死靈解脫物語聞書上(6) 羽生村の者とも親兄弟の後生をたつぬる事 / 死靈解脫物語聞書上~了
[やぶちゃん注:本書の解説や底本等は、冒頭の「累が最後之事」を参照されたい。]
羽生村の者とも親兄弟の後生(ごしやう)をたつぬる事
去(さる)ほどに、二月廿七日、ひがんの入にあたりたる辰の上刻より、村中の男女とも、与右衞門が家に充滿し、四方のかこひを、引はらひ、見物、すもうの場(ば)のごとく、前後左右に打こぞり、
「亡魂の生所(しやうじよ)をたづねん。」
と、一々、次㐧の問荅は、前代未聞の珍事なり。
[やぶちゃん注:「二月廿七日」前話の翌日。寛文十二年二月二十七日はグレゴリオ暦一六七二年三月二十六日。
「ひがんの入」この二月二十七日はユリウス暦では三月十六日でグレゴリオ暦と十一日のずれがある。春の彼岸は陰暦でも新暦でも春分に当たる日(新暦では三月二十日或いは二十一日頃)を挟んだ前後三日間をあわせた七日間を言うから、ユリウス暦を当てると、概ね「彼岸の入り」として不審ではない。
「辰の上刻」午前七時頃。同年同日の日の出はl、いつもお世話になる鈴木充広氏のサイト「曆のページ」で計算すると、午前五時五十五分であるから、太陽がはっきりと現認出来る(その日=春分当日になった)という時刻として問題ない。]
其時、名主三郞左衞門、すゝみ出て、泡、ふき居たる菊にむかひ、
「かさね、かさね、」
と、よばわれば、菊が苦痛、たちまち、しづまり、起きなをり、ひざまついてぞ、居たりける。
さて、名主のいふやうは、
「今日、村中あつまる事、別義にあらず。昨晚、やくそくの通り、今夕一夜(や)、別事(べちし)の念佛を興行し、すみやかに、汝を、うかべん。しかるに、廿六年このかた、當村の男女共、冥途に趣く、あまた、あり。だんだんに、尋ぬべし。くわしく語りて、聞せよ。」
と、いへば、㚑魂、荅(こたへ)て、いわく、
「地獄道も、数、多く、其外(そのほか)、四生(しやう)の九界(かい)、無邊なれば、趣く衆生も、むりやうなり。何そ[やぶちゃん注:ママ。]、是を、ことごとく、存じ申さんや。しかれとも、同國同所のよしみなるか[やぶちゃん注:ママ。]当村の人々、あらましは覺へたり。なを、其中に知らぬもあらんか。」
と、いえば、名主がいわく、
「本より知らぬ人は、其分、知りたるばかり、荅へよ。まづ、それがしが、しうと夫婦の人は、いかに。」
と、たづぬれば、累、こたへて、いわく、
「かまへて腹(はら)ば、たゝせたまふな。御兩人ながら。かやうかやうの科(とが)にて、そこそこの地獄に、おわす。」
と云。
[やぶちゃん注:「四生」(ししやう)は有情(うじょう)の四種の動物の生まれ方を指す。卵生(らんしょう:卵から生まれる。概ねの魚類・両生類・鳥類・爬虫類など)・胎生・湿生(湿気から生まれるもので、蚊などの多くの昆虫類はこれに属した)・化生(けしょう:卵や母胎から生ずるといった視覚的理解は不能な、天上界や地獄の有情のように、論理的物理的な解説可能な経過を経ず、突如として誕生することを指す。一部の、現行では普通に卵生とされている虫やその他の動物でも、本草学では、理解不能なまがまがしいものとしてこれに分類されているケースも多い)。
「九界」(くかい)は、この世の厳密な意味での「迷い」の境界を九つに区分したもので、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上は無論、声聞(しょうもん:修行僧)・縁覚(えんがく:仏の教えによらず、自ら独りで覚ったとし、他に教えを説こうとしない孤高の聖者)・菩薩(真の修行の最終段階にある存在)の九つ。総ては仏果を得るまでの階梯状態を指す。これに、完全な真の悟達の境界である「仏界」を加えて「十界」という。]
次に、年寄、問へば、此兩親も、
「そのとが、このとが、ゆへ、かなた、こなたの、地獄。」
と荅ふ。
次にとへば、
「是も、地獄。」
又とへば、
