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2023/01/14

芥川龍之介書簡抄152 追加 大正三(一九一四)年三月十九日 井川恭宛

 

[やぶちゃん注:この書簡は底本の岩波旧全集では、『〔前缺〕』とあるので、私は不完全書簡として電子化をしなかった。しかし、現在進行中の送られた相手である恒藤恭の「旧友芥川龍之介」の「芥川龍之介書簡集」にも、やはり前部分欠損のままに(但し、その注記はない)収録されており、岩波文庫石割透編「芥川竜之介書簡集」にも同じく前欠損で収録されている(同文庫は岩波の忌まわしい新字の新全集が典拠)ことから、この書簡は恒藤自身が、前部分を紛失して完全形は最早、期待出来ないことが判ったので、ここで改めて追加電子化注することとした。

 

大正三(一九一四)年三月十九日(消印)・井川恭宛・三月十九日・京都市吉田京都帝國大學寄宿舍井川恭君 直披

 

新思潮の二号を送つた

井出と云ふのは土屋 松井と云ふのは成瀨だ

六号にある記事は皆久米のちやらつぽこだから信用してはいけない 僕一人の考へでは大分下等のやうな氣がして不平がないでもない 三号へは山本勇造氏が大へん長いdramaをかいたので久米が俑[やぶちゃん注:「よう」。人形(ひとがた)。]を造つたのを悔いてゐる、比頃も不相變不愉快だ 新思潮社の同人とも水と油程でなく共[やぶちゃん注:「とも」。逆接の仮定条件の接続助詞。]石油と種油[やぶちゃん注:「たねあぶら」。菜種油。]にはちがつてゐる 併しどう考へてもあるがまゝの己が最尊いやうな氣がする(人のeinflussをうけやすい人間だけに余計こんな氣がするのかもしれないが) ひとりで本をよんだり散步したりするのは少しさびしい

 

胃病が又少し起つた 休みはどうしやうかと思つてゐる

成瀨や佐藤君は一高の應援隊を利用して汽車賃割引で京都へゆくと云つてゐる

 

石田君が大へん勉强してゐる 來年はきつと特待になると云ふ評判である 前より少し靑白くなつたやうな氣もする 僕は顏をみると不愉快になるからなる可くあはないやうにしてゐる 独乙語の時間には仕方がないからあふ

未來の山田アーベントで久保正にあつた 久米がゐたもんだから傍へやつて來ていろんな話しをしてよはつた

あいつの笑ひ方は含蜜の笑だと思ふ やに甘つたるくつて胸の惡くなる所は甘草の笑の方がいゝかもしれない

 

佐藤君はフロオべールとドストエフスキーをよんでゐる

谷森君とは每日大抵一緖にかへる 相不變堅實に勉强してゐる 谷森君のおとうさんは貴族院の海軍豫算修正案賛成派の一人ださうだ 尤も内閣の形勢が惡くなる前は權兵エをほめてゐたが風向がかはると急に薩閥攻擊にかはつたんだから少しあてにならない賛成家らしい

 

時々山宮さんと話しをする アイアランド[やぶちゃん注:ママ。]文學を硏究してゐる ひとりで僕をシング(小山内さんにきいたらシングがほんとだと云つた)の硏究家にきめていろんな事をきくのでこまる アイアランド文學号を出すについてもグレゴリーの事をかく人がなくつてこまつてゐる 著書が多いから仕末が惡いのだらう

 

畔柳さんの會は相變らずやつてゐる 今度はダンヌンチヨださうだ

前には遠慮をしてしやべらなかつたが僕も此頃は大分しやべる 鈴木君と石田君とが一番退屈な事を長くしやべる

其度に畔柳さんにコーヒーと菓子の御馳走になる

何でもその外に畔柳さんは三並さんや速水さんや三浦さんと一緖に觀潮何とかと云ふ會をつくつて一高の生徒を聽衆に月に一囘づゝ講演をしてゐるさうだ

 

芝の僕のうちの井戶の水が赤つちやけてゐて妙にべとべとする 昔から何かある井戶だと云つてゐたが此頃衞生試驗所へ試驗を願つたら わざわざ出張してしらべてくれた 試驗の結果によるとラヂウム エマナチオンがあつて麻布にあるラヂウム泉と同じ位の强さだと云ふ 芝のうちのものは皆每日湯をわかしてははいつてゐる 今にこの井戶が十萬圓位にうれたら僕を洋行させてくれるさうだ

