恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介のことなど」(その10) /「十 共に生きる者の幸福について」
[やぶちゃん注:本篇は全四十章から成るが、その初出は、雑誌『智慧』の昭和二二(一九四七)年五月一日発行号を第一回とし、翌年七月二十五日を最終回として、全九回に分けて連載されたものである。
底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。
本篇「芥川龍之介のことなど」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。傍点はこのブログ版では太字とした。私がブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」で注したもの等については、一切、注は附さない。それぞれのところで当該書簡等にリンクさせあるので、そちらを見られたい。
なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。
また、全体を一遍に電子化注するには本篇はちょっと長く、また、各章の内容は、そこで概ね完結しているものが多いことから、ブログ版では分割して示すこととした。]
十 共に生きる者の幸福について
「おたがひに一と言も話さないで、おやぢと二人、部屋の中に一緖にゐるときがある。それでゐて、そんな時にいちばん幸福な感じがするんだ」といふやうなことを、芥川が話したことがある。
これは意味の深い言葉だと思つて、いまでも記憶してゐる。
たとへば、恋愛に熱してゐる男性と女性とは、向かひ合つてゐるあひだ甚だ多辯である。それも、人生における幸福にみちた一と時であるに相違ない。だが、ほんたうに親しい間柄の人と人とは、ただ同じ処に一しよにじつとして居るだけで、すでに充分に幸福である。
[やぶちゃん注:言わずもがなであるが、この「おやぢ」とは養父芥川道章である。芥川龍之介は実父新原敏三に対しては、こうした親近感を表明したことは、作品でも書簡でも、一度も、ない。龍之介の大正一五(一九二六)年十月に『改造』に発表した「點鬼簿」の「三」の冷徹な叙述が、それを決定的に示している。]
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