「それも、地獄。」
と、かくのごとく、大方、
「地獄々々。」
と荅る中に、ある若き男、腹を立て、
「おのれ、僞りを、たくみ出し、人々の親を、『みな、地獄の罪人。』といふて、子共のつらを、よごす事、きくわい[やぶちゃん注:「奇怪」。]なり。よしみなくは、ともかくもあれ、我が親におゐては、かくれなき善人なり。かならず墮獄が定(でう)ならば、其科(とが)を出すべへし。證拠もなきそらごとをいわば、おのれ、聖㚑、口、ひつさくぞ。」
と、いかりける。
[やぶちゃん注:「よしみなは」「誼み無くは」。生前、親しく触れ合って知ることがない連中ならば。]
累がこたへていわく、
「まづまづ、しづまりたまへ。さるほどに、今朝(けさ)より、『腹ばし、立な。』と理(ことわ)りおく。されば、汝が親にかぎらず、地獄へおつるほどの者、罪の証拠。しからぬは、なきぞ、とよ。取分て、最前より、我こたふる所の罪人達のつみ・とが、みな、ことごとく、明白に、此座中にも知る人有て、互に、『それぞ。』と、うちうなづく。本より、汝が父にも正しき罪の証拠あり。その人、この人、よく、是を、しれり。」
とて、とがの品々、云あらはす時、
「さては。さに、うそ。」
とて、引退(しりぞ)くも、あり。
[やぶちゃん注:「さに、うそ」「然に、噓。」。「それはッツ! 真っ赤な嘘だ!」。]
惣じて、この日、累が荅(こたふ)る墮獄の者、罪障のしなしな[やぶちゃん注:「品々」。]、其座に有し人を證人(せうにん)にとりて、地獄の住所、受苦の數々、あきらかに是を語るといへども、終日(すいじつ)のもんどうなれば、具(つぶさ)に覚へたる人、なし。
此外、少々、かたり傳うる事ありしかども、たゞ、その中に、極善・極𢙣の二人を出して、余(よ)はことごとく、是を畧(りやく)す。
さて、ある若き者、出て問ひける時、累、
「ひし」
と、いき、つまり、
「汝が親は、知らず。」
と、いへば、かのもの、いと腹だちて云やう、
「口おしき事かな。これほど、村中の人々、みなみな、親の生所をとへば、其責(せめ)の有さままで、今見るやうに荅ふる所に、我か父一人を、しらぬ事やは、あるべき。いんきよ閑居の身となりて、久しく地下[やぶちゃん注:「ぢげ」。自分の住んでいる集落の内の民。]へも、まじわらず、人かずならで、おわりしを、あなどり、かくいふと、覚へたり。村中一同のせんさくに、贔屓偏頗(ひいきへんば)は、させぬぞよ。是非。我が親の地獄をば、聞ぬかぎりは、ゆるさぬぞ。」
と、まなこに、かどをたて、ひぢをはりてぞ、いかりける。
かさね、聞て、
「おかしきものゝいひやうかな。人は、みな、さだまつて、地獄へばかり、ゆくものに、あらず。いろいろの、ゆき所あり。汝が父は、よそへこそ、ゆきつらめ。地獄の中には居らぬ。」
と云に、かの男、いまだ、腹をすへかねて、
「たとへ、いづくにてもあれかし、かほど多き人々の親の生所をしる中に、それがし一人、聞ずして、あるべきか。是非、是非、かたれ。」
と、つめかけたり。
其時、かさね、しばし、案じて云やう、
「汝が父は、大かた極乐に在るべし。其ゆへは、其方が親の死(しに)たる年月と、其日限(にちげん)をかんがふるに、今日、極乐まいりあるといふて、地獄中にみちみちたる当村の罪人ども、晝夜、六度の呵責を、一日一夜、ゆるされたりといふに付き、後に、そのものゝ事を尋ぬれば、『念佛杢之介』と聞へて、昼夜、わらなわを、よりながら、念仏を拍子として、年たけ、隱居の身となりては、朝ごとの送り膳を、中半(なかば)、さき分(わ)け、茶碗に入れおき、たくはつの沙門に、ほどこすを、久しき行とし、念佛さうぞくにて、おはりたりとぞ、聞へける。」
[やぶちゃん注:「送り膳」これは思うに、曹洞宗等で言う「御靈供膳」(おりくぜん)が訛ったものであろう。愛知県などでは、古くは仏壇の阿弥陀用と先祖用の二膳の精進料理を用意した。
「念佛さうぞく」「念佛裝束」。「南無阿彌陀佛」を染め抜いた白衣か。]
