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2023/01/31

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 化け地藏

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。]

 

      化 け 地 藏  (大正三年一月『民俗』第二年第一報)

 

 「東海道名所記」一にいふ、「小磯の町外れに小橋あり。其前に切通しあり。右の方に石地藏あり。往昔此地藏、夜每化けて、往來の人を誑《たぶら》かし惱ましけり。紀州の某とかや、急ぎける道なりければ、夜に入りて、爰《ここ》を通り侍りしに、美しき女に成《なり》て立ち出づ。兎角する程に、頻りに怖しく成くれば、拔討《ぬきうち》に打けり。斬《きら》れて後に、露はれたり。立寄《たちより》てみれば、石地藏の首、打落されたるにてぞ有ける。其より以來は、「頸斬《くびき》れの地藏」とぞ名《なづ》けゝる。」。「堺鑑」卷中に、「首截り地藏。行基作。北の莊皇子が飢[やぶちゃん注:底本は「○」。「選集」のものをそのまま示した。そちらにはママ注記がある。]の北の邊りに草庵あり。昔し、此所に葉屋の辻堂有て、西國巡禮、高野山通路、休所の爲に有しに、夜々、奇怪の事有て、或夜、道行く人と行逢《ゆきあひ》て、化生《けしやう》の者を斬留《きりとめ》たり。明《あけ》てみれば、石地藏なり云々。諸願祈るに、驗《しるし》有ずと云事なし。その時の太刀疵の跡、現に拜まれ給ふ也。」。

 熊楠案ずるに、支那にも類話あり。唐の釋道宣撰の「三寶感通錄」一に、東晋の穆《ぼく》帝の永和三年二月八日夜、荊州城に現ぜし釋尊の金像は、阿育王が作つた物で、長沙寺に安置された。孝武帝の太元中、此像、自ら寺の西門を、いで步く。邏者(まわりばん)[やぶちゃん注:ママ。])之を人と思ひ、問ふに、答へぬから、刀もて、うつと、鏗然《かうぜん》と、音、する。みれば、佛像で胸に刀の跡が有たと、載せ居る。

[やぶちゃん注:「東海道名所記」は江戸前期に浅井了意によって著された東海道の仮名草子。神社仏閣・名所旧跡を訪ねながら、江戸より宇治までを旅する名所記で、万治21659)刊。全六巻。当該部は、巻一の最後の大磯のパート内にある。「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で白柳友治編昭一一(一九三六)年昭和堂刊の懐かしいガリ版刷風の活字で、ここ(右ページ一行目の、私の好きな「鴫立澤」の直後)から当該部が読める。血洗川の近く、切通しの岩窟中に行基作と伝えられる地蔵があったが、現在は大磯町国府本郷の西長院(グーグル・マップ・データ)に安置されて「身代わり地蔵」と呼ばれている。旧所在地は、この中心附近となろう(グーグル・マップ・データ航空写真。「切通橋」交差点名が確認出来る。資料として「大磯町郷土資料館」の作製になる「大磯宿の名所マップ」PDF)を参考にした)。

「堺鑑」は江戸前期の郷土史家衣笠一閑(きぬがさいっかん 生没年未詳)が、堺の神廟・宮室・陵墓・古跡・故事・戦跡・人物・名物などについて纏めた全三巻からなる堺最初の地誌とされるもの。貞享元(一六八四)年刊。その巻二の「古跡」の掉尾にある。「国立公文書館デジタルアーカイブ」のここ(16コマ目)で視認出来るので、電子化する。句読点・記号を打った。

   *

  首截地藏(クビキリジザウ) 

此地藏菩薩ハ行基菩薩ノ作也。北莊(キタノシヤウ)、「皇子(ワウジ)カ飢(ウヘ)」ノ北ノ邊(ホトリ)ニ草菴アリ。昔、此所(コノトコロ)ニ藁屋(ワラヤ)ノ辻堂アリテ、西國順禮・高野山、通路休所(ツウロキウシヨ)ノ爲(タメ)ニアリシニ、夜(よ)ナ夜ナ奇恠(キクワイ)ノ事アリ。或夜、道行人(ミチユキビト)ト徃會(ユキアヒ)テ化生(ケシヤウ)ノ者ヲ截(キリトメ)タリ。明(アケ)テ見レバ、卽(スナハチ)、石地藏也。其ヨリ名付テ、「首截地藏」ト云傳(イヽツタヘ)り。諸願、祈(イノル)ニ驗(シルシ)アラズト云事ナシ。其時ノ太刀疵(タチキズ)ノ跡、現(ゲン)に拝(オガマ)レ玉フ也。

   *

これによって、奇妙に見えたそれは、北荘村の「皇子(わうじ)が飢(うゑ)」と言う異名であったことが判る。しかも、現在の大阪府堺市堺区北田出井町に「王子ヶ飢(おうじがうえ)公園」(グーグル・マップ・データ。以下同じ)として地名が生きているのであった。しかも、この地蔵、現存している。「かん太里親」氏のブログ『ぼく「かん太」です』の『「極楽橋」と「首切り地蔵」』を見られたい。そこには、文久年間(一八六一年~一八六四年)の古地図が掲げられてあって、「極楽ハシ」。「北ノ庄村」「王子ケ飢」「首切地蔵」の文字が見える。「首切地蔵」ここにあるのである。そのサイド・パネルのここで尊像を拝むことが出来た。「餓」の由来はよく判らないが、これらの異名からは餓鬼道の供養であろうか? と感じた。

『唐の釋道宣撰の「三寶感通錄」』前に出た「續高僧傳」の作者である盛唐の道宣(五九六年~六六七年)撰で正しくは「集神州三寶感通錄」。

「東晋の穆帝の永和三年」三四七年。

「阿育王」古代インドのマウリヤ朝の第三代の大王にして仏教の守護者として知られるアショカ(在位紀元前二六八年頃~ 紀元前二三二年頃)。この像の話は何度も南方熊楠は挙げている。例えば、『「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「泣き佛」』を見られたい。

「孝武帝の太元中」東晋の孝武帝司馬曜の治世に行われた二番目の元号。三七六年~三九六年。

「鏗然」原題仮名遣「こうぜん」。金属・石・楽器などがかん高い音を出すさま。]

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