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2023/01/20

死靈解脫物語聞書上(2) 累が怨霊來て菊に入替る事

 

[やぶちゃん注:本書の解説や底本等は、冒頭の「累が最後之事」を参照されたい。]

 

  累が怨霊(おんれう)來(きたつ)て菊に入替(いりかわ)る事

 夫(それ)より、彼の邪見成る与右衞門、心にあきはてたる妻(さい)を、思ひのまゝにしめ殺し、本より、累が親類兄㐧(きやうだい)、なきものなれば、跡訪(あとと)ふわざもせず、彼(か)れが所帶の田地𢌭(など)を一向に押領(おうれう)し、扨(さて)、女房を持つ事、段々、六人也。前の五人は、何れも、子、なくして、死せり。

 㐧六人目の女房に、娘一人、出來(いで)き[やぶちゃん注:ママ。]、其名を「菊」と云。

 此娘、十三の年、八月中旬に、其母も、終(つゐ)に死去(しきよ)せり。

 さてしも有べきならねば、其歲の暮十二月に、金五郞と云甥(むこ)を取、此菊にあわせて、与右衞門が老のたつ木にせんとす。

[やぶちゃん注:「其歲の暮十二月」冒頭の前章の頭に憑依が「寬文十二年の春」のこととあるから、これはその前年の寛文十一年十二月となる。寛文十一年十二月一日はグレゴリ曆で一六七一年十二月三十一日であるから、まず、婚礼は一六七〇年一月中と考えてよい。而して、以下のシークエンスは翌年寛文十二年壬子(みづのえね)が時制となる

「老のたつ木」「老いを支えてくれる立つ樹」に「たつき・たづき」「方便・活計」、「生活を支える手段・生計」の意を掛けたもの。]

 しかる所に、菊が十四の春、子の正月四日より、例ならず煩ひ忖く。其さま、常ならぬきしよくなるが、果して其正月廿三日にいたつて、たちまち床(ゆか)にたふれ、口より泡をふき、兩眼(りやうがん)に泪(なみだ)をながし、

「あら、苦しや、たえがたや、是、たすけよ、誰はなきか、」

と、泣(なき)さけび、苦痛、逼迫して、既に絕(たへ)入ぬ。

[やぶちゃん注:「菊が十四」数え年であるから、菊は万治二年(一六五九年二月二十二日から一六六〇年二月十日)生まれで、その母の死は、その前年の明暦四・万治元年となる。

「子の正月四日」グレゴリオ暦一六七二年一月六日。

「其正月廿三日」グレゴリオ暦一六七二年二月二十一日。

「絕(たへ)入ぬ」気絶してしまった。]

 時に、父も夫も、肝(きも)を冷し、おどろき、騷ひで、

「菊よ、菊よ、」

と呼返すに、やゝありて、息(いき)出で、眼(まなこ)をいからかし、与右衞門を、

「はた」

と、にらみ、詞(ことば)をいらでゝ云やう、

「おのれ、我に近付(ちかづ)け、かみころさんぞ。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「いらでゝ」「應(答)(いら)ふ」の「出る」を接合したものであろう。「答えて声を出して」の意。

「おのれ、我に近付け、かみころさんぞ。」「お前ッツ! 我らに近づいて見ろ! そうしたら、噛み殺すぞッツ!」。]

 父がいわく、

「汝、菊は、狂乱するや。」

と。

 娘の、いわく、

「我は、菊にあらず。汝が妻の累なり。廿六年以前、絹川にて、よくも、よくも、我に重荷をかけ、むたひに責殺(せめころ)しけるぞや。其時、『やがて、とりころさん。』と思ひしかども、我さへ、昼夜、地獄の呵責に逢(あい)て隙(ひま)なきゆへに、直(じき)に來(きた)る事、かなわず。然共、我が怨念の報ふ所、果して、汝が『かわゆし』と思ふ妻、六人を、とりころす。その上、我、數(かず)數の妄念、虫(むし)と成て、年來(としごろ)、汝が耕作の実(み)をはむゆへに、他人の田畑(でんばた)よりも、不作する事、今、思ひ知るや否や。我、今、地獄の中にして、少(すこし)の隙をうるゆへに、直に來て、菊がからだに入替り、最後の苦患(ぐけん)をあらはし、まづ、かくのごとく、おのれを絹川にて、せめころさん物を。」

と、いゝ、すでにつかみつかんとする時、父も夫も、大きにおどろき、跡をもかへり見ず、与右衞門は法藏寺へ迯行(にげゆか)ば、甥は親の本に走り歸り、ふるひ、わなゝひて、かくれ居(ゐ)たり。