 

うちの二階からみると、枯草の土手の下にもう靑い草が一列につづいてゐる欅[やぶちゃん注:「けやき」。]の枝のさきにもうす赤い芽が小さくふいて來た 春の呼吸がすべての上をおほひ出したのだと思ふ 雨にぬれた土壤からめぐむ艸のやうに 心の底の暖みから生まれるともなく生まれる「煙」のやうなものに出來るなら形を與へたい 僕は此頃になつてよんでゐるツアラトストラのアレゴリーに限りない興味を感ぜずにはゐられない

 

時々自分のすべての思想すべての感情は悉とうの昔に他人が云ひつくしてしまつたやうな氣がする 云ひつくしてしまつたと云ふよりその他人の思想感情をしらずしらず自分のもののやうに思つてゐるのだらう ほんとうに自分のものと稱しうる思想感情はどの位あるだらうと思ふと心細い オリギナリテートのある人ならこんな心細さはしらずにすむかもしれない

 

時々又自分は一つも思つた事が出來た事のないやうな氣もする いくら何をしやうと思つても「偶然」の方が遙に大きな力でぐいぐい外の方へつれ行つてしまふ 全体自分の意志にどれだけ力があるものか疑はしい 成程手や足をうごかすのは意志だがその意志の上の意志が 自分の意志に働きかけてゐる以上 自分の意志は殆意志の名のつけられない程貧弱なものになる 其上己の意志以上の意志が國家の意志とか社會の意志とか云ふものより更に大きな意志らしい氣がする 何故ならば國家の意志なり社會の意志なりを屈竟の意志とすればその上に與らるゝ制限の理由を見出す事が出來ない(それがベシユチムメンせらるゝ理由を見出す事が出來ない)からだ 事によると自由と云ふものは絕對の「他力」によらないと得られないものかもしれない

 

此頃別樣の興味を以てメーテルリンクの戲曲がよめるやうになつた 空氣のやうに透明な戲曲だ 全体の統一を破らない爲には注意と云ふ注意を悉拂つてある戲曲だ 美と云ふものに對して最注意ぶかい最敏感な作者のかいた戲曲だ それでゐておそろしい程EFFECT[やぶちゃん注:ここのみ縦書。]がある僕は其上にあの「ランプのそばの老人」の比喩を哂つた[やぶちゃん注:「わらつた」。]アーチヤーを哂ひたいとさへ思ふ事がある

 

独乙語の試驗の準備をするからやめる あさつて試驗

                  龍

 

[やぶちゃん注:最後の署名は四字上げ下インデントであるが、引き上げた。

「新思潮の二号」刊号で翻訳「バルタサアル(アナトオル・フランス)」を「柳川隆之介」のペン・ネームで発表した(ジョン・レイン夫人の英訳からの重訳)芥川龍之介はこの第二号には作品を発表しておらず、次の第三号(大正三年四月一日発行)で、やはり柳川名義で翻訳『「ケルトの薄明」より(イエーツ)』を発表している。

「井出と云ふのは土屋」「井出」は「井出說太郞」で、歌人土屋文明(明治二三(一八九〇)年~平成二(一九九〇)年)の当時のペン・ネーム。土屋はこの頃は同誌で戯曲や小説を発表していた。同誌創刊号に戯曲「雪來る前」を発表している。

「松井と云ふのは成瀨」「松井」は「松井春二」で、後にフランス文学者となる成瀬正一(せいいち 明治二五(一八九二)年~昭和一一(一九三六)年:脳溢血で満四十三で亡くなった)の当時のペン・ネーム。同誌二号(大正三(一九一四)年三月一日発行)には「未來のために」という小説を発表している。

「六号にある記事」岩波文庫石割透編「芥川竜之介書簡集」(二〇〇九年刊)の注に、同誌の『後記「TZSCHALLAPPOKO」。婿になる同人の資格くらべなどが記されている』とある。調子に乗ってあることないことを書くのが好きな久米正雄らしい、おふざけの後記記事らしい(私は未見)。「ちやらつぽこ」(ちゃらっぽこ・ちゃらぽこ)自体が「口から出まかせの噓」或いは「そうした嘘を平気で言う人」の意で江戸後期にはあった語である。

「三号へは山本勇造氏が大へん長いdramaをかいた」同誌第三号(発行前であるが、既に編集印刷作業入っていたから過去形)には山本有三(「勇造」は彼の本名)三幕の戯曲「女親」を発表している。