さてまた、年寄庄右衞門、問て、いわく、
「汝、今朝より、このかた、荅る所の罪人とも、𢙣の輕重、地獄の在所、そのせめの品々まで、かく、あきらかにしる事は、ことごとく、其所へ行き、其人のありさまを、直(じき)に見て、いへるか。」
と聞きければ、かさね、こたへて、いわく、
「いなとよ。さには、あらず。我が住家(すみか)は地ごくの入口、『とうかつ』といふ所に在し故、墮獄(だごく)の罪人を、ことぐごとく、見聞するなり。そのゆへは、まづ、初めて地獄へおつるものをば、火の車に乘(のせ)て、おつる獄の名を、かきしるしたる旗をさゝせ、牛頭(ごづ)・馬頭(めづ)、あたりを拂ひ、高声に、よばわり、つれ行おとを聞ば、あるひは、『此罪人、何(いか)なる国の、なにがしといふもの、かやうかやうの科(とが)により、只今、黑縄地獄(こくしやうぢごく)』、あるひは、『衆合地獄(しゆがうぢごく)』、あるひは、『せうねつぢごく』など、いちいち、ことわり行(ゆく)ゆへに、すべて、八大地獄へ、おち來(く)るもの、みな、我が等活にて、見聞(けんもん)すれども、日々、夜々、引もきらず、とをる事なれば、百分が一つも、覚(おぼゆ)る事、あたはず。しかれども、同じ里(さと)に住(すみ)し、なじみにて有やらん、当村(とうむら)の罪人、大かたは、覚へたり。又、呵責のしなしなは、互に、うさを、かたりあひ、或は、あぼうらせつども、人をさいなむ言葉のはしにて、おのづから、聞しりたり。」[やぶちゃん注:「とうかつ」「等活地獄」。「想地獄」とも呼び、「八熱地獄」の第一の初等の地獄。罪科は殺生。ウィキの「八大地獄」によれば、『この中の罪人たちは』、『互いに敵愾心を持ち、鉄の爪で殺し合うという。また、獄卒や鬼の料理人に身体を切りきざまれ、切り裂かれ、粉砕され、死ぬが、涼風が吹いて、また獄卒の「活きよ、活きよ」の声で等しく元の身体に生き返る、という責め苦が繰り返されるゆえに、等活という』が、『この「死んでもすぐに肉体が再生して何度でも責め苦が繰り返される」現象は、他の八大地獄や小地獄にも共通する』ものである、とある。
「黑縄地獄」(こくじようぢごく)は、同前によれば、『殺生のうえに偸盗』『を重ねた者が、この地獄に堕ちると説かれ』、『等活地獄の下に位置し』、鬼が『罪人を捕らえて』、『熱く焼いた縄で身体に墨縄』(すみなわ)『をうち』、『縄目をつけ、これまた』『熱鉄の斧で』、『縄目の通りに切り裂き、削って』、『恐怖と激痛を与える。また』、『左右に大きく熱した鉄の山があ』り、『山の上に鉄の幢(はたほこ)を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山を背負わせて縄の上に登らせ、そのまま渡らせる。すると罪人は縄から落ちて砕け、あるいは鉄の鼎(かなえ)・釜(かま)に突き落とされて煮られる。この苦しみは先の等活地獄の苦しみの』十倍とされる、とある。
「衆合地獄」(しゆがふぢごく)は「堆壓地獄」とも言い、殺生・偸盗に邪淫を加えた亡者が落ちる。同前で、『黒縄地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける』。『相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、おしつぶされて圧殺されるなどの』『苦を受ける』。先に出た『剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す。それは誘惑に負けた罪とされる。鉄の巨象に踏まれて押し潰される』とある。