 其時しも、隣家(りんか)の若き男共、「二十三夜待(やまち)」と称し、一所に、あまた集り居けるが、此あらましを傳へ聞き、

「さもあれ、不思議なる事かな。いざ、行(ゆ)ひて[やぶちゃん注:ママ。]直に見ん。」

とて、彼方此方、もよほすほどこそあれ、村中の者共、悉く、与右衞門が所に集り、かの女子(によし)を守り見けるに、その苦(くるし)みのありさま、いか成衆合叫喚(しゆがうけうくわん)の罪人も是にはまさらじと、苦痛顚倒(くつうてんどう)して、絕入(たけいる)事、度々(たびたび)也。

[やぶちゃん注:「二十三夜待」特定の月の二十三日の夜に講を組んだ者たちが集まり、月を拝むのを口実として、飲食をともにして夜明かしをする「月待ち」の集団行事(娯楽)で、江戸時代には全国的に盛んに行われた。]

 其時、村人、

「菊よ、菊よ、」

と、よばわれば、しばらく有て、いふやう、

「何事をのたまふぞや、人々。我は、菊にては、なし。与右衞門がいにしへの妻に、累と申、女なり。我姿の醜き事をきらひて、情なくも此絹川へ押(おし)ひて[やぶちゃん注:ママ。「押入(おしいれ)て」の誤刻か。]、くびりころせし、其怨念を、はらさんために、來(きた)れり。今、与右衞門、法藏寺に隱れ居(お)るぞ。急ひで、彼をよびよせ、我に逢せて、此事を决断し、各々(をのをの)、因果の理(ことは)りを信じ、わが流轉のくるしみを、たすけて、たべ。あら、くるしや、うらめしや、」

といふ時、村人の中に、心さかしきもの有て、いふやう、

「今の詞の次㐧、中中、菊が心より出たる言葉には、あらず。いか樣、怨念㚑鬼(おんねんれいき)の所以と聞えたり。所詮、彼(かれ)が望(のぞみ)にまかせて、与右衞門を引あわせ、事の実否をたゞさん。」

とて、法藏寺に行き、ひそかに与右衞門を、よび出し、

「かく。」

と告(つぐ)れば、かの男、ちんじて、云やう、

「それは、中中、跡かたもなき虛言(そらごと)なり。此娘、狂乱せるか、將又(はたまた)、狐狸の付そひて、あらぬ事を申すと聞ヘたり。よし、其儘にて捨置給へ。」

と、色色、辞退するを、やうやうに、こしらへ、連(つれ)歸り、菊にあわすれば、累が存生(ぞんじやう)の詞つかひにて、上(かみ)件(くだん)のあらまし、一々、滯(とゞこふ)らず云ふ時、与右衞門、そらうそ、ふひて、

「かゝる狂人、おのれが病にほうけ、ゆくゑ[やぶちゃん注:ママ。] もなきそらごとをつくり出て、父に恥辱をあたへんとす。ひらに、人々、その儘、捨置たまひ、皆々、歸らせられよ。」

と、いへば、かさねがいわく、

「やれ、与右衞門、其方は、『此人々の中には、その時の有樣を、具(つぶさ)に知るものなし。』と思ふて、かく、あらそふかや。おろかなり。此村にも、我が最後の樣子を、ほゞ、しれる人、一兩人も有ぞとよ。又、隣村(となりむら)には、慥(たしか)に見とめたる仁(じん)、一人、今に存命(ぞんめい)せられしものを。」

と云時、村人、問ていわく、

「それは、たれ人そや。」

と。

 累がいわく、

「法恩寺村の淸右衞門こそ、正しく、此事を、見られたり。」

と、いへば、さしも橫道(わうたう[やぶちゃん注:ママ。])なる与右衞門も、既に證人を出されて、あらそふに、所なく、泪をながし、手を合せ、ひらにわび居(ゐ)たるばかり也。

 其時、村の人々、

「扨、いかゞせん。」

と評議しけるが、詮ずる所、此かさねが怨みは、非道に彼を殺害(せつがい)し、わづかも其跡をとふ事なく、剩(あまつ)さへ、かさねが田畑の所德にて、恣(ほしひまゝ)に妻をもふけ、一人(ひとり)ならず、二人ならず、こりもやらで、六人まで、つまをかさねし𢙣人なれば、其科人(とがびと)はとがめざれとも、業(ごふ)の熟する所ありて、みづから是を顯せり。不便(びん)なる事なれば、与右衞門に發心(ほつしん)させ、かさねがぼだいを、とわせんには如(しか)じ。」

とて、頓(やが)て剃髮の身となれ共、道心、いまだ發(おこ)らざれば、功德(くどく)のしるべも、なきやらん、菊が苦痛は、やまざりき。

 

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