「久米が俑を造つた」先立つこの第二号で久米正雄は、三幕の戯曲「牛乳屋の兄弟」を発表していた。それが、あたかも「女親」の先払いのようになったことを指している。

「einfluss」「アィンフルス」。ドイツ語で「感化・影響・勢力」の意。

「佐藤君」不詳。新全集の「人名解説索引」に、芥川龍之介の一高時代の同級生で、岩手生まれの佐藤庄兵衛なる人物が載るが、彼か。

「一高の應援隊」筑摩全集類聚版第七巻「書簡一」(昭和四六(一九七一)年刊)の本書簡の注に、『対三高(京都)定期戦の応援』とある。

「石田君」石田幹之助。

「特待」学費が免除される特待生(正式名称は「特選給費学生」)。

「未來」岩波文庫石割透編「芥川竜之介書簡集」の注に、『詩の同人誌『未来』』とし、この『一九一四年二月創刊。同人は山宮允』(さんぐうまこと)、『西条八十、三木露風、川路柳虹、新城和一』(しんじょうわいち)、『山田耕作、灰野庄平ら』が『詩と音楽との融合を試みた。山宮と親しかった芥川は、(第二次)『未来に短歌「砂上遅日」を一九一五年二月に発表』しているとある。その芥川龍之介の短歌「砂上遲日」(全十二首)はサイト版「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」で全歌が読める。

「山田アーベント」この大正四年二月十三日、山田耕作のドイツ遊学からの帰朝を祝って、築地精養軒で開催された、『未来』同人の主催になる音楽会。石割氏の前掲書によれば、『三木露風らの詩も十数編歌われた』とある。

「久保正」不詳。

「あいつの笑ひ方は含蜜の笑」(ゑみ)「だと思ふ やに甘つたるくつて胸の惡くなる所は甘草」(かんざう)「の笑の方がいゝかもしれない」「含蜜」は「がんみつ」で「含蜜糖」のこと。砂糖の製造過程で糖蜜を分けずに、砂糖結晶と一緒に固めて製品にしたもの。黒砂糖・赤砂糖などがそれ。腐れ縁親友久米への歯にもの着せぬ謂いが面白い。そうか? そこから久米の「微苦笑」も生まれたわけだね!

「谷森君」谷森饒男(にぎお 明治(一八九一)年~大正九(一九二〇)年)は一高時代の同級生。新全集の「人名解説索引」によれば、『東京生まれ』で、明治四二(一九〇九)年入学であったが、『翌年入学の芥川と同期にな』ったとある。また、『勉強家で卒業成績は』、『「官報」によると井川恭・芥川に次いで』三番であったとある。東京『帝大では国史学を専攻』したとあって、『父は貴族院議員の谷森真男』(まさお 弘化四(一八四七)年~大正一三(一九二四)年:当該ウィキのリンクを張っておく)とある。「芥川龍之介書簡抄《追加》(63―2) / 大正五(一九一六)年八月二十八日谷森饒男宛(自筆絵葉書)」も見られたい。

「海軍豫算修正案」岩波文庫石割透編「芥川竜之介書簡集」の注に、『一九一四年三月、海軍拡張予算をめぐり、衆議院』(与党が多い)『が大幅な削減を上程したが』、意見が対立した貴族院が『否決』し、不成立に終わった(筑摩全集類聚の注を一部で入れ込んだ)。

「權兵エ」内閣総理大臣(第十六代及び第二十二代:ここは前者)山本権兵衛(嘉永五(一八五二)年~昭和八(一九三三)年)。薩摩藩士の息子。海軍軍人(階級は海軍大将)で政治家。当該ウィキによれば、大正二(一九一三)年、『同じ薩摩閥の元老』『大山巌の支持で山本に組閣の大命が下』った。『松方正義が』明治三一(一八九八)年一月に『辞任して以来』、十五『年振りの薩摩出身者であり』、二月二十日に『政友会を与党として内閣総理大臣に就任したが、『ドイツの国内事件からシーメンス事件が検察によって調査され、海軍高官への贈賄疑惑をめぐり』、『内閣は瓦解』大正三(一九一四)年四月十六日に『総辞職した』とある。

「薩閥攻擊」筑摩全集類聚版の注に、『第三次桂』(長州閥)『内閣と山本内閣の政変により、藩閥出身の政治家や陸海軍が大きな打撃を受け、藩閥攻撃の声が高まった』とある。

