恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介書簡集」(十七) (標題に「一六」とあるのは誤り)
[やぶちゃん注:本篇は松田義男氏の編になる「恒藤恭著作目録」(同氏のHPのこちらでPDFで入手出来る)には初出記載がないので、以下に示す底本原本で独立したパートとして作られたことが判る。書簡の一部には恒藤恭の註がある。書簡数は全部で三十通である。ただ、章番号には以下のような問題がある。実はこれより前で、「六」の後が「八」となってしまって、その次が「七」、その後が再び「八」となって以下が最後の「二十九」まで誤ったままで続いて終わるという誤りがある。私のこれは、あくまで本書全体の文字部分の忠実な電子化再現であるから、それも再現する。
底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。
本「芥川龍之介書簡集」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。
なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。
また、私は一昨年の二〇二一年一月から九月にかけてブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」百四十八回分割で芥川龍之介の書簡の正規表現の電子化注を終えている。そちらにあるものについては、注でリンクを示し、注もそちらの私に譲る。但し、以上に述べた通り、表記に違いがあるので、まず、本文書簡を読まれた後には、正規表現版と比較されたい。
各書簡部分はブログでは分割する。恒藤恭は原書簡の表記に手を加えている。]
一六(大正五年三月十一日 田端から京都へ)
[やぶちゃん注:原書簡ではここに「(第一)」と行頭にあるのをカットしてある。]論文と原稿とが忙しかつたので、大へん御ぶさたした。これと一しよに寮歌集も送る。
それから御願が一つある 1荒川重之助(?)の事蹟を知る事は出來なからうか。酒のみで天才だと云ふ事だけは君からきいた。あれとヘルン氏とを材料にして出雲小說を一つかきたい。松江の印象のうすれない内に。
是非たのむ。
閃かす鳥一羽砂丘海は秋なれど
今は俳句氣分になつてゐない
十 一 日 龍
註1 出雲の人。彫刻家。稻田姬の彫像―稻田姬が右手で胸のあたりに劍を水平に持ち、
伏し目にそれを見すえてゐる木彫彩色の彫像が彼の作品の中でも有名である。
[やぶちゃん注:読者の諸君は「第一」が気になると思うが、旧全集でも以上と同じで、「第二」は存在しない。ところが、岩波の新全集で原書簡が見つかり、復元されている。それを表記を推定復元したものを、「芥川龍之介書簡抄55 / 大正五(一九一六)年書簡より(二) 井川恭宛二通(芥川龍之介に小泉八雲を素材とした幻しの小説構想が彼の頭の中にあった事実・「鼻」反響(注にて夏目漱石の芥川龍之介宛書簡を翻刻))」の冒頭で電子化注してあるので、是非、参照されたいが、その推定復元の「第二」の本文を以下に示しておく。
*
(第二)「鼻」は二つのベグリッフスインハルトを持つてゐる 一つは肉體的缺陷に對するヴァニテの苦痛(ハウプト)一つは傍觀者の利己主義(ネエベン)――それ以上に何もずるい企[やぶちゃん注:「くはだて」。]をした覺はない 君がずるい企の意味を明にしなかつたのを遺憾に思ふ 傍觀者の利己主義は二つのベディングングを加へて全體の自然さを破らないようにした 一つは内供の神經質(性格上)一つは鼻の短くなつてから又長くなる迄の期間の短い事(事件上)だ それが徹底していなかったと云へばそれ迄だが
次の號は四月一日發行にした 僕は小品をかいた 出來たら送る
*
にしても、リンク先でも言ったが、私は小泉八雲を登場させた芥川龍之介の小説が書かれなかったことを激しく残念に思うのである。
「稻田姬の彫像―稻田姬が右手で胸のあたりに劍を水平に持ち、伏し目にそれを見すえてゐる木彫彩色の彫像」彼のウィキも参照されたいが、これは一八九三(明治二十六)年にアメリカで開かれた「シカゴ万国博覧会」で優等賞を受賞した彫像「櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」のことで、takuya氏のブログ「タクヤの写真館」の「出雲の天才彫刻家荒川亀斎(島根県松江市)」で、モノクローム写真で、その画像を見ることが出来る。調べたが、この像は現存しないようである。]
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