。書簡数は全部で三十通である。ただ、章番号には以下のような問題がある。実はこれより前で、「六」の後が「八」となってしまって、その次が「七」、その後が再び「八」となって以下が最後の「二十九」まで誤ったままで続いて終わるという誤りがある。私のこれは、あくまで本書全体の文字部分の忠実な電子化再現であるから、それも再現する。
底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。
本「芥川龍之介書簡集」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。
なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。
また、私は一昨年の二〇二一年一月から九月にかけてブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」百四十八回分割で芥川龍之介の書簡の正規表現の電子化注を終えている。そちらにあるものについては、注でリンクを示し、注もそちらの私に譲る。但し、以上に述べた通り、表記に違いがあるので、まず、本文書簡を読まれた後には、正規表現版と比較されたい。
各書簡部分はブログでは分割する。恒藤恭は原書簡の表記に手を加えている。]
一二(大正三年九月 新宿から京都へ)
ミ ラ ノ の 畫 工
ミラノの画工アントニオは
今日もぼんやり頰杖をついて
夕方の鐘の音をきいてゐる
鐘の音は遠い僧院からも
近くの尼寺からも
雨のやうにふつて來る
するとその鐘の音のやうに
ぼんやりしてゐるアントニオの心に
おちてくるものがある
かなしみかもしれない
よろこびかもしれない
唯アントニオはそれを味はつてゐる
「先生のレオナルドがゐなくなつてから
ミラノの画工はみな迷つてゐる」
かうアントニオは思ふ
「葡萄酒をのむ外に
用のない人間が大ぜいゐる
それが皆 画工だと云つてゐる
「レオナルドのまねをして
解剖図のやうな画を
得意になつてかく奴もゐる
「モザイクの壁のやうな
色を行儀よくならべた画を
根氣よくかいてゐる奴もゐる
「僧人のやうな生活をして
聖母と基督とを
同じやうにかいてゐる奴もゐる
「けれども皆画工だ
少くも世間で画工だと云ふ
少くも自分で画工だと思つてゐる
「自分にはそんな事は出來ない
自分は自分の画と信ずる物を
かくより外の事は何も出來ない
「しかしそれをかく事が又中々出來ない
何度も木炭をとつてみる
何度も絵の具をといてみる
「いつも出來上るのは醜い画にすぎない
けれども画は画だ
いつか美しい画がかける時がくる
「かう思ふそばから
何時迄たつてもそんな時來ないと
誰かが云ふやうな氣がする
「更になさけないのは
醜い画が画でない物に
外の人のかくやうな物になつてゐる事だ
「己はもう画筆をすてやうか
どうせ己には何も出來ないのだ
かう思ふよりさびしい事はない
「同じレオナルドの弟子だつた
ガブリエレはあの僧院の壁に
ダビデの像をかいたが
「同じレオナルドの弟子の
サラリノはあの尼寺の壁に
マリアの顏をかいたが
「己はいつ迄も木炭を削つてゐる
いつ迄も油絵具をとかしてゐる
しかし己はあせらない
「己はダビデよりマリアより
すぐれた絵をかき得る人間だ
少くもあんな絵はかけぬ人間だ
「たゞ絵の出來ぬうちに
己が死んでしまふかもしれぬ
己の心が凋んでしまふかもしれぬ
「たゞ画をかく
之より外に己のする事はない
之ばかりを己はぢつと見つめてゐる
「この企てが空しければ
己のすべての生活が空しいのだ
己の生きてゐる資格がなくなるのだ」
アントニオはかう思ふ
かう思ふと淚がいつとなく
頰をつたはつて流れてくる
アントニオは今日もぼんやりと
夕月の出た空をながめながら
鐘の音をきいてゐる
君にあつて話したいやうな氣がする。此頃は格別不愉快な事が多い。
龍
追 伸
出來るに從つてかく。唯今ひま。
あざれたる本鄕通り白らませて秋の日そゝぐ午後三時はも
紅茶の色に露西亞の男の頰を思ふ露西亞の麻の畑を思ふ
秋風は南瞻(ぜん)部洲のかなたなる寂光土よりかふき出でにけむ
黃埃にけむる入り日はまどらかにいま南蛮寺の塔に入るなり
秋風は走り走りて鷄の風見まはすとえせ笑ひすも
ゼムの廣告秋の入日に顏しかむその顏みよとふける秋風
をちこちの屋根うす白く光るあり秋や滅金をかけそめにけむ
ごみごみと湯島の町の屋根黑くつづける上に返り咲く櫻
遠き木の梢の銀に曇りたる空は刺されてうち默すかも
あはただしく町をあゆむを常とする人の一人に我もあり秋
かにかくにこちたきツエラアの書(ふみ)をよむこちごちしさよ圖書館の秋
日の光「秋」のふるひにふるはれて白くこまかくおち來十月
木乃伊つくると香料あまたおひてゆく男にふきぬ秋の夕風
秋風の快さよな佇みて即身成佛するはよろしも 龍
[やぶちゃん注:本書簡原本は既に『芥川龍之介書簡抄31 / 大正三(一九一四)年書簡より(九) 井川恭宛(詩「ミラノの画工」及び短歌十四首収録)』で電子化注済みである。また、そこにもリンクさせてあるが、同時期に芥川龍之介が訳した「レオナルド・ダ・ヴインチの手記 芥川龍之介譯 ――Leonardo da Vinci――」(リンク先は私の古いサイト版電子化)も参考になろう。また、短歌の七首目の「光るなり」は原書簡では「光るありである。恒藤の転写の誤りか、誤植であろう。 ]
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