「せうねつぢごく」「焦熱地獄(せうねつぢごく)」。「炎熱地獄」とも呼ぶ。衆合地獄の下方には、「叫喚地獄」と「大叫喚地獄」があり、その下がここで、殺生・偸盗・邪淫・飲酒(おんじゅ)・妄語・邪見(仏教の教えとは相容れない考えを説いたり、実践すること)を重ねた科で堕ちるとする。同前に、『常に極熱の火で何度もあぶられ』、『焼かれ』、『焦がされ、その苦しみがずっと続く。罪人たちは地獄の鬼たちに打たれ続け、赤く熱した鉄板の上で鉄串に突き刺されたり、目・鼻・口・手足などを肉』団子『のように分解され、それぞれを炎で焼かれる。この焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も』、『雪のように冷たく感じられるほど』の高熱に満たされており、『豆粒ほどの焦熱地獄の火を地上に持って来ただけでも』、『地上の全てが一瞬で焼き尽くされるという』とある。
「八大地獄」以上の六つの下層に「大焦熱地獄」(罪科は+「犯持戒人」(はんじかいじん:尼僧・童女などへの強姦)と、最大最悪の「阿鼻(あび)地獄」(=「無間(むけん)地獄」。罪科は+父母や阿羅漢(聖者)の殺害(せつがい))がある。
「あぼうらせつ」「阿防羅刹・阿傍羅刹」と書き、歴史的仮名遣は「あばうらせつ」が正しい。地獄の獄卒の一種。頭と足は牛で、手と胴体は人間、力は山を抜くほど強く、三叉(みつまた)の鉄叉(てっさ)で人間を釜の中に投げ込んで責めるとされる。「速疾鬼(そくしつき)」などとも呼ぶ。]
といふ時、又、ある者、問ふて、いわく、
「我が父は十六年以前、何月何日(いくにち)に死せし。」
と、いきも、きらせず、
「それは、無間(むけん)。」
と、こたへたり。
問者(とふもの)、せきめんして、
「汝、我が親の、人にすぐれて、あたる罪のあれば、『むけん』とは告(つぐ)るぞ。あまりに、口の聞すぎて、そさうなるいゝ事や。とがの次第を、一々(いちいち)に、語れ。きかん。」
と、のゝしりけり。
[やぶちゃん注:「口の聞すぎて」言いたい放題ぬかしおって。
「そさうなるいゝ事」「そさう」は「粗相」。「(累が)軽率さから言い出した虚言」と非難しているのである。]
かさね、こたへて、いふやう、
「さればとよ、此事は、汝が親のさんげ・滅罪、むけんの苦をかろめんため、此とが、つぶさに、かたるべし。聞傳ふる人々は、一反(いつへん)の念佛をも、かならず、ゑかうしたまふべし。」
と懇(ねんごろ)に、ことはり、
「さる比(ころ)、此弘經寺に、利山和尙(りざんおしやう)と聞へし能化(のうけ)、御住職の時代に、残雪と申す所化(しよけ)、相馬村(さうまむら)にて、たくはつし、九月下旬の比をひ、安居(あんご)の領(りやう)を背負(せおふ)て、弘經寺さして、歸らるを、汝が親、見すまして、さゝはらより、はしりいで、かの僧物(そうもつ)を、はぎとれば、やうやう、衣一ゑにて、ふるひふるひ、迯(にげ)られしを、たれだれが、見たるぞや。此一つの罪にても、三宝物の、ぬす人なれば、無間の業は、まぬかれず。それのみならず、是成[やぶちゃん注:「これなる」。]名主との[やぶちゃん注:「殿」。]、よき若衆にてありし比、しうとめ御前の、いとおしみ、『あはせを、ぬふて、着せん。』とて、嶋木綿(しまもめん)を手折(ており)にし、さらして、ほしおかれけるを、汝が親、ぬすみとる。是をば、たれたれ、見しかども、もし、告(つげ)たらば、汝が親、火をつけそふなるふぜいゆへ、知らぬよしにて居(ゐ)けるとき、名主どの、腹を立て、『村中を、やさがしせん。』と有ければ、そのおき所なきまゝに、名主のうらの、みぞほりへ、ひそかに、ふみこみおきたるが、其後、日でり、打つゞゐて、水の淺瀨に、かの木綿、五寸ばかり、見へたるを、引あげて見られければ、みな、ぼろぼろと、腐りたり。是は、村中に、かくれ、なし。さて、その外に人の知らぬつみとが、いくらといふ、数、かぎりなし。」
と。
[やぶちゃん注:「利山和尙」不詳。
「能化」ここは、弘経寺の長老。
「所化」修行僧。
