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2023/01/10

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介のことなど」(その32) /「三十二 俳句が第一藝術である場合」

 

[やぶちゃん注:本篇は全四十章から成るが、その初出は、雑誌『智慧』の昭和二二(一九四七)年五月一日発行号を第一回とし、翌年七月二十五日を最終回として、全九回に分けて連載されたものである。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本篇「芥川龍之介のことなど」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。傍点はこのブログ版では太字とした。私がブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」で注したもの等については、一切、注は附さない。それぞれのところで当該書簡等にリンクさせあるので、そちらを見られたい。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 また、全体を一遍に電子化注するには本篇はちょっと長く、また、各章の内容は、そこで概ね完結しているものが多いことから、ブログ版では分割して示すこととした。]

 

        三十二 俳句が第一藝術である場合

 

 『俳句は第二藝術である』といふ桑原武夫氏の議論は昨年それが雜誌に発表されたのをよんで、大層興味ふかく思つたものであつた。

 その後、桑原氏の意見に共鳴する人々や、それに賛成しない人々やが、新聞や雜誌にいろいろ議論してゐるの■かなり数多く読んだやうに思ふ。やかましく論ぜられた此の問題について茲でとやかく論ずるつもりではないが、室賀老人からもらつた手紙をよみ、書いてよこされた俳句と短歌をよんで、室賀老人にとつては、俳句は確実に第一藝術であると云ふことが出來ると思つた。[やぶちゃん注:「■」は底本画像では欠けており、如何に画像調整してみても、字を特定出来なかった。文脈からは「を」らしく思われるが、「は」の可能も否定出来ない。]

 もちろん、斯く言ふ場合には、桑原氏や同氏の意見にくみする人たちが、『俳句は第一藝術ではなくて、第二藝術である。』と主張し、反対の側の人たちが『俳句は第一藝術たることを失はない。』と主張する場合に、双方の側において共通に前提されてゐるらしく思はれるところの「第一藝術」の槪念とは違つたしかたで「第一藝術」を槪念してゐる次第である。

 だが、ひるがへつて考へると、飽くまでも『俳句は第一藝術である。』と主張する人々の大部分は、ここで『室賀老人にとつては俳句はたしかに第一藝術である』と言ふ場合に、私が考へてゐるのと同じやうな「第一藝術」の槪念と桑原氏などにおける「第一藝術」の槪念とを漠然と混同してゐるのではあるまいか。

 ところで、桑原氏のいはゆる第一藝術の槪念を、仮りに第一藝術の客観的槪念とよび、ここで私のいはゆる第一藝術の槪念を、第一藝術の主観的槪念と呼ぶこととして、――一 般に俳句は客観的意義における第一藝術たり得ないか、例へば、芭蕉の俳句のごときものの中にも客観的意義における第一藝術の名に値ひするものが見出され得ないか、と云ふやうなところから、『俳句は第二藝術か否か』の問題について考察すべきではなからうか、といふ氣がする。

 それから、第一藝術の主観的槪念を念頭に置いて考へると、芭蕉は俳句を第一藝術として後半生を送つた人に相違ないし、富士山のことについて語つた直後に名も無い小丘のことについて語る嫌ひがあるかも知れないけれど、室賀老人もまた俳句を第一藝術として生きた人であるらしい。

[やぶちゃん注:「『俳句は第二藝術である』といふ桑原武夫氏の議論」「第二芸術論」は敗戦直後にフランス文学者桑原武夫が提起した現代俳句否定論。昭和二一(一九四六)年の岩波書店の『世界』十一月号に「第二芸術――現代俳句について」の題で発表されたものである。小学館「日本大百科全書」から引くと、『桑原は、現代の名家と思われる』十『人の俳人の作品を一句ずつと、それに無名または半無名の句を五つ混ぜ合わせ、イギリスの批評家リチャーズの行ったような実験を試み、現代俳句は、作者の名前を消してしまえば優劣の判断がつきがたいということで、現代俳句の芸術品としての未完結性すなわち脆弱性をみた。彼によると、現代俳句は、他に職業を有する老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしいもので、「芸術」というより「芸」であり、しいて芸術の名を要求するなら「第二芸術」とよぶべきだという。桑原はこの第二芸術論を短歌や私小説にまで適用させ、日本の近代文化になお残る封建的残滓を手厳しく批判した』とある。「ブリタニカ国際大百科事典」には、『短歌に対しては小田切秀雄』や『臼井吉見らの否定論が出現した。西欧市民文学を理念とする性急な伝統批判という性格が強く』、『時代思想の流行性を印象づけただけで』、『短歌や俳句の本質をゆるがすにはいたらなかった』とする。私は中学二年の時、国語教師の小島心水先生から尾崎放哉の句集を借りて以来、没頭し、二十代まで『層雲』の誌友となり、卒業論文も「尾崎放哉論」であった程度には俳句を嗜む。桑原の「第二芸術論」も何度も読み、大学時代の同人誌で、その批判もやらかしたことがある。桑原は思いつきの言いっぱなしで、肯定論への再反論なども一切しておらず、フランス語公用論などを軽率に主張したりした辺り、全く評価していない。ただ、俳壇から、それに論理的に反証する有力な主張が示されなかった点で、既存の俳句界、特に高浜虚子(私は彼の句を殆んど凡庸として評価していないし、杉田久女を抹殺した彼を絶対に許さない)を親玉とする守旧派の無力さが露呈し、馬鹿には出来ないものとは言える。少なくとも定型俳句は、発句の発生以来、長い年月を経てしまって、組み合わせが概ね出き切ってしまっていることは、物理的論理的にも確かである。確かな自身のオリジナルな五七五であっても、過去を遡れば、知られていない誰彼が既に詠んでいるものを見出すことは、極めて容易な失望の極致たる事実なのである。

「室賀老人」前章「三十一 室賀老人のこと」参照。]

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