「アイアランド文學を硏究してゐる……」前掲の石割氏の同書注に、『『新思潮』六月号を「愛蘭文学号」にする計画が山宮らから出ていたが、実現しなかった』とある。この六月号は第五号で大正三(一九一四)年六月一日発行。特集はならなかったものの、芥川は強く希望していた。その証拠に、盟友井川恭に慫慂して、アイルランドの劇作家にして詩人であったジョン・ミリントン・シング (John Millington Synge 一八七一年~一九〇九年)の戯曲「海への騎者」(‘Riders to the Sea’ :一九〇四年)を訳させたものを掲載し、芥川も柳川隆之介として翻訳の「春の心臟(イエーツ)」を載せている。

「小山内さんにきいたらシングがほんとだと云つた」「小山内さん」は劇作家・演出家で批評家でもあった小山内薫(明治一四(一八八一)年~昭和三(一九二八)年)。彼は近現代演劇の革新に携わった以外にも、多くの小説やロシア作家の小説の翻訳なども手掛けている。ウィキの「小山内薫」を参照されたい。芥川龍之介にとっては、第一次『新思潮』の先輩であったことと、龍之介がかなりの芝居好きでもあったこと、さらに互いの主なテリトリーが、小説と演劇で異なっていた点で、却って常に意識していても平気な芸術家であったことは疑いあるまい。ややおかしいと思われるかも知れないが、芥川龍之介の「小説家嫌い」は、仲間や友人であっても、実は、かなり強いのである。

芥川龍之介のこれ以前の書簡で「シンヂ」という表記で見える。なお、私はサイトのこちらで姉崎正見訳「アラン島」や、芥川龍之介が最後に愛した松村みね子(片山廣子)訳になる戯曲「聖者の泉(三幕)」の全電子化(前者はオリジナル注附き)を終えている。

「グレゴリー」アイルランドの劇作家イザベラ・オーガスタ・グレゴリー(Isabella Augusta Gregory 一八五二年~一九三二年)。民話研究家にして劇場経営者でもあった。当該ウィキを見られたい。

「畔柳さん」畔柳都太郎(くろやなぎくにたろう 明治四(一八七一)年~大正一二(一九二三)年)。山形生まれ。東大英文科卒。在学中から積極的に雑誌『帝国文学』に論文を発表し、文芸批評家として注目された。後に「大英和辞典」などの編纂した。既に述べたが、芥川龍之介が横須賀機関学校に就職出来たのも、彼の口利きのお蔭であった。

「ダンヌンチヨ」伊太利リアの詩人・作家でファシスト運動の先駆とされる政治的活動を行ったことで知られるガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele d'Annunzio 一八六三年~一九三八年)。彼の「會」とは、石割氏の注によれば、彼を先生として『七、八人許りの内輪の会で、近代文学の作家毎月一人ずつ読んでいた』とある。

ださうだ

「鈴木君」不詳。

「三並さん」三並良(慶応元(一八六五)年~昭和一五(一九四〇)年)は一高のドイツ語の嘱託講師。新全集の「人名解説索引」によれば、『愛媛県の生まれ』で、『独逸学協会・新教神学校卒』。『ドイツ人シュレーダーと小石川上冨坂に日独学館を建設』し、『若い学生のために尽くした』とある。

「速水さん」速水滉(明治九(一八七六)年~昭和一八(一九四三)年)は心理学者で一高教授(ドイツ語を教えたものと思われる)。後に京城帝大教授・総長を務めた。

「三浦さん」三浦吉兵衛。筑摩全集類聚版注に、明治三六(一九〇三)年『東大独文科卒。一高教授』とある。前掲の新全集「人名解説索引」によれば大正元(一九一二)年『就任』とする。

「觀潮何とかと云ふ會」不詳だが、森鷗外の終の棲家であった観潮楼に引っ掛けたものであろう。

「エマナチオン」“Emanation”。放射性希ガス元素の総称。ラドン(Rn)はその代表。

「アレゴリー」 “Allegory”。寓話。

「オリギナリテート」“Originalität”。ドイツ語で「独創性」。

「ベシユチムメン」“bestimmen”。ドイツ語で「指定・規定する」。

「EFFECT」効果。

『あの「ランプのそばの老人」の比喩を哂つたアーチヤー』不詳。]

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