「相馬村」羽生の南東の旧茨城県北相馬郡相馬町、現在の茨城県取手市藤代(グーグル・マップ・データ。以下同じ)があるが、ここは以下、「安居」と「九月」という記載から、夏安居(げあんご:仏教の本元であったインドで、天候の悪い雨季の時期の、相応の配慮をしたその期間の修行を指した。本邦では、暑さを考えたものとして行われた夏季の一所に留まった修行を指す。多くの仏教国では陰暦の四月十五日から七月十五日までの九十日を「一夏九旬」「夏安居」と称し、各教団や大寺院で、種々の安居行事(修行)がある。安居の開始は「結夏(けつげ)」と称し、終了は「解夏(げげ)」と呼ぶ)で、その間の托鉢が終わって、本寺へ戻るという意であろうからして、私は、より涼しい場所での托鉢を行ったものと推定し、遙か北の現在の福島県相馬市を比定したい。そこで解夏し、帰ったとすれば、九月の帰還はおかしくないと思うからである。
「安居の領」托鉢で受け取った布施。
「かの僧物」残雪が着ていた衣服。
「三宝物」「さんぽうもの」。「三寶」は仏教で最も尊いものとされる「釈迦」と、「法(ダルマ)」と、「僧伽」(そうぎゃ・さんが:僧衆・修行僧)であるが、その「僧」、ここは、その僧の持ち物を指す。それを奪うことは、最も重い罪となる。]
又も、いわんとする所に、名主、大声あげて、
「みなみな、たわこと、せんなし。各々(おのおの)も、聞べからず。日も暮るに、念佛、いざや、はじめん。」
とて、法藏寺を請じ、一夜(や)別時(べつじ)を開闢(かいびやく)する時、菊が、苦痛、少し、やみければ、人々、悅び、
「きくよ、かさねは、歸れりや。」
と尋ぬるに、菊がいわく、
「いなとよ、そのまゝ、我がむねに、居たり。」
と荅ふ。
[やぶちゃん注:「一夜別時」念仏行者が特別の時に念仏することを指す。また、これを「尋常」と「臨終」を分け、「尋常」では、特に一日或いは二日、乃至、七日或いは十日・九十日など、日を限って行なう念仏のことをも指す。「別時の称名」「別時の念仏」とも言う。ここは一夜一日のそれを指す。
「開闢」通常は、信仰の場としての山や寺を開くこと、また、その人を指し、「開白」とも書くが、ここは、「別時の念仏」を行うことを、ちょっと大仰に言ったもの。]
かくのごとく、折折、問ふに、其夜中は、終に、さらず。
夜(よ)も明(あけ)、ゑかうの時にいたつて、菊が、いふやう、
「かさねは、いづくへか、行(ゆ)きし。見へず。」
と、いゝしが、しばらくありて、
「又、來り、わきに、そふて、居る。」
と、いへば、法藏寺も、名主・年寄も、皆々、あきれて居られたる内に、麁菜(そさい)の齋(とき)を出しけれども、三人目と、目を見合せ、はし取、あくべきやうもなく、世に、ぶきやうなる時、菊、ふと、かうべを、もたげ、
「あれ、あれ、かさねは、出てゆくは。」
と、いゝて、そのま、起(おき)なをり、氣色(きしよく)、快氣(くわいき)してければ、法藏寺も、二人の俗も、こゝろよく、齋を行ひ、悅びいさんで、みなみな、我が屋に歸らるれば、菊が氣色も、弥(いよいよ)、本復(ほんぶく)して、杖にすがり、村中の子共を引つれ、菩提所法藏寺は、申に及ばす[やぶちゃん注:ママ。]、其外、近里(きんり)の寺・道場へ日々に參詣し、いつの間にならひ得たりけん、念佛鉦鼓(しやうご)のほど、ひやうし、あまり、とうとく聞へければ、人々、不審しあへるは、
「誠に淨土の佛・ぼさつ、『尼に、なれ。』との、おゝせにて、其守護にもや、あるらん。」
と、皆々、奇異のおもひをなし、男女老少、あつまり、此菊を先達(せんだつ)にて、ひがん中の念仏、隣鄕(りんごう)・他鄕(たごう)に、ひゞきわたる。
其外(そのほか)、家々にて修(しゆす)る事は、昼夜昏曉(ちうやこんきやう)の差別なく、思ひ思ひの仏事・作善、心々(こころこころ)の法事・供養、日を追(おつ)て、さかんなれば、諸人(しよにん)、得道(とくだう)の能(よき)因緣とぞ、聞へける。
[やぶちゃん注:以上を以って「死霊解脫物語聞書上」は終わっている。]
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